ありがとう

最近,身にしみてきたことですが,「ありがとう」はThanks.あるいはDanke.とかMerci.とは一味違うことばのように感じます.
今朝,近所の小学生の女の子が元気よく「ありがとうございました」っと,運転手にお礼をいって都バスを降りて走っていきました.となりにいたおばちゃんが大きな声で「よい子だねぇ」っとニコニコ,それを聞いてた人たちみんなニコニコ*下町でも実際には珍しい光景でした.ごくふつうの光景のようですが,ヨーロッパから直接長岡に帰ってきたぼくにとって,長岡で毎朝このような光景をたくさんみていて,ぼくは不思議でしょうがなかったのです.雪国では,あるいは交通機関が乏しい地域では,バスが自分の目的地まで送ってくれるという見方があるのか...当り前の行為**だったのです.根拠を超えた「ありがとう」ということば,いろいろな含みがあります.
*ワインガルトが来日した時のひとこと,「街角の日本人は幸せな顔をしていない.」
**あいさつひとつ,大学生になると全くなかった.ぼくが授業を見ている,その学生ですらしない.なぜなのか?
結構奥深い.簡単なことばと行為には,謎が多い.

ありがとう」への6件のフィードバック

  1. ちょうど同じことを考えていました。
    「ありがとう」ってスゴイ言霊です。
    電話を切るとき,会った人とわかれるとき,
    「じゃあね,バイバイ」と言うよりも
    「じゃあね,ありがとう,またね」と言うと
    人間関係が変わってくるんですね。
    おはよう
    おやすみ
    おかえり
    ただいま
    いただきます
    ごちそうさま
    ありがとう
    ごめんなさい
    よい言葉です。
    あとバスで思い出したこと。
    以前,東京から山口県まで南下する一人旅をしました。
    「優先席」のマークって,都会のものなんですね。
    あのマーク,どんどん見あたらなくなっていきました。
    混む混まないではなく,ゆずるのがあたりまえになってるのだと感じました。

  2. sho-nさん:
    矢野顕子の昔のレコードみたいですね(^^)ほんとよい言葉たちです.
    人間関係というのはことばだけではないと思うのですが,日本人は特有のものがあるのでしょうね.
    バスも深いよね!東京から山口県まで!そりゃ,すごいなぁ.(夜行バスではないんでしょ?)
    バスの思い出:南イタリアは全然時間通り来ないんですよ〜〜〜.バス停もよくわからないし...参った.
    「優先席」のマークって,そうなんですか.
    追記:
    ワインガルトの発言は,理解が難しいのです.
    日本人の幸せ感を知っているわけではないと思うのですが,彼の中に日本のイメージがすでにあって...
    たぶんジパングみたいな.昔みた写真とかが脳裏に焼き付いているんでしょうか.

  3. 旅は滋賀県の米原まで新幹線で行き,あとは電車とバス(一部ヒッチハイク)で南下しました。琵琶湖,岡山,尾道,広島,山口に入って秋吉台と萩。
    一人だと寂しいのかな?と思ってましたが,いろいろな人が結構話しかけてくれました。
    ちょうど戦後50周年で,ヒロシマでは原爆博物館にもいきましたが,何よりも現代美術館でみた作品がとてもコワかったです。(一生忘れられない)
    どうなんでしょう。。日本人て本当は丁寧な生き方をする民族だと思うのです。だからたくさんの挨拶の言葉があるのだと。。

  4. sho-nさん:
    すみません、おそくなりました。
    そうでしたか。米原から萩まで、よい思い出いっぱいでしょうね。
    尾道は二回行っています。ぼくが行ったころとは変わってしまったでしょうね。ぼくは友だちと。彼もぼくも小津の大ファンで(蓮實さんが本を出す前からの)。どのように「東京物語」のカットをとったか探しに行ったのでした。たのしかった。実は大きな灯篭は動かされていたのですね(^^)
    竹原っていい町ですね。おそらく通られたと思いますが。。。ぼくは大好きです。
    そう、広島は道後温泉にいったとき、行きました。広島は日本人なら絶対行くべきですね。ちゃんとショックは受けて来なければ。あれを見て、第九条を否定する人はどういう感覚なのでしょうかね。東京の下町の空襲もひどかったんですよ。
    「日本人=丁寧な生き方」いいですね。これから、今以上に大切になるのではないでしょうか。

  5. そういえば『東京物語』は尾道でしたね(原節子,美しい…)。小津の映画,初めて観たのは『お早う』でした。大好きです。最初はストーリーよりも構図の美しさにびっくりしました。私は階段のある風景が撮りたくて尾道に行ったのですが,とても良い所でした。その頃は大林宣彦監督で盛り上がってました。親切な地元の人がいろいろ案内してくれました。
    小津の映画には日本人の丁寧な生き方がありますね。
    亡き父は昭和9年生まれ。父の少年時代は戦争一色でした。恐ろしい思い出も少年のヒロイズムも。広島でみた作品というのは,何もない真っ暗な広い部屋。入ってしばらくすると突然うしろからストロボが光り…,気がつくと自分の影がそのまま壁に焼きついてました。。『ピカドン』という作品でした。とても怖かった。

  6. 「お早う」でしたか,ぼくは「麦秋」,はじめてみてショックでした.中村鴈治郎が街中を歩いていく「浮草」もなかなかいいんですよ.構図の美しさ...深いですよね〜.人の撮り方は喜劇とか無声映画の味が...そうそうシンプルで基本があって.ほんと,小津の映画には日本人の丁寧な生き方がありますね。
    David Bordwell "Ozu and the poetics of cinema" Princeton University Press いい本です.
    亡きお父さんは昭和9年生まれ,ぼくの母と同じですね.戦争一色!たいへんな時代を生きてきて.今こういう時代.どうなんでしょうかね.今ぼくたちがやっていることはその次の時代に...
    「ピカドン」という作品ですか,爆弾ですね.なんか長岡の花火をそう思い出す人もいるようです.夏がおわります.

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