木村由理子さんのこと

先週の金曜日にお亡くなりになりました。ご冥福をお祈りいたします。
家族以外のお葬式には出ないと随分前に決めていましたが、今日滋賀まで足を運び、荼毘にまで見届けることができました。とても神聖な気持ちで、ここに書き込んでいます。
彼女と初めてお会いしたのは、ぼくが学生アルバイトで森先生の仕事場に出入りしている頃からですから、もう44年になります。その頃のお茶汲み(コピー係)のぼくを知ってて、今もなお普通に頻繁にお話ししている方は彼女しかいません。彼女を失って、自分の一部に穴が空いたような感じです。
去年の9月に茶室で濃茶を差し上げてが、昨日のようです。全く病気のことはわかりませんでした。家族も容体が急変するまでわからなかったそうで、それほど、他人には見せない美しさ(最近は自分は癌だ癌だとか、入院したとかSNS上で騒いで不特定多数の人たちに知らせる輩がいますが、正反対)。父元治は「屁のように空気中に消えたい(この言葉は美しくないが、自分自身をそう見ていたのでしょう)」とよく言っていたが、要はその人なりに自然に自然の中に消えていく。このことが最も尊いと感じました。

どれも決して有名な本ではないのですが、彼女から依頼が来た本を思い出すと、ぼくはそれらのステップで人として成長してきたのだなっとつくづく感じます。また、不出来な無器用なデザイナーなので、半分以上が失敗。しかしいつも新しい挑戦をさせていただくことができて、数冊はこれまで全く見たことのない本に仕上がり、その内容に相応しい満足がいく仕上がりを見せてくれたのも、彼女のおかげだと思います。

いまだに封書で正確にお手紙をくださるのも彼女しかいません。もう郵便を待ってもきません。

今から思うと、最近はメールが以前より頻繁にきて、ぼくのことをいやに褒めて下さっていた。

本当に、本当に大切な人を亡くしました。お互いお婆さんお爺さんになって、のんびりお茶が飲める日を夢見ていたのに。残念で残念で仕方がない。そういう人はもういない。

帰元慈由合編大姉霊位と授かったそうです。(2022.08.01)

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