ご苦労さま。

その四、礼儀を知らない非常識さ。
挨拶というものをしない。普通はよく若者が槍玉に挙げられるが、そうではない。80にもなって非常識極まりない旦那。まず引越しの挨拶は、ゴミ出しのついでで、偶然に顔を合わせた時に「あっそうだ!」その一言で相手を捕まえて、自分の言いたいことを一言二言と始末の重要なことを相手に告げ、返礼の品を渡す。とんでもない習性だ。失礼極まりない。そして似た者夫婦、奥方は、ちょっと留守中をねぎらうために気持ちばかりのお土産を差し上げても「私はあげていないのに、、、」手を振って断る。せっかくお互いの気分を少しでもよくするための行為が逆にあだになった。下町の近所付き合いのいろはを知らない(隣と言っても、ほんとうにくっついているのですから、好きでくっついているのではないが)。町会の回覧板は彼らが長年仕切っていたが、二週間遅れで(締め切りものは役立たず)平気でいい加減に回してて、本部から昨日きたとかよくわからない言い訳をしていた(責任感が一切欠けている)。

普通の人であれば、このような長い間、こちらは地主であって所有者、彼らはそこを使用している借地人であって仮住まいの身。江戸時代だったら上下は明らかである。現代はこの理論は通用しないが、上下はないにしてもお互いお世話様の気持ちが発生して当然。嘘でも一言、こちらに礼をいうのが当たり前。常識がないというしかない。今まで40年以上もうちの庭の敷地をお貸ししていた夫婦のことを何も知らなかったとは、、、ぼくにも落ち度がある。かといってこのような輩をいちいち気にしていたら仕事にならない。

受けた教育ではないのかもしれないが、一度も社会に出ていない夫。子供のいない世間を知らない妻には、おそらくごく当然の行動ばかりなのであろう。ぼくには妻子はいないが、大学教員をしている時に、長岡にすむ学生の親に、いわゆる親身になって話をした記憶がある。実の親以上の気持ちがないと地方都市の大学教員は務まらない。父親は泣いてぼくの話を聞き入っていた。さて、この輩とうちとの過去を調べたいぐらいだが、父はこの世にいない。一通の覚書が残っているだけ(この借地人だけにこのような書類=何を意味しているのか?)。これはぼくの想像だが、彼は満足に教育を受けていない哀れな人。10代で故郷から集団就職で出てきて、ある時、職から外されたのであろう。ちょうど40歳くらいで独立と同時に親からの遺産を手にし、うちの家作に。高度成長期に二流の仕事でそれなりに。町会の人付き合いは例外で、最近まで積極的に輪投げなどをしていた模様。最後まで、荒川区でなく台東区に籍を置いていたのにも何か訳があるのだろう。ここ近所の職人とのつながりはない(情報もネット上に一切ない)。うちの父は銀器組合の審査員をしていたのに、何も輩のことを語ったことはなかった。よく思い起こしてみると、とても少ないぼくの彼らへの記憶として、唯一の事実は中学生の頃だったか、(高いアンテナを立てて)ハムをやっていたようだが、今この空き家の配線は素人(ビニールテープで粗末に巻いているだけ。先の朝鮮の方と全く同じ処置で、火災の恐れあり)。それと法華経だと思うが、よく鳴り物を叩いていたような(現在は、あまり耳にしない祝詞のようなとても短い念仏=気持ち悪いので仏壇があった床の間には、塩を撒いた)。最終的に本当に性分を知りたいのでできるだけ探ってみた。

契約時には、全く相手の人の顔を見ない、視線をできるだけ合わせないで意識的に避けている。ぼくは一瞬も離さず相手の瞳を見続ける。しかし絶対に目が合うことはない。引き渡しの時、総額の現金を相手の目の前に積んで見せた(送金の書類では何も起きないダメだ)。どうだ、礼を尽くすか。目はこちらを見ないが、初めて脱帽し一礼した。やっとした!失礼な輩が初めて礼をした。
この軽視(仮称)夫婦、人生で巡り合った人間の中で一番底の人間だった。【ごくろうさま】とは、ぼくは今まで使ったことのない言葉で、普通は「お疲れ様」を使用する。使用人など目下に対する見下した差別的な言葉と今まで思っていた。始めにこの言葉をこの連中から言われたとき(家の前の掃き掃除をしていた)の不快な気持ちが今も忘れられない。したがって、ぼくはこの人たちだけに意識して、何があっても、どんな時にも、不自然でも、お会いしたらこの言葉だけを口にすることに決めた。(仲介者を通しての交渉だったので、特に回答を求めることはないし)。
この「ご苦労さま」という言葉を受けてから、まずは相手を正確に知るという戦いが始まった。とにかく恐ろしかった。ぼくの周辺には全くいないタイプで想像がつかない未知の人間が相手である。まだまだ小さな出来事は山ほどあったが、ぼくは63年生きてきて、このような非礼な人間に初めて出会った。最悪な気持ちが何年も続いた。なので今年末のブログにこのまとめを記して終わりにする。来年はこれらのことを全て忘れ、新しい清々しい年にしたい。

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