音無川文庫/StudioMap試作

とうとうできあがってきた。大槻文彦作根岸及近傍図の現存する道をGoogle上で追って正確に現地確認確認し作図している。時間と手間がかかる作業。右半分と左半分の縮率が若干違う、そして方位傾きが微妙に違うのには深い理由があるにない。
versionはまだゼロックスコピーなので0。印刷物になると1に。

紫林絶学道人

これこそ、細物にて姿良し。さらっと書いて、真下中心に落款、とてもいい書。
絶学無為閑道人(ぜつがくむいのかんどうにん)、永嘉玄覚(675–713)の『証道歌』の劈頭に出てくる有名な禅語。
「高捲昑中箔 濃煎睡後茶」とは、おそらく茶による心の解放という意味だと思うが、禅における睡眠欲、煩悩がなくなることか。坐禅中の眠気を茶が覚醒させる。この真意を解く言葉なのか。「喫茶去」「喫茶喫飯」とかでは、話が深まらない。『禅林句集』の謎に迫ることも。白居易は何者なのかも。悦叟妙怡【457】の草書は見たことがない。印だけでは贋作かも。しかし理由なく、どこか気に入ってる。

吸江斎在判 傳来捻貫写 一重口水指

七十才永樂了全造、即中斎書付。隅炉だから、客の視線は常に目の前の水指。とても重要な道具でうちの茶室の顔といえる。和物土物、日本で造られた陶磁器製の水指のこと。『利休百会記』にあるように、瀬戸水指が圧倒的に多く、今まで勝手な解釈で稽古用の黄瀬戸一本でやってきたが、とうとう侘茶の趣のある水指を手に入れた。

捻貫(ねじぬき)は、胴に荒目の螺旋状の轆轤目の凹凸をつけた焼物。 表面がネジのような形をしていることから捻貫手と呼ばれるようになった。 本来瀬戸茶入の手分けの一で、四代藤四郎より後の瀬戸後窯(のちがま)と伝えられる茶入に見られるもので、捻貫水指は利休所持のものがあり、江岑のときに紀州徳川家に献上され、内箱蓋裏に「祢ちぬき」、中箱蓋裏に如心斎が「祢ちぬき 御水指」、外箱蓋裏に了々斎が「利休所持 瀬戸祢ちぬき 左(花押)」と書付のあるものが有名。
一重口水指としてみると、信楽の銘「柴庵(しばのいおり)」利休所持(東京国立博物館蔵 重文)に雰囲気が似ている。古瀬戸のようだが違う。一重口(ひとえぐち)とは、口造が内側に折れ込んだり外側へ反り返ったりせずに真直ぐ、胴は寸胴形で、底は板起こしで平底の水指。

西村宗禅(初代)から西村宗巌(9代)までは西村姓、10代了全(1770–1841年)西村善五郎。天明の大火により全焼した西村家を立て直して工房を整備した。「永樂」の陶印を初めて用いる。千家出入りになったのも了全の代から。樂了入(9代樂吉左衛門)と親交があり、同じ町内に移り住むほどの影響を受ける。家代々の土風炉作りのほか中国の釉薬を研究して茶陶を製作した。12代和全の代から西村でなく永樂姓を名乗り、さかのぼって了全と保全も永樂の名で呼ばれている。現在は十職。

頂き物の自作茶杓 その2

また頂いた。
• 欅にて、無節だが、節裏が少々曲がっている。とてもシンプルでモダンな感じ。
長さ:19.1cm
「巌」と銘をつけた。
• 白竹。節細い一文字。直腰。 櫂先折撓。露丸形。切止に焦げ跡が品良くある。
長さ:18.1cm
「お水取り」と銘をつけた。

今週の稽古早春にあわせて。いずれも藤掛宗豊作。また、自主稽古で使用してみることにする。

AERA 1954号

「輩」は健在。
跋扈(ばっこ)するメディアに未来があるとは思えないではなく、未来はない。当然「専門バカ」とも言えない「バカ専門」としか言いようがない。ほんと有識者会議や有名人のコメンテータが中心の番組など、嫌気がさす。もともとメディアにチヤホヤされて、この職(タレント)についたのだから、責任とってから足を洗ってほしいものです。
一方、今やどのようなレベルの人も、同じステージで言葉を発する。そのようなネットメディアで言論の優劣がつくのか、いやそのような判断ができるのか評価がどのようにできるのか。人気あるユーチューバーが世界を支配している今日、全く見かけの世の中なのだ。
なので全く興味がない。とにかく理屈はおいておいて、戦争(大量殺人と大量破壊)はやめてほしい。

@260yamaguchi

山口二郎氏のツイート:ロケットの件、失敗という言葉をなぜそんなに嫌がるのだろう。人も組織も失敗するのが当たり前。失敗の経験から学んで進歩する。こんな当たり前のことが通らないのか。私の人生なんて、失敗の連続。進歩できないのが悔しいところだが。午後2:39 · 2023年2月18日

滅多にTwitterから引用はしないのですが、これはとても的を得ているので。
「失敗」について、ぼくも自身の人生は失敗の山だと思っている。今まで成功はほとんどないし、期を逸してもう立ち戻れない。しかし前に進むだけなのだと思って今も続いていて、人生の終わりまで、そうなのだと思っている。

大反省1

30代に夢中でやっていた長岡にバーゼルのようなデザイン学校をつくるという無謀な考え。

今おもうと全くあり得ないこと、若いとはそういうもの。地形、文化や歴史を熟知しても、住むとは違うということ。理論や仮想ではない。ワインガルトがよく言っていたreality。ぼく一人が何かやってできるようなことではなかった。今という時代をみて、あの時辞めてよかった。