日本語タイポグラフィ

Aoki Hiroshi [99.12.18_22:38]
下位の、日本語の組みに関する悩み、を読んでいたら、思い出しました。 高齢のご婦人が、言われていたのですが、 「今の若い子のように、横書きで文字を、書くことができない。」 これ聞いたとき、軽いショックを、受けました。 欧文の美しさ、だけでなく、日本の「書道」も見直してみたら、 新しい組み方の、発見が、あるのかも。 でも、ぼくは、小学校の「習字の時間」が、大嫌いだった。


koizumi [99.12.19_17:33]
そうかやっぱり日本語の組み。。。ね。 山本氏の論にも同じようなことが出てきますが、日本語の文字の形態は基本的にたて組みに合ったものです。ぼくは思いますが、その形態をした文字をそのまま横組みにして、スペーシングを厳密にアルファベットと同じように調整することはむずかしいと思います。つまり、日本語の組みはそれとは違った(書とも違う)独自の美を持っていると思います。 要は、ぼくは細かいことごちゃごちゃ論じるより、そのひとにとって美しく 読みやすく* 感じる組みが存在すれば良いのだと思う。 習字と書道とはちょっと違うと思うけど、個人的にはタイポグラファーの初心者はあまり混同しないほうが良いと思います。ぼくにとってはタイポグラフィとはまず活字。すでに存在する文字を自分の中でどのように使うということが出来なくてはね。異論は多数あると思いますが、ハンドライティング(カリグラフィ)はぼくにとっては別のものとして解釈します。よかったら、「デザインの現場」の連載5の「文字をつくる人、文字を使う人」(『タイポグラフィの読み方』の4章)を読んでください。 *に関してはいろいろ論があります。。。今まとめ始めている最中。



251 n [2002.3.1_12:44]
本当はカタカナのことについて再び質問したかったのですが、小泉先生がその「実験」に取り組まれるようになったのはいつ頃ですか?スイスに留学された前と後では、カタカナ(もしくは日本語)についての考え方にどのような変化がありましたか?縦書きのカタカナは記憶に残りにくい、ということはありませんか?


252 koizumi [2002.3.1_21:22]
カタカナの実験ですか〜、ンー。いつかな?ミキさんとお会いした頃。。。18年くらい前。スイス以前と基本的に、今でも思いは変わっていません。ただカタカナだけでは現在の日本語表記は無理というのを確信しました。それは大正時代のことばの状況とは全く違うため。でも本当にカタカナ、ひらがな美しい文字だと思います。とりあえず、これだけでいいでしょうか?カナモジカイのルールで組まれたものを毎日読んで何年もやっていると慣れる。よみやすい、記憶にも残る。ことばとはそういうもの。あと、文字とはおそらく制約の中でやりくりできるものなのではないでしょうか。きっと日本人は良いと思ったら、どんな文字でも操ってしまうのでは?追記:ぼくの研究室の修了生(当時)矢尾板くんがぼくのアイデアだったカナユニバースを作ってくれました。これはミキさんのカナをプロポーショナルにして、スペーシングをコントロールできるようにして、なおかつ欧文書体のユニバースと混植できるようにウエイトをコントロールしたものです。っといった感じで、カナについては、一生なんらか、やっていくでしょう。


253 n [2002.3.2_16:21]
小泉先生の方から「カナモジカイ」というコトバがありましたので、少し書きやすくなりました。『タ読方』を最初に読んだとき、5章で小泉先生はご自身を「漢字排斥論者ではない」と書かれていらっしゃいましたが、プロフィールに「カナモジカイ」とあるのを見て、個人的にはあまり説得力を感じなかったのです。今はタイポグラフィという分野から十分理解できるのですが‥その、つまりカナモジカイが民主的な思想によって結成されたことは理解しているのですが、私自身は言語や文字を、文化・表現・伝達、という前に、政治的なモノと考えているのです。国、民族をまとめるというか‥。その感覚を乗り越えて、少し引いた観点で考えないと「カナモジカイ」と「タイポグラフィ」が直結しませんでした。それで日本を離れていた時期に何か特別感じられたことがあったのでは、と。。でも‥そっか、今まさに書いていてわかることがありました。・・私は未熟者です。小泉先生にとっては自然なことだったのですね。カナモジカイって気になるのです。活版をしていてもルビの問題で関わってきたり、タイポグラフィを調べていてもしばしば登場します。図書館で見る冊子「カナノヒカリ」は、なんだがカワイイし。あのタイトルは本当にイヤミなく「ぴかっ」と文字がヒカッてます。縦書きカタカナ:「慣れ」。。なるほど・・・。私の名前は漢字だと正しく読んでもらえないことが多いので、名刺をカタカナにしたのです。そうしたら、名前を覚えられない人が続出です(笑)。縦書きのせいかなぁ、と思ったのですが、見慣れない違和感が原因ですね。カナユニバース?レクチャーでも紹介してくださってアレですね。


254 koizumi [2002.3.2_20:53]
「カナモジカイ」について、日本のタイポグラフィについて、確かに複雑で、今は年をとってきたせいか、いろいろなことを考えるようになってきました。つまりafter Basel。ミキさんとお会いした頃はほんとうに純粋というか、自分の中で日本語に機能的で明確な軸がほしかった。ぼくは工学部出身だったせいか、あのようにきちんとしているアルファベットのようなカナ、当時1970年代コンピュータからでてくる文字(テクノの文字という感じがした)がカナだったのです。当時まだ「カナモジカイ」が存在していたのにビックリしました。それと『カナノヒカリ』のミキさんの論文の抜き刷りに感動しました。いつのまにか、仕事がない週末には音羽のミキさん宅におじゃましていました。その頃細野さんはやっぱり音羽のLDKスタジオにこもっていて、ぼくの活版印刷を見てくれました。(また時効=毎晩ちがうお客さんがくるLDK、ゲルニカの2人、風吹ジュン、倉本聡。。。おもしろかった)とにかく、刺激的な日本語タイポグラフィでした。単純に考えてください。欧文書体はさまざまなプロポーション、ディテールのものがあります。日本語は本当に現代になって冒険がありません。あのフーツラを生み出したパウル・レンナーだってそれを生み出すまでににいろいろ試行錯誤しているのです。何かsomething newが必要でしょう。そうでした、nさんの名刺。カナユニバースver.1は近々なんらかのかたちで発表しましょう。



316 ユウコ [2002.5.28_17:50]
小泉先生、今日は日本語でのタイポグラフィについて質問があります。私はアルファベットでしかタイポグラフィを学んでないので、愚問かもしれませんが。アルファベット文字の大きさを考慮した文字の間隔などありますが、(例えばOはHより幅が広いなど)日本語でもそういう基本など、あるのでしょうか。お時間があるときでいいので、さわりだけでも教えていただけたら、と思います。では今日もがんばります!


317 koizumi [2002.5.28_18:31]
いろいろとがんばります。そうですね、基本的には(狭い意味では)タイポグラフィとはTypographyであって、アルファベットの世界で語られるべきだと思っています。しかし、日本語もアルファベットと同じように使われてきている以上、同じようなベースで基本を勉強しなければなりません。ご指摘の文字を組む時のセットの幅について、アルファベットはその文字その文字に対してふさわしいスペースを与えることを基本にしていますが、日本語の書体設計はそうではありません。したがって全く違った考え方で美しい組み版を考えていかなくてはなりません。どのようなことをすれば読みやすいのか?美しく見えるのか?いろいろな意見があります。おそらく、そこを追求していくことに日本語のタイポグラフィの醍醐味があるように感じます。



455 koizumi [2004.10.3_21:53]
@女子美アートミュージアム
2004年11月17日(水)〜12月20日(月)「タイポグラフィ・タイプフェイスのいま。デジタル時代の印刷文字」が開催されます。@女子美術大学相模原校舎2号館 224教室
2004年12月4日(土)◎パネルディスカッションの2.「デジタル時代のタイポグラフィ デザインを語る」に参加の予定です。10月4日から一般申込をホームページにて受け付けています。


467 koizumi [2004.11.5_21:14]
タイポグラフィ・ タイプフェイスのいま。デジタル時代の印刷文字
展覧会・シンポジウム開催に合わせて、設計者5名の10書体と、 シンポジウム出席者の執筆文を記載した『図録』のテスト版20部が来週早々でき上がるそうです。打ち合わせで内容を詰めていき、シンポジウムの講演を決定します。そのように森啓先生からご連絡をいただきました。ぼくは最近の仕事をベースにできるだけ多くの人たちに、わかりやすいお話をしたいと思っています。


471 koizumi [2004.12.5_13:58]
昨日、女子美において「タイポグラフィ・タイプフェイスのいま。デジタル時代の印刷文字」シンポジウムが開催されました。たいへんたくさんの人たち、大盛況で幕を閉じました。森啓先生をはじめ、熱心にこの会を運営されたきた方々のご尽力の成果だと思います。どうもありがとうございました。第一部の日本を代表する書体設計者5人の講演ですが、おそらくこのように同時に一同を介しては、今後なかなかできないことだと思います。内容もすばらしかった。とにかく、この方々からひとりでも欠けたら日本の戦後の雑誌(現在も含め)などの印刷物(テキストの部分)は真っ白になってしまうのですから。。。すごいことです!ぼくの講演はちょっとなさけなかった。。。やっぱり、あがっちゃったし。



COCOON [2000.4.10_23:07]
日本語がとても好きな者です。 タイポグラフィは、欧米語でなければならないのでしょうか。(そのようなはずは・・・) また、参考文献にドイツ系のものが多いのには、何か理由があるのでしょうか。 これすらも、初歩的な質問でしたらごめんなさい。 わたしもこの春から独学でタイポグラフィを学ぼうと思ったものです。


koizumi [2000.4.11_10:58]
もちろん日本語タイポグラフィあります。タイポグラフィはドイツ語以外の外国語にも存在します。ぼくが弱いだけです。というか、おそらくぼくがCOCOONさんの年の頃は少なくても貪欲にいろいろ勉強してました。20年の間に変化していったのです。今作っている本『タイポグラフィの読み方』にすこし書くつもりです。(『デザ現』のぼくの連載もすこしは見てください)。とにかく、独学はよいことです。ただ、きっかけは優秀な諸先輩方からできるだけ多くを学ぶことが良いでしょう。


もち [2000.4.14_2:37]
こんにちは 朗文堂主催のの矢作勝美さんの講演会に行こうとおもうのですが、 なんだか私は勉強が足りずとっても難しそうで、 なんだかちゃんと分かるか心配です。 テーマは「明朝活字を語る」です。活版印刷の成立から書体の話まで。 でも、楽しみです。 このチャットでも、おもしろい講演会などがあったら 情報をながして頂けるといいな、と思います。 お願いします。


koizumi [2000.4.14_9:25]
すばらしい。矢作さんの講演会に行かれるのですか。よかったですね。 ぼくは只今本の製作中で、これとチャットそして大学以外の用はすべて遠慮させていただいてます。 そういえば、この仕事の世界に入って一番はじめに日本のタイポグラフィの本を買ったのが矢作さんの平凡社刊『明朝活字』でした。そのころはあまり良い本がなくて、これはすばらしい本だなァと思いました。若い頃のなつかしい思い出です。 ご存知のように、ぼくは明朝体について詳しくありません。このチャットでは詳しい方が参加されないかぎり、正確な情報は得られないでしょう。ぼくは知りませんが日本語の組版やそのようなことを話題にしているフォーラムも存在しているようです。それ以上に、きっとこの講演会で貴重な情報を得ることができるのではないかな。 それから、そのほか講演会について、ぼくは日本のタイポグラフィの団体に所属していませんので、みなさんからどしどし情報をこのチャットに載せてください。ただ、朗文堂や日本タイポグラフィ協会などの催しや情報はそちらのホームページで紹介されているでしょう。いろいろサーフィンしてみてください。


もち [2000.4.19_2:25]
報告です。 内容はほとんど案内状にあったテーマにそって進みました。 スライドできちょうな資料をみながら話を聞く形でした。 上海美華書館から活字が導入されたいきさつ、江戸時代からの 印刷の流れ、秀英舎と佐久間貞一の話、活字、明朝体の特徴 と、いった感じです。細かい話しになると、ウイリアム・ガンブが 実際は何か月日本にいたのか、佐久間貞一の誕生した場所の話にまで 及びました。
へっぽこデザイナーアシスタントの私の報告ではあまりお役にたてないと おもいますが、気になる点がありましたら書き込んでみてください。 お答えできれば、したいとおもいます。 そこでもらった理想社の「四六判を斬る」という冊子がとても おもしろかったです。


2038 [2000.4.19_10:46]
Nummer zweitausend achtunddreissigです。「本明朝物語」では、西洋文化の輸入として上海美華書館をとらえ、ガンブル(Wlliam Gamble)の長崎での活字輸入について少しふれてますが、私は今そういったTypography全史(前史)にちょっと興味があり、できればその辺のことをお聞きしたいのですが。


もち [2000.4.24_1:44]
私も勉強をはじめたばかりなので、あまり詳しくありません。 すいません。 朗文堂のほうで今「明朝活字」の再販を新たに手を加えながら すすめているそうです。あと、簡単な流れを知れるというので、 富士通かなにかのホームページに活字の歴史の説明があります。


46 2038 [2000.10.12_0:52]
久しぶりに投稿します。以前上海美華書館のガンブル氏のことが話題になりましたが今読んでいる「本邦活版 開拓者の苦心」(株式会社ナプス発行)という本に少し載ってました。この版は日本における活版印刷の歴史もわかりなかなか面白い本です。旧字・旧かなですが、それも結構いいです。



124 nakano [2001.3.24_0:56]
「途切れ」という言葉に強い印象を受けました。この「途切れ」という言葉をいろんな意味で受け止めました。一つは前にもふれているような美意識に対する意味でも感じました。僕は大学で明朝活字の研究を行ったことがあるのですが、活字版印刷、写真植字、DTPと移項していくに従って、文字そのもの美しさが流通や生産性に次第にとって変っていくような感覚を覚えました。当時の明朝体の源流でもある築地体を見てみると、やはりデジタルフォントにはない美しさが潜んでいて、活字ならではの、種字彫刻師の手による強いこだわりが潜んでいます。書体一つの歴史を眺めてみても、その「途切れ」は強く感じることです。もう一つは個人的なことなのですが、制作におけるモチベーションについてです。作品を制作していく上で、できあがったものに100%満足することはなく、常に不満だらけです。ただその時点で結果として終わらせてしまうのではなく、いかにきっかけとして次に繋げていくことができるかだと、最近強く思うようになりました。僕はついこの間卒業制作を終えたばかりなのですが、それは研究の成果をある種のデザインに対する答えとして提示したのではなく、これからデザインというものをどうのようにとらえていったらいいかという一つの「きっかけ」を見つけることができたと思いました。そういう意味で「途切れ」という言葉はデザインにおいても、デザインをする者にとっても、気になる言葉だなぁと思いました。


125 koizumi [2001.3.24_21:38]
「途切れ」について、ここでは明朝体をはじめとしてすべてのタイポグラフィにおいてnakanoさんがいっている通りでしょう。また、ぼくたちは今の制作活動にどのようにそれが影響しているかを理解することなのだと思います。つまり、プロフェッショナルとは?です。ぼくはいまだに挑戦はしてますが、満足したことはありません。困ったことです。ぼくはnakanoさんの作品をみて、なにかを感じました。それはなにかお互いに気になる共通な部分があるのでしょう。おそらく、実は普遍的な部分であって、道具やコミュニケーションの方法が変化しても、それは真に残る部分なのだと思います。


[メモ]
この周辺の議論がもっとされたらよかった。


2 9722011 [2000.7.17_20:00]
初めまして。先日朗文堂より出版された『再現か、表現か』を読みました。タイポグラフィの定義について客観的に考えることができ、そしてまた自分のタイポグラフィ論というのを見つめ直す機会になりました。結局半分は山本さんと、河野さんの自分の中のいいとこ取りという卑怯な結果でしたが、久々に楽しみました。


4 koizumi [2000.7.18_10:23]
ついに来ましたね、話題の本です。こちらの大学院生にも疑問を投げかけています。悩むことはよいことですね。この本については、きっとみなさんいろいろ意見があると思いますし、最近刊の『ふたりのチヒョルト』という片塩さんの熱筆も読む価値あります。


[メモ]
『ふたりのチヒョルト』p.179にぼくの仕事が載っている。


67 2038 [2000.11.21_2:04]
こんばんは、2038です。また久しぶりに見に来ました。にぎやかですね。チャットについてですが私はそんなにマニアックだとは思いません。専門的なことだと、個人で趣味も偏ってくるだろうし。誰かがヒョイッと異次元空間から柔軟なお話を持ってきてくれるのでしょうか?それと確か今度の週末に京都の大学ですごいタイポグラフィ大会?があるみたいなんですけど、誰か行かないんですかね〜?


69 koizumi [2000.11.21_19:38]
そう。ここのとこまた、にぎやかになってきたね。なんか山谷あるね。でもこれ以上になるとぼくもたいへん。ところで、京都でって、朗文堂の関係の方々?ぼくは全然知りません。教えてください。


[メモ]
その後、日本タイポグラフィ学会の発足となりました。