一たん鑿を握ると、富蔵の仕事は早かった。早いだけでなく驚くほど精緻な線を無造作に彫り上げて行く。この腕があるために、遅く来ようが、早めに仕事を切り上げようが、酒の匂いをさせようが、富蔵は誰にも文句を言わせない。口喧しい親方の安五郎も一目置いている。そういう男だった。だが富蔵の不機嫌な顔は、一緒に仕事をしている連中をうんざりさせる。惣助はもっぱら文字を彫っている最中で、合間にみんなの鑿をといだり、板木を買いに出たりする見習同様の若者だったし、磯吉も花鳥、風景は一人前にこなすが、美人絵の板木は首から下までしか彫れない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です