瓶懸

利休好みの手焙(てあぶり)というものがある。「鮟鱇(あんこう)」と思うが、どこに本歌があるのかわからない。黒くてとてもいい形をしている。何ともいえない佇まい。作は享保年間京都深草に住み、雲華などの土風炉で名を残した辻井播磨(遠州好みらしい、[千家は]永樂了全より90年近く前の方)。この頃に風炉の種類も増え、茶人の好みにより多種つくられたらしいので、形はアレンジしているようだ(うちのは冷泉家にあったよう?)。この中に炭を入れるとほんわかして、暖かい。ぼくは持病で血の巡りがとても悪いので、ここのところの寒さに手が悴んで(活字を拾うときにもイイ)、これ本来は、待合でお客様に使っていただくのだが、失敬して自身で毎日愛用(オヤジが昔うちにあった小型のをよく金玉火鉢と言っていた=下品な言葉だがw)。ということはいつも火箸扱いの稽古!
実はぼくの灰はいろいろまぜこぜで全然ダメなのですが、そう言えば、佐久間先生が「他人からの灰は信用できない。」とおっしゃっていた。それが少しわかってきた感じがする。

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