大槻如電宛

高田忠周書簡と肉筆の書が手に入った。ヤフオクで偶然見かけて、うちのアーカイブに。ちょっと興味深いのは、この手紙はうちの近所から近所に送ったものだ。実におもしろい!このような消息が残っているとは。
封筒の切手が剥がされているので、正確な年が不明なのが残念。竹山が大正14年から昭和5年ごろまで東京府日暮里町字谷中本175番地に居を構えていたことは奥付などで知っていたが、この印は!確実だ。それも文彦の兄の如電ともこのような交流があったとは。この辺一帯は文字天国だったのだと。
なお、『五體千字文』奎文堂、1880年刊。有名な『五體字類』西東書房、1916年刊が後に大ベストセラーとなる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853475
http://seitoshobo.jp/gotaijirui.html

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