令和4年9月号 同門

4ページにA氏について載っている。K氏の頃から、、、なるほどと思う。世に対する姿勢が利休や元伯宗旦の頃の真逆なのだと感じた。先日まで紀州徳川家のことが連載されていたと思ったら、全く矛盾した昨今である。即中斎(最後の家元)が現代化(革命)していなければ、ぼくのような人は茶の湯を嗜むことはできなかった。深く知るにつれ、益々ぼくは而妙斎、猶有斎の時代の茶の湯には親しめないということであろう(両家元の道具と軸はひとつもない)。バーゼル派や琳派のように流派には終わりがある(例え、館が現存していても、目に見えない人の精神なのだ)。

「同門」という冊子のタイトル文字は即中斎筆である。このことがすべてを物語っている。

付記:数寄屋の棟梁 笛吹嘉一郎が戦後の宰相の好みに応じ創意と技を注ぎこんだ貴重な茶室「箕山居」。東京K氏邸(南平台町?)にて昭和33年完成の建物を、昭和47年に山口市泉都町へ移築。https://www.ymg-takken.or.jp/property/detail?p_no=000001455602

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