無事

大徳寺447世/拙叟宗益(せっそうそうえき)の墨蹟(1850年ごろ)。昔の大徳寺は謎ばかりで想像することがとても楽しい。塔頭のひとつ玉林院の13世住職で、茶の湯に深く関係があったこの高僧の書は兼中斎好み(おそらく惺斎好みの影響?)。茶掛けというよりは、純粋に禅語に前大徳の花押と白文印朱文印とセットを拝見する。残念なのはこれには関防印はなし。一文字の宝珠と玉文様はおそらく袈裟裂に金で複雑にのせ、如心玉紹巴の原点のよう。他天地中廻し柱すべて同じで、とても単純な表具。言葉通り。
1847年に、先住の月舟宗中が遷化され、これまで師匠から受け継いで実践してきたものを自らの備忘のため、また将来の玉林院の師資相承を願って、『玉林院年中行事』を書いておかれたのであろう。原文は、禅の専門用語が多く、詳細を極めているらしい。その書との関係、、、内容は狭義の行(修行・勤行・寺務など)つまり禅院での生活全般である。当時の玉林院は塔主(たっす)/住職を中心に、役務を分担して修行される僧院であった。大庫裏の中は、典座(てんぞ)や納所(なっしょ)など、そして茶堂もあったらしい。やはりこの頃の茶坊主さまの生活はとても興味深い。1845年、10代吸江斎祥翁宗左は拙叟宗益より【安祥軒】の軒号を与えられている。

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