39 若いデザイン [2000.10.4_16:30]
広告制作プロダクションのアシスタントをしている者です。『タイポグラフィの読み方』拝見しました。内容は本誌の方で読んでいたので、良いものだとは思うのですが、ブックデザインはこれでいいのですか?とても、困惑しています。例えば、キャプションの狭い行間は、やはり読みにくいし、醜いと思います。(本書に理由が書いてありましたが、あれだけでは納得できません。)見出しの処理にしても、本分との関係が良くないと思うし、ノンブルも見にくいと思います。言い出せばきりがないほど、悪い意味で気になる点があります。これが、良いタイポグラフィなのですか?そうであれば、僕の感覚が狂っているのでしょうか?納得のいく説明をお願いします。(僕は、エミール・ルダーの『タイポグラフィ』は、内容は正確には把握していないにせよ、良い本だと思います。ヘルムート・シュミットの『バーゼルの道』も、河野さんの『タイポグラフィの領域』も良い本だと思っています。)
41 koizumi [2000.10.4_21:52]
気になる部分ごもっともです。問題提起になればよいと思います。若い人にとって問題であれば、ぜひ教訓にください。ぼくの持論ですが、自分の目がいちばん大切だと思います。あなたのフレッシュな感性そのまま突き進んでください。そして広告制作プロダクションでぜひ活かしてください。「納得いく説明」とは、特定できません。つまり、良いタイポグラフィとはひとつではないからです。ぼくはあなたの感覚が狂っているとは思いません。ぜひ、ぼくと違った道を歩んでください。いいですねー。すばらしいものを将来作ってくださることを心から望んでいます。最後に、人は困惑の中から自分のものを見つけだせるのだと思います。
42 すわっこ [2000.10.5_12:47]
はじめまして,こんにちは.ぼくは大学でタイポグラフィの勉強をしているものです.若いデザインさん,ぼくも小泉先生と同じく,それぞれのデザインの方法があっていいと思います.でもそこには,デザインの基礎・歴史を知っていたり,目的(内容)にあわせたデザインが必要だと思います.その結果,いろんなものが出てきてもおかしくないと思います.なまいき言ってすみません.
43 koizumi [2000.10.5_20:15]
いいですねー。タイポグラフィの歴史さぐるのはたのしい。ぼくもEric Gillのお弟子さんにあったり、Peignotじいさんにあったり、たのしかった〜。
44 寺田未来 [2000.10.6_11:29]
小泉先生,こんにちは。『タイポグラフィの読み方』拝見しました。デザインの現場でも拝見していたので、内容的には大変興味深く勉強になる内容でした。ですが、私も「若いデザイン」さんと同様の見方をしていて、困惑している一人です。小泉先生のレスを読んでそれなりに納得できたというか、解放された気はします。あとp.124,125のコンピュータは魔物というページですが、どうも文章が完結しているように思えないんです。落丁というわけでもないし、なぜ?すごく納得しながら読んでいたので、続きがあるなら読みたいんですが。思いっきり困惑している私ですが、タイポグラフィにますます取り組みたいと思わせる内容であった事を最後に付け加えておきます。
45 koizumi [2000.10.7_21:34]
寺田未来さん、そして困惑されている多くの読者のみなさん:困惑ごもっともです。実は本文に2カ所、しりきれトンボがあります。本書ではQuarkExpressというソフトで組版をしていますが、通常このソフトではできない組版をマニュアルで行い、いろいろ細工をしています。そのため予想しえなかった結果、「す.」を吸収できませんでした。完璧な本文をhttp://www.htypo.net/jpn/typo/index.htmlでダウンロードしてください。幸いにも内容がわからないほどの被害でないにしても、読者のみなさんには申しわけないことをしたと思い深く反省しています。訂正/正誤表をカバーさせていただくということで、ぜひアクセスしてください。これにてどうぞお許しください。そしてよろしくお願いいたします。内容に関して、また困惑の点ありましたら、どうぞここに載せてください。
[メモ]
第2刷で最低限度の訂正はしています。
初刷の本をお持ちの方は大変申し訳ございません。
上記サイトをご覧ください。
46 2038 [2000.10.12_0:52]
「タイポグラフィの読み方」拝見いたしました。とてもパーソナルな感じがしました。何と言うのでしょう…気持ちいいタイポグラフィがいいですね。唯一気になったのは、あえて本文をリュウミンにしてわざわざカッコをタイムスするのはどうしてなのでしょうか?美術出版社ってそうでしたっけ?
48 koizumi [2000.10.12_10:27]
ぼくの本を詳しく見てくださって、とてもとてもうれしいです。パーレンの件は一言で言うと好みです。和文のパーレンの肉付きが好きではありません。特に全角扱いのパーレンは横組みに入るとスペーシングが問題。ただし、欧文のパーレンは天地の位置と長さが問題になりますね。どっちをとるかということになると思います。
49 むる山むる子 [2000.10.17_8:55]
本見ました(若さんに見せてもらったの)アバウトな感想でいえば、昔臭さと、ネットが両方くっ付いた感じだと思いました、私としては昔臭いのは好みです(アーキグラムみたいなの)、難点といえば、作品がチョンギレてる事でしょうか?お金があったらコピーサイズとミニサイズが出来たのでしょうか?私が勝手に推理しますと、今のkoizumiさんの時代感を出したかったのかしら?もしくは文句をどしどしを言ってもらいタイポグラフィについて皆さんに討論してね、、、という事でしょうか?
50 M [2000.10.20_18:51]
こんにちは。寺田未来さんと同じように、コンピュータは魔物のラストセンテンスがなかったところ、とても気になりました。でも、魔物に食われちゃったのかしら?と思いましたが・・・考えすぎでしたね。全体的には、図版とキャプションが離れたり、本文が離れるのは、見づらいと思います。そして、読者の負担になるかなぁーと。そのあたりは、小泉先生はどうお考えですか?また、個人的には本文の級数が混在するのは、うーんって感じ。きもちわるい。本文として内容の重要なものが大きいのかなぁ・・・とも考えてみましたが・・・?デザイナーでもないのに、生意気いってごめんなさい。少し、疑問に思ったこと、書かせていただきました。
51 koizumi [2000.10.31_21:25]
むる山むる子さん、昔臭さ。。。も重要なものありますよ。ネット。。。ぼくにとっては道具(前にも言いましたが)。作品のチョンギレ。。。天国のルダー先生ごめんなさい。文句をどしどし。。。です。でも結果予期しなかったことばっかりです。ごめんなさい。
Mさん、はい。その魔物にやられました。美術出版社の人にも「こんなタイトルつけるから。。。」っと言われました。というか紙一重をやるとやっぱりヤバイね。ふだんはデザイナーとして仕事してますから絶対こんな実験できない。この本はまず図版をできるだけ実寸あるいは大きく見せるというコンセプトでレイアウトを始めました。ですからグリッドにのっていません。そこにはまたB5判というハンディがありましたが。なんとかキャプションをいじめることでこれをクリアーしました。ぼくのキャプションを読むより、原物を凝視する感覚で作品を見てください。白地が多いのも理由がありますし。それと、本文の2種類大きさは偶然発見しました。あんなに本文がページが飛んでしまったりするので、おもいきって今までやられていないことに挑戦しました。ちょっとした発見でした。いろいろと意見どうもありがとう。
68 渡辺聡哉 [2000.11.21_12:42]
小泉先生の『タイポグラフィの読み方』の表紙デザインのレイアウト感覚の絶妙さにはため息がでました。これは、本文はともかくMacで組まれているのでしょうか?私が以前レイアウトがうまくなりたいといったのはこういうことなんです。(絶妙なバランス感覚)それと、この本の中で一番感動するのは、人と人との出会いという事でした。デザイナーも一人の人間です。人から愛されることがなければ成功もありえない。つくづく痛感しました。
69 koizumi [2000.11.21_19:38]
うん。デザインとタイポグラフィの関係は重要でしょう。時にはデザインの話もしてください。ぼくも好きです。ぼくの本は前もここでいいましたが、「挑戦」がけっこう含まれてます。これらをやらせてくれた美術出版社の田中さんには心からお礼を言いたいです。表紙もあんなのふつう「まちがえに見える」とか言われて世の中に出ないでしょう。中味も前に早速きらわれてますしね。いろいろな人に何か言われる本が今なさすぎなので、やってしまった。
a1=そう、マックでやってます。
a2=レイアウトがうまくなるのは練習が必要。htypoやってください。バーゼルでも実証しつつある。
a3=そう、人との出合いはものすごく大切。それと手紙。e-mailは便利、早い。けれど手紙には絶対になりえない。っとぼくは思います。
157 tomo [2001.7.16_2:29]
はじめまして。私、大阪在住の27歳のGデザイナーの者です。『タイポグラフィの読み方』楽しく読ませていただきました。以前からこのサイトは拝見させていただいていたんですが、今回初めて書き込みさせていただきます。私、デザインの仕事を始めて4年目になるんですが、専門学校在学中からフォント、タイポグラフィに興味を持ち現在に至るのですが、学校の授業ではそのような内容のカリキュラムはなく、独学で色々と勉強しています。最近自分の中でにわかにタイポグラフィについてさらに勉強したい気持ちがつよくなってきました。そこで質問なんですが、先生の『タイポグラフィの読み方』のような本や、ルダーの『Typography』、『Grid systems』、スイスタイポグラフィついての入門書のような内容の和本もしくは和訳本はないのでしょうか、よろしければ代表的なもので結構ですので教えていただけますと幸いです。『タイポグラフィの読み方』の後ろの参考図書を見たのですがどこから手をつけていって良いやら。本来ならば自分で先述の本を訳して解読するのが望ましいのですが、なにぶん自身の語学力が不足している為なかなか踏み込めません。いずれはやっていきたいとは思ってはいますが。今までいくつかの本を読んできましたが、やはり自身の知識の無さで内容がいくつか把握出来ないところがありました。これからの自身の仕事のレベルアップと学問としての知識を高めていきたいと思っております。長くなりましたが、タイポグラフィの世界への入門者へのアドバイスとして、助言いただけますようお願いします。
158 koizumi [2001.7.16_8:59]
ご質問の件ですが、久々に羅針盤的質問です。チャットのバックナンバーを読んでいただければ、過去に同様の悩みの人がいかに多かったかお分かりになると思います。まず、訳本ではなく自分で苦労して読むのが自分の力になると思います。小説ではありませんから図を見て、興味のあるところから取りかかってはいかがでしょうか。タイポグラフィの一般書はそんなに難解な英語ではありません(辞書さえあれば何とかなります)。ただしルダーの『タイポグラフィ』は訳せても内容がしっかりとつかめない場合があるかも知れません。とにかく参考書はその人によって違います。つまりタイポグラフィという広い世界の何から始めていくかは、tomoさんが決めることですから。。。これから始めなくてはという受験のようなルールはありません。ただし方向が決まってから参考にしていく本の順番はあると思います。『タ読方』にも書きましたが、ぼくのタイポグラフィの世界もごく一部です。tomoさんが具体的に今どのようにタイポグラフィをお考えか、そして質問してください。
159 tomo [2001.7.16_23:21]
お返事ありがとうございます。やはり、自分で解読していかないと力にはならないのですね。分かっているつもりでしたが、気だけがあせってしまって人に頼りがちになってしまいました。現在の私の力ではまだ方向を決めるまでには至っておりません。もっと勉強してもう少しピンポイントな質問ができるようがんばっていきます。と書きましたが、程度によるとは思いますが、羅針盤的な質問は、このチャットは問題無いのでしょうか。
160 koizumi [2001.7.17_10:29]
ぜひ、あせらずにやってください。ぼくは20年かけてこの程度です。はじめから、できるひとは、だれもいません。これからです。とりあえず、好きなものから始めることです。それだったら3日坊主にもならないし。。。ぼくはtomoさんの羅針盤の方向はきめられません。ただし向きについての質問はしてくださいね。では。
196 K- [2001.11.9_0:15]
初めまして。私はグラフィックデザインを勉強している人間であります。遅ればせながら、『タイポグラフィの読み方』拝見しました、そしてこのサイトの存在も知り、バックナンバーも読ましていただきhtypoにも参加させていただいています。とにかくおもしろい!!!(いろんな意味で。。。)ほとんどついていくことができませんが、大変刺激になっている次第です。僕にとっては光が差したような本でした。今後も拝見させていただきたいと思っています。この会話についていけるようになって、参加したいと思っています。がんばってくださいです。
197 koizumi [2001.11.9_9:18]
ありがとうございます。でも、ついていくことができないのは困りますね。なんとかとかがんばりましょう。ぼくはがんばるというより。。。このChatは日常ですから。でも他のことではいつもキリキリまいです。まず、ぼくの本について具体的にあなたがどう考えるのか、いろいろ聞かせてください。
198 K- [2001.11.10_2:18]
koizumi先生、お返事ありがとうございます。グラフィックデザイナーとして表現派な作家を目指すか、マス関係の媒体を目指すか。相違に関しても考え続けていました。(無駄なことをやっているのかも。。。)結果、どっちもやる!という結論に達しました。そのきっかけがこの本だったのです。確かにこの本は本文は飛んでいるし、表紙は本の表紙じゃないし。実用面で本としては漠然とした疑問はありますが、そんな問題を越えてある種ショッキングなモノでした。基本的な分野だけで大変すばらしいモノが作れること、と言えばいいのでしょうか?あまりにもボキャブラリーがないので失礼な言い方かもしれませんが。。。「デザインとは学問でもある」という側面を見せられたかのようでした。長々と私的な事ばかりすみません。そろそろ勉強します。12月多摩美行かしていただきます。少しでもついていけるようにしなければ。
199 koizumi [2001.11.10_21:18]
「表紙は本の表紙じゃないし。」っていう表現がいいな。好きです。ショッキングなものでしたか。それも目的にはありましたのでぼくはうれしいです。苦労したかいがありました。「デザインとは学問」なのでしょう。ですからきっと大学があるのでしょう。多摩美はたいへんです。バーゼルから帰ってきてすぐ。。。だいじょうぶかな?でも来てください。その後ぼくは講演をする予定はありませんので。
428 koizumi [2004.1.10_21:50]
何か、ぼくの書き込みばっかりですね。おはずかしい。ビッグニュース!『タ読方』重版決定です。みなさんどうもありがとうございました。間違えたところを直してリリースいたします。この冬休み中に展覧会を2つ見ました。
1. YES YOKO ONO展 @ 水戸芸術館
2. Richard Paul Lohse展 @ 多摩美術大学美術館
いずれも感動的でした。特に1は東京展まで待てるはずがありません。YOKOの初期の作品は完璧です。美しい。かっこいい。最高です。「フルクサス」の謎もすごしづつ解けてきた。場所が水戸ですからやっと行くことができました。行きたい展覧会はどこへでも。。。でも今バーゼルですごいのやっているのだけど、無理だ。2は桑沢の学生10人とゲスト1人と行きました。このような展覧会は興味がある学生たちと行くのがベストですね。
[メモ]
1はその後、第2刷の大幅な直しにつながる>p.89。2.はノイエグラフィークのデザインに深く関係がある>『タイポグラフィの読み方』p.105。
436 ごっつ [2004.7.9_17:09]
はじめまして、ごっつと申します。偶然この書き込みをみつけたので、書き込ませていただきます。突然ですが、この頃悩んでいることがあるので小泉先生ならとひらめき思いきって質問いたします。今、タイポグラフィによるグラフィックを勉強しているのですが、タイポグラフィで「音」を視覚的に表現しようと考えています。しかし、独学の所が多く自分ひとりでは限界の状況です。全くの勉強不足の僕がこのような質問をするのは失礼とは思いますが、何か参考になることがあれば宜しくお願いします。
437 koizumi [2004.7.16_19:10]
ごっつさん、はじめまして。最近このBBSは閑古鳥が鳴いてまして(このような「音」ではありませんね)。そうですね〜〜。タイポグラフィで「音」を視覚的表現をすることの前例あるいは挑戦には、ぼくも以前から興味があり、『タイポグラフィの読み方』にも少し書きましたが
1. 音楽的な「音」に関すること
2. 言葉としての「音」に関すること
ふたつに大きく分かれると思います。
1はジョン・ケージのような現代音楽を探るとよいでしょう。2は昔の本ですが(ぼくの手元にある本)『国語音声学』『日本語の音声学的研究』など過去におもしろい研究をした結果が発表されているので独学の勧めになると思います。
438 ごっつ [2004.7.20_9:52]
最近、武満徹さんの本を読んだのですがその中にジャズのことを語っている項目がありましてすごく興味を持ちました。「ジャズはそれだけで雄弁だ」という言葉が心に残っています。実は、「ジャズ」をテーマとしたタイポグラフィに挑戦しています!もちろん中身は欧文書体ばかりで、表音文字ということもあり表現しやすと思っていました。でも、小泉先生の本を始めとしてたくさんの種類の本を読み、いろんなことを知れば知るほどたくさんの壁があって、自分で書体をつくることなんて無謀だ!とも思いました。甘かった…完全なる自己表現しかないのかなぁと思っていた矢先だったので、小泉先生のアドバイスは大変ありがたいことです!ありがとうございます。ジョン・ケージの本は前から読んでみたいとおもっていたので、早速書店に行ってみよう。
439 koizumi [2004.8.1_11:34]
ほんとうに暑いです。ごっつさん、ジョン・ケージ読まれましたか?今、高輪の啓祐堂でVOUのメンバーの高橋昭八郎先生の個展「反記述による詩」が開かれています。ことば、音を感じることができますよ。きのうは長岡の近くの小国に学生をつれて手漉き和紙の体験をしてきました!何度やっても新鮮です。
441 ごっつ [2004.8.3_9:14]
こんにちは。ジョン・ケージの「サイレント」という本を読みました。音がない音楽…すごく興味深いですね。
444 koizumi [2004.8.13_17:35]
「サイレント」。。。随分前に読みました。また読みたくなってきました。『タ読方』のケージの作品もいいでしょ。
459 kanako [2004.10.25_0:02]
桑沢夜間部の学生です。htypo/WORKSHOに登録させて頂きました。素晴らしいですね!で、『タ読方』読破しました。いろいろなことが発見できて、特に『アルジャーノンに花束を』は日本語の方が伝わりやすいんだ、とかいうところに深く感動しました。先生の授業は毎回迫力があってまじすごいです!
460 koizumi [2004.10.26_0:15]
登録どうもありがとう。実はこの教育システムはずいぶん昔に作ったものなのですよ。桑沢の授業ではこのような基礎をやりませんが、たいへん重要なことです。みなさんがページレイアウトを始めましたら、学生さんどなたかのデザインプロセスを例にご説明しますね。『アルジャーノン』と出会ったのは、全く流行る前で、日本語訳されてまもなくでした。ぼくにとってはとても偶然な出来事だったのですが、一冊で日本語を知ることができるすばらしい本だと当時一瞬で感じました。現在、書店で手に入るものは1段組になっていまして、初版とは違っていますよ。詳しく見てくださいね。英語のオリジナル(ペーパーバックでないもの)がまたいいんですね。ぼくはNEWYORKの古本屋で見つけました/これも運命的な出会いでした。
この本の構造とタイポグラフィは、ぼくの本で発表した後、いろいろな人が好例として、出されていますね(^^)
461 kanako [2004.10.26_1:45]
先生こんばんは。そうですね、そうですね、ほんとうにそうですね。『アルジャーノン』を読んだ時は日本語特有の表現だなんて全く発見できずにいました。一瞬で感じれるなんてさすがです、初版、きっとみつけます。英語は、、、、。ところで、桑沢夜間部の卒業アルバムのエディトリアルデザインを私がすることになりました。授業の時にもっていくので見ていただけたりご意見くださったらとってもうれしいです!!「文字と文字の間に神が宿る」くらい神経質に、気持ちよく完璧につくりこみたいです。そして先生の本の最後に志牟田先生の名前があったのでうれしくなりました。志牟田先生は去年デザイン史を教えてくださった人であり(多忙なのに)私たちの結婚パーティにも来てくださったとってもすてきな人です。授業やワークショップもすごくすごく熱意があって感銘をうけました。桑沢に来てほんとによかったです。女子美での講演会も旦那さんと事務所の人たち全員で申し込みました。楽しみです!
463 koizumi [2004.10.26_10:50]
タイポグラフィの話に花が咲くって、ほんと、しあわせなことです。紫牟田さんは恩人。彼女がデザ現の編集部にいらっしゃらなければ、おそらくぼくの連載は始まらなかったし、『タ読方』も出版されなかったでしょう。女子美はどうなるのでしょうか。はずかしいです。ぼくの他はみなさん、すごい人ばかりで。ぼくはちょっと気後れするような感じですね。
491 amazonのカスタマーレビュー/koizumi [2005.3.19_8:39]
すごく久しぶりにアマゾンを見てみました。
タイポグラフィの読み方
おすすめ度:★★★★+1/2
a.
5 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
別段優れてはいない, 2004/11/04
レビュアー: カスタマー 神奈川県 Japan 妙にシンパのレビューが多いが、類似書と比較するに、本書は大して優れていないと思える。いかんせん、内容が古い。コンピュータが普及する前の時代感覚である。資料の量も少ない。内容構成は散漫で、何を言いたいのかはっきりしない。そのくせ、著者の個人的な人脈についてわざわざページを割いており、自慢としか思えない。他の類書を買えば良かった。
b.
3 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
文字デザインに行き詰まりを感じている方に, 2004/05/26
レビュアー: ca_-bb_-ac 東京都 Japan タイポグラフィが何であるか、美しく構成させる為に文字をどう組めばいいのかなどの答えが書き標されたものではない。本書はそれらに触れてどう発展させればいいのかを導いてくれている。アルファベット使用国圏で体系化された活字文化などを例に挙げ歴史と方法についてなじみの薄い日本人にわかりやすく紹介してくれた入門版とでも言うべき一冊。印刷物&WEB上での文字デザインに少し行き詰まりを感じている方、これからそれらを学ぼうという方に是非オススメしたい。
c.
6 人中、4人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
複雑なものも実は基本の繰り返し, 2002/10/11
レビュアー: iriyama (プロフィールを見る) 渋谷区 複雑に見えるものも、じつはシンプルな基本の織りなす総合体なんだな、と改めて確信いたしました。誰でも、「そんなことはやんなくてもできる」と思って基本的なことをほったらかしにしやすいものなのですが、実はそこにこそ全てがあるものなんですね。
d.
12 人中、9人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
タイポについて熱く語る, 2000/11/04
レビュアー: brockmen (プロフィールを見る) 京都市中京区空也町 日本タイポグラフィの第一人者小泉氏が 海外、日本のタイポについて熱く語る。 DTPが普及した今、稚拙な文字組や、フォントセレクト が蔓延している。果たしてこのままでよいのであろうか? 美しく文字を組むにはどうすればよいのか、 ということは書いていない。もっと根本的な、しかし 最も大切なものが語られている。 タイポグラフィとは何なのか?答えはこの書に書いてある。
492 koizumi [2005.3.19_12:01]
ところでaの方にちゃんと、この場をかりて、お答えしましょう。まずは、満足して頂けなくて申し訳ありませんでした。レビューに「類似書」ということが出てきますが、ぜひその本を教えていただきたいです。拝見したい。っというのもぼくもそれを期待して、5年前にこの本を出したのです。ぼくの本はご覧になった方はお分かりになると思いますが、タイポグラフィの年鑑でもありませんし、有名なタイポグラフィの作品を編纂した本や、デザイナーが作品をパクるためのネタ本ではありません。読者が頭を使うための本です。ひとつのタイポグラフィの方向性を示した本です。そして、全くぼくの個人的な本です。ふだんのプロのデザイナーとしては絶対に作れない本、つまり、やってはいけないことをわざとたくさんしている実験的な本なのです。それはぼくがすべて責任を持つことができる著者だからです。このことのヒントになったのは、小池光三『印刷デザイン』という名著です。この本まで全然到達できていませんが、この本と出合った時から憧れて、ぼくもいつかこのような本を作りたいと思っていました(署名は名著『写真のよみかた』から由来)。ぼくの本の後にタイポグラフィの本質に迫る本が出ていたら、ぜひ教えてください。では回答を。
内容が古いという点:指摘が正確でないですね。タイポグラフィを志すのであれば少しは昔のことを知るべきでしょう。あるいは、ぼくが古い考え方ということでしょうか?コンピュータの普及はいろいろな過去の蓄積があってのことです。現に最先端のユウゴさんや多くの新しいことをやっている人にもぼくの本は愛読されています(^^)。ですから、内容が古いということは何をさしているのかわかりませんね。
資料が少ないという点:当然です。ぼくが載せたい作品を全て載せたら全集になってしまう。この本は作っていた当時この3倍の厚さまで案が膨れ上がりました。そこから、出来るだけたくさん図版をケズリました。それで語れるように工夫したのです。もしぼくの本で掲載したものに興味があったら、自分で探るのです。見つけた時のその時の感動を知ってほしい。はっきり言って、安っぽいデザイン本に載ってる複写の写真を多く見ても何の足しにもなりません。それに加えて、ページの白い部分はわざとあけています。ご自分で本物を見つけた後に、作品を加えるぐらいで、本物をしっかり見て、自分のものにすることが重要ということを示しています。だからレイアウトも散漫なのです。
ぼくの個人的人脈:これはタイポグラフィは人生だということを語りたかった。ぼくは本を出せる資格がある人間ではなかった。今もそうかもしれない。しかし、夢がかなった。それは、全て周辺の人のおかげなのです。特にタイポグラフィとはそういうものです。それを示しました。ですからあえて、ぼくは幼稚園からの履歴を出しています。一般に日本人のキャリアは自分の都合のいい経歴だけを記載することが普通です。ぼくはそれが気に入らなくて、自分の本では小さな抵抗をしました。つまり、このような本を書くヤツはこういうヤツだ、って示したわけです。
また、日本のタイポグラフィの現状のこと、陰口でなく、堂々と著書で語る人を期待しているのです。もちろんこのサイトもぼくはこの本の著者の責任として持っているわけです。これが自慢だと感じたのであれば、この人は悲しい人ですね。
A104 2038 [2002.10.4_6:22]
小泉均様,、たった一年という短い期間で充分と言うまではもちろん行きませんでしたが私はこのバーゼル留学を終えとりあえずここに少し疑問に残ったことを書いてみようと思います。それはArmin HofmannとPeter von Arxのことです。シュミット氏の『タイポグラフィ・トゥデイ』にも小泉氏の『タイポグラフィの読み方』にも作品としてはひとつも彼らのはありません。私はここバーゼルに来てワインガルトよりも彼らの作品に感化されたところが大きいです。もちろん彼らは既にいなく私も彼ら自身には会ったことも見たこともありません。『タイポグラフィ・トゥデイ』は今でも新鮮に読み返すことができ最後にマリネッティやシュビッタースやリシツキーなどをもってくるところはタイポグラフィを再認識する上で印象に残ります。しかしもう二十年以上前の本で私にとっては生ではありません。『タイポグラフィの読み方』は私にとってバーゼルを知るための手がかりでもあり生でした。この本は多くをバーゼルに因っていると思います。しかし私が今のバーゼルに来てみると思い出として残るであろう作品はこの本にはないホフマンとフォン・アルクスです。これは著作の問題だったのでしょうか。いずれにせよ私は彼らの作品からフィルムに通ずるポジティブ・ネガティブの関係を強く感じます。ホフマンのセミオティック観や彼のポスターの中に多く見られる文字にかくれる絵とそれに対するポジティブ・ネガティブな関係。アルクスとその生徒たちの残した膨大なフィルムには文字通り動くタイポグラフィを実践しその白黒フィルムには当たり前のようにポジティブ・ネガティブな関係がありました。実は私はセミオティックという授業はいまいちわかりませんでした。私はセミオティックには映像のようなシークエンス、モンタージュ、ドラマツルギーを感じます。しかし授業や一般的な考え方としては何か別物のような距離を置かれているような気もします。「タイポグラフィの読み方」もセミオティックにはもちろん触れていますが映像には少しも触れていません。前田ジョン氏もはじめ「現デジタル・タイポグラフィ・トゥデイ」では文字は当たり前のように動き、丸や四角がどこからともなく飛んできます。映像というとタイポグラファ、タイポグラフィにとっては話の広がり過ぎや、ひとつ先の世界に行ってしまうことなのでしょうか。私は小泉さんの作品はひとつも知りませんでしたが『タイポグラフィの読み方』のさかなプロジェクトを見てタイポグラフィの動きを見つけることができ私にとって何か共感することがありました。しかし質問したところ明瞭な回答が得られず非常に残念でした。ワインガルトにも最後の夏休みプロジェクトとして何回も映画出演の願いをしましたが聞き入れてはくれませんでした。私のドイツ語が非常に下手な上、礼儀をわきまえなかったことがまずいけなかったと思いますが、残念でした。テレビやインターネット。その次ぎに映画が来るのでしょうか。現代では一般の人のタイポグラフィの認識は本やポスターより映像からの情報収集が多いような中、私のバーゼルはArmin HofmannとPeter von Arxがとにかく印象に残りました。ホフマンは偉大な後継者ワインガルトを見つけ、 (Achtung! Hofmann: Grafiker, Weingart: Typograph) ホフマン・セミオティックやアルクス・フィルム・グラフィックからはグレゴリーが一年生にまず16mmを触らせる。彼ら二人がいなくなったバーゼルというはどんなところでしょう。しかしそんなことをたった一年しかいなかった留学生に勝手に心配させるバーゼルと言うところはいったい何なのでしょうか。私は長岡でアルクスのFilm Designを見たとき感動しました。その時小泉さんは「日本では手に入らない」とおっしゃっていました。私はバーゼルにこの本を買いに来ただけかも知れません。
A105 koizumi [2002.10.7_19:14]
2038さま:dialogueで書きます。
>充分と言うまではもちろん行きませんでしたが
ぼくもでした。でも一年はさぞかし早かったことでしょう。
>それはArmin HofmannとPeter von Arxのことです。小泉氏の「タイポグラフィの読み方」にも作品としてはひとつも彼らのはありません。
作品としてはありませんが、精神は相当はいっていますよ。
>もちろん彼らは既にいなく
それでも感じ取れるところがバーゼルのすごいとこ。
>「タイポグラフィ・トゥデイ」は今でも新鮮に読み返すことができしかしもう二十年以上前の本で私にとっては生ではありません。
近い内にそうではなくなります。
>「タイポグラフィの読み方」は私にとってバーゼルを知るための手がかりでもあり生でした。この本は多くをバーゼルに因っていると思います。
そうです。
>しかし私が今のバーゼルに来てみると思い出として残るであろう作品はこの本にはないホフマンとフォン・アルクスです。これは著作の問題だったのでしょうか。
膨大なページデザインのなかには当然彼らの作品もありました。それと、この本はぼくの思い出の本ではありません。説明するのに適格な情景を備えた作品を揃えたつもりです。思い出は巻末のみです。
>ホフマンのセミオティック観や
これは64ページ
>彼のポスターの中に多く見られる
ポスターはあえて省きました。
>アルクスとその生徒たちの残した膨大なフィルムには文字通り動くタイポグラフィを実践し
これはコンセプトを読んでいただければわかると思いますが
省きました。これからの連載でフィルムはやります。
>タイポグラフィの動きを見つけることができ私にとって何か共感することがありました。
ありがとうございます。
>しかし質問したところ明瞭な回答が得られず非常に残念でした。
すみません。もう一度おねがいします。
>テレビやインターネット。その次ぎに映画が来るのでしょうか。
?
>グレゴリーが一年生にまず16mmを触らせる。彼ら二人がいなくなったバーゼルというはどんなところでしょう。
グレゴリーはいるのでしょ?彼はいい!
>勝手に心配させるバーゼルと言うところはいったい何なのでしょうか。
わかってきたのですね。
>私は長岡でアルクスのFilm Designを見たとき感動しました。
あの本は桑沢でも紹介して実は今やっているプロジェクトの中心にあります。エディトリアル、マルチメディアには必要な基本的なセンスです。たいへん貴重な体験をしましたね。帰国されたらぜひじっくり、お会いしましょう!
A106 2038 [2003.4.16_12:04]
おはようございます。こっちにも書きます。小泉さんとの会話はなかなか難しく話術というか・・・
>それはArmin HofmannとPeter von Arxのことです。
main chatのつづきでサカサというか、これもネガポジみたいな感じでとにかくそれが一番印象に残ったのです。私にはだから魚が船になるとか簡単な発想ですね。でも活字は積み木みたいだから
>>しかしもう二十年以上前の本で私にとっては生ではありません。
>近い内にそうではなくなります。
この本は私も偶然見つけて結構前から持ってたんですけど一応見た上で発言しました。結局新刊が出るということだったのですね。hofmannについては私はsemiotikがあまりわからなかったのできっとポスターの方が理解しやすかったのだと思います。
A107 koizumi [2003.4.19_14:15]
2038さん:こっちもあったのですね。(笑)話術?何がむずかしいのかな?サカサと Armin と von Arx と関係があるのですか?組版と印刷のことなのでは?ネガポジがサカサは当たり前。アルファベットの文字の組み換えによる単語の意味の違いはある種の詩でさかんにやられていること。あとfisch=誤植(wrong fount)の単語はたいへん興味深い。しかしこれらは違った事象だと思うのだけど。無理に混在させない方が美しい。semioticに関しては範囲がとてつもなく広い。Arminのポスターは当時、一種の挑戦だったような気がする。
A108 2038 [2003.4.21_13:41]
バーゼルは誰かの情報だとこの時期でも時々雪がちらついてるみたいです。
>話術?何がむずかしいのかな? もっと具体的に言うならスタンスですかね。
>サカサと Armin と von Arx と関係があるのですか?組版と印刷のことなのでは?そうですね。私はあまり意識していなかったので特別なことに、また新しいこと思えました。いわゆるタイポグラフィからの考えではなかったのです。フィルムからです。デザインの経験で言うなら写植の引き伸ばしもマックも見た目がそのままでしたから。hofmannのポスターも写真がメインなのが多い気がしますしvon arxの作品も白黒フィルムだからサカサに撮影しなきゃいけないし印刷に限らず制作の過程にサカサにすることが多いという発見です。私には。
>ネガポジがサカサは当たり前。写真を勉強してきた小泉さんには至極当然のようですね。私にとっては強力な視点でした。あと発想すね。ワインガルトも何でMなんですかね。Wじゃなくて。本に書いてあるんですか?まだ全部読んでいません。
>しかしこれらは違った事象だと思うのだけど。無理に混在させない方が美しい。私は、さほど遠いようには感じません。バーゼルも、活字も、魚も今思うと夢見るような感じでやっていたようです。フィルムにしたのも印刷物よりイメージを優先させたかったようです。ユニヴァースが泳いだりとか。活字は最初からサカサだった。やめにしましょうこの話は。バーゼルも長岡も見た目ではnew media路線になってるようですがこれからも?どうやって昔のこととつなげていくんでしょうか?
A109 koizumi [2003.4.21_20:53]
2038さん:あまり深くここで議論しないほうがよいと思います。
>もっと具体的に言うならスタンスですかね。根本的にスタンスが違うのかも?
>バーゼルも長岡も見た目ではnew media路線になってるようですがこれからも?どうやって昔のこととつなげていくんでしょうか? どこでもそうだと思います。どこでもつながっているのではないでしょうか?歴史がとぎれているところなんて、どこにもない。しかし、それは単に忘れ去られてしまっているのだと思いますが?いや、それを単に忘れようとしているのかもしれませんね。多くの人々が、少なくても、ぼくの周辺はそれをきちんと見つめたいだけです。ごく自然に。