活版

238 n [2002.2.18_1:47]
「もろい」で思い出したのですが、大規模な印刷会社では、解版した後の和文活字を、使い捨てで炉に投げ込み、溶かしていた、という話を聞きました。戻すよりも鋳造して活字を補充する方が合理的だったとか。ちょっと乱暴に思えたのでビックリしましたが、元職人さんは「でも、そうして何度も再生された活字は、鉛がもろいのから丁寧に扱かったよ」とも言っていました。不思議な話でした。。壊れやすいから丁寧に扱う、大事にする。というのはいろいろと気持ちに響いてくるものがありました。


239 koizumi [2002.2.19_20:58]
解版した後の和文活字を戻さなかったのは本当でしょう。職人仕事はあるときは大胆。あるときは繊細ですね。そのめりはりがいい!コンピュータではこのようなことができないですね。人間くさい。。。近々、うちのスタッフと印刷博物館に伺おうと思ってます。


242 n [2002.2.21_23:23]
印刷博物館、ワークショップは今月お休みですが、私の知ってる限りの情報です。休館日:毎週月曜。博物館だけでも十分見応えがありますが、館内の工房(印刷の家)は、独立した施設です。ガラス越しに、なかの様子や印刷機は見れますが、自由に入ることはできません。現在、見学(スタッフによるガイドツアー)は火・水曜日。木〜日曜日は活版の無料体験ができます。受付時間の確認、また団体や取材で中止になる場合もあるので、前日にでも問い合わせをした方が良いと思います。。う〜ん、まるで博物館スタッフみたいです。


243 koizumi [2002.2.23_20:56]
それと4月からなんと15年ぶりに本格的にデザイン活動を再開します。スタッフとその準備とかもありますし。とにかく納得しないと前に進めないのですね、これが。。。「敬意を私なりに込めたもの」なんと光栄です!印刷博物館も3月はスローダウンですか。まあ、はじめは気軽にちょっと立ち寄ってみます。ご親切にどうもありがとうございました。昨晩、今この上なく大切な活字を抱いて寝ている夢をみました。ハハハハ。


244 n [2002.2.24_1:32]
活字をダッコして寝る夢。。そっそれはロマンチックそうです。先月初めてピンマークの付いた活字を見ました。ステフェンソン・ブレーク。ネッキがコーナーにカツンと打たれていて、ちょっと変わっているものでした。活版通いが「おあずけ」のせいか、こういう話題を書いてると、私もまた博物館に行きたくなってきました。。


245 koizumi [2002.2.25_20:33]
すみません。このサイト上にあらかじめ情報を出せばよかったのですが。。。ほんと、ぼくはてんてこまいでした。「女を抱かないで、活字を抱いて寝ている」というのは、なんと平成明朝を設計した小宮山さんに、ぼくが20代の頃、面と向かって言われた名言です。もう時効だから言ってもいいよね。ぼくはそんな人生を歩んでいます。ちょうどその頃ピンマークつきの活字を集めまくってました。当時毎週のように町の活版印刷屋がやめていき、ぼくは週末にはそんな町工場のごみをマスクをしてあさってました。宝物は秀英舎のピンマークがついた初号明朝かな。みつけたときの興奮は今も忘れられません。それはカブトムシのように立派です。あとピンマークものではないけど、パリ国立印刷所の2ポイントの活字はカゲロウのよう(あれどっかいちゃった)。。。モノタイプ社の母型もいいな。。。きりがありませんね。以上、活版少年でした。


246 n [2002.2.27_10:12]
当時の小泉先生の様子がイキイキと伝わってきて、ちょっと感動でした。マスクして活字をあさっている姿がホントに見えてしまいました。



291 koizumi [2002.5.1_22:17]
ほんとうに仙台ってすばらしいとこ!メディアテークの方々と活字たちのおかげで元気が出ました。そう、号数制は日本語の活字に合ったすばらしいシステムと思います。奇遇にもメディアテークにある活字は号数制でけっこう揃っていてワークショップに最適と考えています。ぼくは「活版少年」のころ、2号の明朝が好きで好きで、そのために込物とか(ポイント制では)半端なので別の箱にまとめていました。『ちょっとしたものの言い方』の組版のベースはまさしくこれです。バレてしまった!「ちゃぶ台」毎日使っています。ぼくのはちいさい○型。平泉ではぼくの愛用の鉄瓶のことでその職人さんのことが話題になったし、手打ち蕎麦(特殊なそば粉のため一日10食程度しかできない)うまかったし!天然記念物の青葉山のみどりは眩い!そしてトドメは「日本の印刷技術の父=キョッソーネ」展、写楽のオリジナル。幼い時の記憶の写真に伊達政宗公の銅像の下でうつむいている写真がある。幼稚園の鞄をぶらさげて、おそらく父にこっぴどく叱られた後なのだと思う。


[メモ]
TEE誌1986/1号「13人のアマチュア・プリンターの仕事」
を参照して下さい。
2004年から復活しました。
金魚堂の近藤さんはパリから帰ってきていました。


293 gabel/hirn [2002.5.4_17:17]
グリッドシステム自体がそういえば、倍数のシステム、だということを忘れていました。というよりも興味が実はあまりないのかもしれません。活字にもそれほどつよい思い入れがあるはずがないので、もとも子もないのです。よく言われるような、活字に対する賛美の声、たとえば、印刷面が、そこに立体性が、インクのしみが、安定してる、精度が、数学的である、など、あるいは、活字自体の存在感とか、インクのにおいが等々、確かにそう思うし共感するのですが、活字と親密になるのに必要な大量の経験というか、活字とたわむれることに親しんでいるわけではまったくないので、思い入れというものがほとんど無いということは驚きます。文字組やなにかの社会的規範とはちがった、活字のシステム、原理や、それにくっついている制約を熟知してないのに、近代デザインとかモダンタイポグラフィとか語っていいものなのかどうなのかどうか。どうでしょうか。活版+Macプロジェクトというのはどのようなものなのでしょうか。ワインガルトのインタビューで、活字で組んでそれをスキャンして、というような課題をやったけども生徒はいつも同じ間違いをするんです、それで活字とコンピューターとの理論的な移し替えみたいのことはやめました、というようなことがたしかアイデア誌にでていましたが、仙台のプロジェクトはもう少し活字寄りのものなのでしょうか。


294 2038 [2002.5.4_17:45]
わたしの かつじけいけんは すくないですが (にほんかつじはまださわったこがないです) たのしいです。こどもの つみきあそびや ますたーべーしょんに ちかいかもしれません。もじそのものも みてて たのしいですがdurchschussやzwischenraumがわたしはすきです。にほんごでは なんというのでしょうか?せんろみたいのとか でかいくてふといはしごみたいのもあります。まっくだと しろいところは なにもえがかなくていいですが かつじは これらを つかって くまないと くうかんを うまくつくれません。これもぐりっとかもしれませんが わたしもあまり くわしくなく きょうみもないかもしれないのですがciceloのばいすうだと くみやすいようなきがします あと これもじこまんぞくですが じゅぎょうでやった くみを かつじでくみなおしたら きれいなようなきがしました。さいしゅうてきにはまっくで かんせいにいたる じゅぎょうないようですが これもやっぱり まっくからすたーと してるわけじゃないから きれいなような きがしたのですかね。


295 koizumi [2002.5.5_9:18]
ぼくはごぶさたしていた恩師のお宅におうかがいしたり、親友の家にいったりで一日中話し過ぎで疲れぎみです。「近代デザインとかモダンタイポグラフィとか語っていいものなのかどうなのかどうか。」ぼくは確実ではないのかもしれませんが語って良いと思います。活字だけでなく文化とは継承しているものです、ですから古典をある程度理解できない人は近代モダンに入り込むことはできないのではないでしょうか。げんにこの2日、話をしている最中に印刷物が出てきますが、…最近の印刷物(オフ)も当然出てきますが…それにともなって出てくる本はすべて活版です。それは活版のシステムという話でなく本の内要とそれに伴う(それにふさわしい)様相、つまりデザインです。ぼくも「ますたーべーしょん」にちかいかもしれません。しかし、そのへんは非常にむずかしいいいまわしです。そうです。しろいところ たいせつです。そこをマックでデザインするプロジェクトです。あとマックでデザインできても、実際くめないことがあるとおもいます。そこをやってみるのです。つまり、ここでは活字寄りです。活版=グリッドではありませんが。活版とグリッドは深い関係があるということです。しかし、立花文穂の組版は邪道。ファンのためには、オブジェとしておもしろいとは思いますが。印刷物としても、きたないと思います(指紋とかついてるし)。



453 koizumi [2004.9.18_14:17]
みなさんご存知と思いますが、今渋谷パルコp1地下ロゴスギャラリーがすごいことになってます。活字さわりにいってください。ぼくは先週、うちのデザイナーに連れられて行ってきました。とにかく興奮しますね。印刷解体の会場で文字道の伊藤義博さんとお会いしました。ロンドンのタイポグラフィの話に花が咲きました。


479 s-nakagama [2005.1.6_2:46]
今さらではございますが12月4日に女子美において開催された「タイポグラフィ・タイプフェイスのいま。デジタル時代の印刷文字」シンポジウムの感想を少し書かせて頂きます。小泉先生の講演は大変興味深いものでした。コンピュータにおけるデザインと写植によるデザインが同じデザイン(答え)にたどり着くのか?日頃、Macを前に思うのですが、「コンピュータ無しで私はデザイナーであっただろうか?」…毎日ギモンです。そしてたどり着いたデザインに
「私はこれを作りたかったのだろうか?」うむむ、ギモンです。印刷博物館で活版と関わって3年になります。はっきりと感じるのは、活版はシミュレーションの中から作品が生まれない、最初に意図がないと作れないということです。これに気づかされるということは、普段、いかにシミュレーション先行の物づくりをしているかということです。活版でも偶然、ヤレ紙がカッコ良く刷られることはありますが最初に頭の中に設計がないと、文字どころか、込め物も置けません。だから仕上がりは間違いなく自分の作りたかったものにたどり着きます。しびれます。この気持ち、とても大事ですよね。


480 koizumi [2005.1.8_21:57]
女子美。ごめんなさい。舞台の上では言いたいことの半分くらいしか言えていません。上がり性は直らない。そうですね。今のデザイナーはMacがあって、が前提ですよね。まったくのパラドックスなのか。そういうぼくも今はパートナーのデザイナーと毎日、InDesignとの挌闘です。これができないとダメでしょう。そう日常はシュミレーションとアンドゥの世界でうめつくされているのです。なんかこれぞって<勝負>がない世界なのです。おもしろいこといいますね。ぼくは活版は「ヤレ」の世界だと思っています。仙台に行くとみんなが作ったヤレばかり集めている。このまえは頼んでおいたヤレを全部捨てられてしまった。すごく悲しい。ヤレをみるとすべてがわかるんですよ。ヘヘッヘ。