尾形乾山の系統

素晴らしいサイトを見つけた。
http://www.ab.cyberhome.ne.jp/~tosnaka/201202/kenzan_densho_keifu.html
江戸では口述伝書:
次郎兵衛
宮崎富之助
抱一上人
西村藐庵(鈴木半茶)
朝岡與禎
三浦乾也
松沢
大槻如電=日暮里

京都では陶器密法書、後に江戸へ:
猪八
清吾
(この間不明)
芳村観阿
梅屋菊塢(隅田川焼)
佐原家=向島

心に余裕がある人の特徴

・優先順位が明確
・自己肯定感が高い
・先を見通して準備する
・穏やかで落ち着いた言動
・冷静に判断する力がある
・誰に対しても謙虚な姿勢
・周囲と自分を比較しない
・視野が広く周囲への気配りができる
 もしもの場合に備えて準備をしている人は心に余裕がある。

すばらしい。この通りだと思う。
今朝、SNSを見たら偶然載っていた。最近は、ほんとに各SNSを見ないよう、載せないようにしている。
FBはタイムラインにその時出たアタマの五個ぐらいを一瞬見る程度。TWはほとんど見ない。
FBは何年か前に載せた写真が懐かしい場合だけシェアする。でTWはほとんどツイートしない、利休百首でその時全く同意したのだけリツイートするぐらい。とにかく真剣にやっていない。本当にバカらしい。こんなものに時間を費やすなんて貴重な人生自体を無駄にしている。はっきり言って、他人が何をしてようと関係ない。そんなもの見ているから、ひがんだり、しっとする。人間は弱いものということを知るべき。とにかく自分をより以上に律すること。

國華

引用:『國華』は1889年(明治22年)10月に日本の優れた美術品を広く知らしめるため、岡倉天心、高橋健三、フェノロサらにより創刊された美術雑誌である。現存する美術誌としては我が国最古、世界でも2番目に古い歴史を持ち、現在は朝日新聞社 https://publications.asahi.com/original/zasshi/kokka/seiwakai/ が発行している。
 日本が所蔵する優れた美術品(日本美術と東洋美術)を木版および写真版によって忠実に再現した複製版画を一、二点掲載し、日本のみならず欧米諸国に広く紹介した。学術雑誌として世界に高く評価され東洋美術研究には必須の資料であり、海外の大学、博物館、美術館、美術史研究者らが活用している。
 國華創刊当時のヨーロッパは熱狂的な日本ブームで浮世絵等の木版画の需要が高まり一時衰勢していた版元界は勢いを取り戻し200数軒の版元が昼夜を問わず仕事に打ち込み木版画の隆盛期であった。江戸時代から培われてきた木版画の技術はますます進歩し制約の多かった江戸と違って明治政府の援助も受け木版画史上最高とも言える技術と高価な良質の紙、絵具をふんだんに使って作られた。神業的な技術を待った職人達の手により絵肌の質感、古色や保存状態までもが緻密に再現され、版木が60、摺り数が100を越すとも言われる気の遠くなるような作業であった。その美しい精巧な日本固有の色摺木版画は発行部数も少ない(約200~500部)ため入手困難で、貴重な資料であると同時に貴重な美術品であり、これら贅沢な図版として掲載された世界に類を見ない極致、極限の木版画である。またその他、玻璃版(コロタイプ)の技術も一部併用された。
 https://www.akanegarou.com/profile/kokka.html
興味を持ったのは、岡倉天心が存命中明治39年に発行された:
木版彫師=新部寛次郎
摺師=和田藤吉
薄葉紙解説:
印刷人=野村宗十郎 
印刷所=東京築地活版製造所
発行人=村山旬吾 
尾形乾山作 桔梗絵茶碗(すごく琳派らしい!)
現在国立博物館蔵なのか行方不明、この美しい下谷乾山?の茶碗、もし存在するなら実物を拝見したい。しかし前にも意見を載せたように乾山に絵がどう見ても似付かない茶碗は論外(調べても確かな真作茶碗は多くはなく、こんなにもの種類の「乾山写」茶碗があるのは本当に不思議)。派手な変な絵茶碗よりこの版画の方が謎で趣があり魅力的、これを掲げておいしい茶をいただきたい。

正倉院の

正倉院の書蹟 1964
正倉院のガラス 1965
正倉院の楽器 1967
正倉院の絵画 1968
正倉院の紙 1970
正倉院の陶器 1971
正倉院の羅 1971
正倉院の刀剣 1974
正倉院の金工 1976
正倉院の木工 1978

宮内庁蔵版 正倉院事務所編 日本経済新聞社刊
ちょっと聞かれたので、、、懐かしい。
断捨離で、すべてとっくに手元にないが。いい本だった。

朧月楊柳之図 為三郎筆

西村芳海箱書、この方がお持ちだったのだろう。江戸琳派の静かで素朴な絵。おそらくこの絵は写真では再現できません。この付近根岸で描いたものに間違いない。其頃は「柳通り」はなかった、文彦の地図では「あんらくじよこ丁」という名称だったが、おそらく柳の並ぶ風流な三業の小道の前身があったのだろう。突き当たりには現状のようでなく屋敷があって行き止まり其脇を音無川、御行の松、、、
月は正円で、1964年のオリンピックポスターのように左右ちょうどに堂々と。しかし幽玄な姿をしている。これが琳派。重要文化財の[発色のよい群青と金泥で描かれた渓流のねっとりとした表現]とはまた違った効果を金泥で試みている。なんとも言えない存在感。
それに対して、柳は写実的な描写で、しなやかな三本の絡んだ枝と葉一枚一枚が今にも風になびきそう。楊花はひとつひとつかわいい。瞬間的に決まった完璧な構図、空間がかなりあるのに「菁々其一」の落款と「祝琳」の白方印の位置が幹の上に重なっていて、緊張感あり、極めている。こんな絹本は見たことがない。この一幅で精神が統一でき落ち着き、張り詰めた室内を作る。1858年に63歳歿、ということはちょうどぼくが生まれた百年前か。不思議な絵だ。「鶯の舎主人」はいわゆる「御歌所」の寄人で、当時一級の文化人の一人。いろいろな作品を目にする機会が多かったと思われ、よほどこの作品を気に入ってられたのではなかということです。

「鶯の舎主人」はどういう人だったのだろうか?岐阜の関というところにいたらしい歌人、、、このような絵を持っていたとは。

「コロナ前」「コロナ後」

ここのところ感染者が極端に減っている。こう言える日がきたのか。そうなることを願う。
[ 戦前には、両親をはじめ大人たちが過去のを語る時、「震災前」「震災後」という言葉を口にした。東京に住んでいる者たちは、大正12年9月1日の関東大震災を時間の大きな節目にしていた。それが私たちの世代になると、大東亜戦争と称された戦争が敗戦によって終結した昭和20年8月15日がそれに相当し、「戦前」「戦後」という言葉を使う。…] 吉村昭『東京の下町』p.220

武島羽衣 秋草

いろいろに なく秋の夜の 虫の音を 色にいたせる 野べの八千草

「春のうららの隅田川…」、瀧廉太郎の歌曲「花」の作詞者の秋の詩。いろいろな逸話があって、華やかな人だが、筆はわりと好み。一行軸で幅がなんと16cm、細長い。とてもモダン。ちょっと教育者の軸とは思えない。

扇面画題

抱一筆「扇面雑画」

1 白梅 
2 桜 
3 桃 
4 柳 
5 早蕨 
6 蕨と蒲公英 
7 菜の花に蝶 
8 桜草 
9 藤 
10 鉄線 
11 水草に水黽 
12 沢瀉 
13 河骨と太蘭 
14 布袋葵 
15 枇杷 
16 蘭 
17 酸漿 
18 露草 
19 撫子 
20 山帰来 
21 芒と嫁菜 
22 萩 
23 烏瓜 
24 柿 
25 吹寄 
26 雪中藪柑子 
27 若松と藪柑子 
28 譲葉 
29 水仙 
30 墨竹 

31 瓜に飛蝗 
32 生姜 
33 茄子に蟋蟀 
34 結び椎茸 
35 豆と藁苞 
36 大根に河豚 
37 瓜草に雲雀 
38 鷭 
39 稲穂に雀 
40 枯蓮に白鷺 
41 蝶と猫 
42 鹿 
43 目高 
44 蝸牛 

45 藁屋根に夕顔 
46 浜松 
47 蓬莱山 
48 秋景山水 
49 田園風景 
50 雨中山水 
51 破墨山水 
52 社頭風景   

53 五万米と水引 
54 鶯笛と若菜 
55 盆栽 
56 稗蒔 
57 玩具 
58 五徳と羽根箒 
59 籠に雪紅葉 
60 布袋

其一筆「十二ヶ月図扇」

1月 若松福寿草 
2月 彼岸桜 
3月 曲水 
4月 難波薔薇 
5月 鍾馗 
6月 凌霄顆
7月 花扇 
8月 月宮殿 
9月 菊慈童 
10月 桜花帰り咲 
11月 雪中鴉 
12月 追儺式

残念、いずれにも黄蜀葵はない。