天然忌の円相

即中斎の円相の多くは中心に「夢」と書かれているが、そうではなく四角の枠の中と外の二円相。花押と箱書からしておそらく若書。家元1936–1979年なので1940年代の戦中であろうか。円相の大きさは各々、茶碗の中と同等に見立てることができる大きさ。小さい=おそらくちょうど即中斎の点茶での茶筅の纏めの大きさに匹敵。中に「天然」外に「坊守リヘ」ではないが、うちではこのお軸を天然忌に掛けるとする。如心斎から数えて六代後の家元の円相を。もともと、家元制度の基を作り出した中興の祖といわれる如心斎に敬意を表するために居士の遺徳を偲び9月13日に「天然忌」が営まれる。残月亭の床にその円相が掛けられ、白い芙蓉を入れられ、お茶湯を供えらる。肖像画はない。

それにしても、ゲルストナーの講演の衝撃的な円相もすばらしかった。思い出す。今日は重陽、菊の道具はまだない。

茶筅

このような茶筅がある。驚いた。アルコール消毒ができる。よくある店先で和菓子と抹茶を振る舞うための道具には最適である。しかし、これは茶道では使えない、ありえない。使う気はしないが、きちんと点つのだろうか? 茶筅はとても微妙な道具で、竹であっても反発の具合で、茶碗の茶溜りとの関係などで全く点ち方が変わってくる。

茶筅とうじをしている時、竹の繊維にお湯が滲み入ってゆく香りがなんとも言えない。点てている亭主本人しか味わえない。精神統一の香りそのもの。

不仙斎自画賛

雪登希や 飛石一ツ 二ツ 三ツ

お盆は今日で終わり、茶通箱(ここのところ毎週日曜この稽古ばかり妹とやっている)5回目、あまりに暑いので、床の掛物から冷気を。この水墨のすごいのは、紙の白すべてが雪であること。何も描いていない空間は雪という物質を表している。先日見かけた鈴木其一のおそらく真作の「瀧図」は高価すぎ(肝心な空間が虫喰いだったし)、この雪の白は完全なる静かな紙の力があって、あの瀧の水はここまですごくない。まさしく「意味を持つ間」である。ぼくが持っている唯一の画賛の茶掛(優れたバーゼルのポスターと同意)。掛ける時期が違うのでは、とお叱りを受けるかもしれませんが、あえてぼくはこの猛暑の今。

全く興味がないけど、冷水点というのがあって、茶碗のなかに氷の溜まりが(点ててから入れるのだろうか?)、、、おそらく実際の温度が冷い抹茶を、単に飲むだけのこと!

直入造 青竹蓋置 官休庵(有隣斎)書付

このようなものがあるんだ。ヤフオクで6月30日107,000円で落ちた。

ビックリ、ぼくの覚入造とソックリ。この樂印の位置まで(ホツレはないが)、、、本歌はなんだろう。正月しか出さないのだけど、今日はこの話題で客人のために。この竹が奇妙なのは四角っぽい。理由はわからないが持ちやすい。柄杓も掛けやすい。風炉用の感じもする。この作風は14代のような感じがするけどな。いずれにしても、とてもお気に入りの可愛い蓋置。

久田宗全の赤樂

写メでは絶対に感じとることができない。
うっとりする。とても落ち着いた色で、人の肌のような茶碗、持つと手に愛おしいの小振半筒。5月6日が命日ですので、1707年のちょうど一昨日没。しかし、この茶碗は確かに今でも呼吸をしている。湯を入れる前、古い茶碗なので、とても神経を使う。ノンコウとはある意味違ったよさを持つ茶碗だと思う。不及斎書付

堺湊焼古もの赤と交互に使っているが、この味わいも好み。===あえて、ぼくの茶碗のことを少し載せた。非常事態が解けて、早くこれらにふさわしいお客がいらっしゃることを願ってやまない。茶碗を選ぶという意味は、その時唯一お客の口に触れる道具を見定めること、真剣勝負。

#一服チャレンジお茶碗バトン

ひどい有様。「利休さんもSNSしていたでしょうね」なに寝言言ってんでしょうね。この時世を真剣に考えてほしい。
このことに関係するようだったら、薄っぺたい情報が理解できるし、全く理が通る。茶碗の情報は、一般と同じレベルで軽く外には出してはいけない。(おそらくある基準があって)最小限であるべき。このようなひどい風潮を作るなんてもってのほか。

令和2年5月号 同門

毎号、楽しみにしている。
昨日届きましたが。24ページが16になってしまった。ページ数だげなく、内容が薄っぺらい。
このようなときこそ、家で茶の湯ではないのか(拙いが、ぼくは、毎日点てている。母の分と自服)。何か気の利いた一報があるのではないか。如心斎だったらどうするだろうか。
風炉にかえた。そして気温も急に暑くなった。静かな茶の湯のひと時、いろいろ思いをめぐらせ、このようなときの心の支えとなる。
追記:まだまだだ。思いをめぐらせてはいけない。無一物。坐禅と同じ。毎日、同じことの繰り返し。