豆腐自画賛

世の中は
ま売て四角亭
やはらか天
豆腐乃様奈
人尓奈れ人

「世の中は 豆で四角で やわらかで 豆腐のような 人になれ人」この句は大徳寺435世 大綱宗彦の『大綱遺詠』にあり、豆腐を題とした自画賛の掛軸で有名。絵はいやに尖った豆升の角にもかけているのであろうか、しかし、実際には和らかいのだと。今年の勅題の「和」にかけられることも多いのかと思う。しかし、即中斎が描く「とうふ」はそれとは違う。優しい。いかにも美味しそうな冷奴のような。茶家の宗匠が昔の大徳寺の僧侶の有名な軸とおなじく表すのはカバー曲の様で、とても多く見受けることができるが、これは珍しい。それにしても、お軸の状態が悪すぎる。この贈られた中島氏とは何者なのか?名古屋で出たものなのだが、、、
大好物の日本の豆腐は、中国のとは少し違うので調べてみた。起源ははっきりしない。しかし、明の李時珍『本草綱目』で豆腐を発明したとされている前漢の劉安のことがうたわれている。宋の朱熹の次刘秀野蔬食十三诗韵 其十二 豆腐詩に「种豆豆苗稀,力竭心已腐。早知淮王术,安坐获泉布」と、「豆まきも苗もまばらで、疲れ果てて心が折れそうになる。もっと早く淮王の術を知っていたら、春の布を掴むことができたのに」とあり、なんとなく関係しているのかなとも思う。

一閑張潤塗小棗

こころだに(蓋の甲) 滿ことのすきに 入ならば これもひとつの わびのたのしみ(身の胴)

了々斎歌書。ぼくの解釈:もし、心に誠意をもち道理にかなった茶の湯の道をしていれば、侘びの楽しみが見えてくる。

10代 才右衛門一閑造。初代一閑の作風に準じた作品を残す。初代の字「才右衛門」号、法名「釋実證」。文政13(1830)年6月20日歿。

NHK特番 永平寺(1977)

ちょうど明日は彼岸の中日。なんとすばらしいVTR。
ちょっと共通点をメモ:
・修行は30代で。今からでは絶対に無理。
・命懸けとまではいかないが、とりつかれないと。
・バーゼルも寒かった。-10°C
・毎日同じことの繰り返し。
・とにかく体験なのだと思う。
・それを超えて初めて身に付く。

それにしても
両脇の池上パックンは邪魔。間の効いた竹田三郎のナレーションでじゅうぶん。
映像が汚れるし、副音声なんか聞いてはいけない。
根本的に、そういう記録ではない。
完全に間違えている。

根岸谷中日暮里豊島辺繪圖

大槻の近傍図(明治34)より45年前の図(安政3)、先祖の梅屋敷が載っている。国立国会図書館蔵。

-江戸切絵図全体図
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/iiif-curation-viewer/?curation=https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/28/1856/ndl.json&mode=annotation&lang=ja

-現代位置合わせ地図
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/28/georef/

-地名一覧
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/28/

28-090 梅屋敷=小泉家
28-088 三島大明神
28-076 笹の雪
28-074/75 金杉村新田
音無川沿いに 百姓町 が続き
28-084 此辺一面根岸ト云
 その付近に
28-085 円光寺=藤寺
28-082 西蔵院
28-083 永称寺
28-086/087 宮様家佳居
28-081 不動尊五行松=御行松
28-080 道ナシ横丁
28-079 下谷
28-078 藥王院
28-029 公春院
28-028 真正院
28-027 円通寺
 左手には池田播磨守大名屋敷:
28-031 宗対馬守
28-032 大関信濃守
28-033 加藤大蔵少輔
28-030 石川日向守
 三ノ輪付近まで。

 ウチより上流へ、王子方面に向かうと:
28-073 社家
28-089 御隠殿
28-072 善光寺=善性寺
28-091/092 植木屋
28-093 芋坂ト云
28-095 天王寺
28-239 妙余寺(現存しない)
28-240 長善寺(現存しない)
28-071 ◯下谷中ト云 志賀
28-111 浄光寺 梅ノ天神
28-070 下日暮里ト云新堀村百姓家
28-115 植木ヤ
28-116 松平越後守
28-069 正覺寺
28-068 宗福寺
28-067 此辺足立群三十六ケ村組合新堀村 但シ下日暮ノ里ト云
28-066 興樂寺 六アミタ四番
28-117 道灌山
28-065 西国二十九番丹後松尾寺移 東覚寺 九品仏仁王尊二番八幡宮
 この裏で二手に分かれ、日暮里の裏根津方面に
28-064 西行庵 普門寺 西国十一番札所
28-063 常養寺
28-062 光明院薬師堂
28-061 田畑村早川ト云
28-060 早川ト云中田畑村
28-059 別当大龍寺八幡宮
28-058 仲台寺
28-057 下田畑村
此道六アミダ三バン西ケ原エ出ル
28-056 王子権現 深越藤助
28-054 六アミタ一番 西福寺
是ヨリ王子稲荷ノ向エ出ル

今戸蓑輪淺草繪圖

向島の対岸図(嘉永6年)に驚き。大槻の根岸近傍図と完全に繋がる。これでおばあちゃんたちがどのようにここから歩いて行ったのかが、解明できた。それも最短距離で。想像するとすごく楽しい道のりだ。

-江戸切絵図全体図
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/iiif-curation-viewer/?curation=https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/21/1853/ndl.json&mode=annotation&lang=ja

-現代位置合わせ地図
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/21/georef/

-地名一覧
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/27/

 日暮里から音無川沿いにそして三ノ輪から吉原でなく橋場方面へ向かって:
21-334 此辺一面根岸ト云
21-335 御行松
21-333 円光寺=藤寺
21-336 西蔵院
21-337 西念寺
21-338 世尊寺=小泉家前菩提寺
21-341 東叡山領
21-342 安樂寺
21-369 藥王寺
21-372 宗対馬守
21-377 公春院
21-371/370/367 下谷三輪町
21-376/502 下谷通新町
21-366 永久寺
21-365 梅林寺
 吉原大門には行かず、横道に、
21-501 浄閑寺
21-494 俗ニ田中ト云
21-493/495 元吉町
21-399 山谷浅草町
21-400 玉姫社
21-410 鑑ヶ池
21-411 総泉寺
21-412 真崎イナリ
21-421 大蓮院
21-425 法源寺
21-419 福寿院
21-413/414/415/417 橋場町=親戚の冠木家
21-416 船渡場向島エ渡ル
 渡しの乗り場まで。

隅田川向嶋繪圖

桜もち屋に掲げていたもの(安政3年)でも、ちょっと違うのですが。同じ版で、色刷りなし?
かなり、刺激的だった。それにしても、コレは当時がよくわかる。この地図は南が天なので、上下逆さに見て、上部が重要。

-江戸切絵図全体図
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/iiif-curation-viewer/?curation=https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/27/1856/ndl.json&mode=annotation&lang=ja

-現代位置合わせ地図
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/27/georef/
これは、無理があるのではないでしょうか。

-地名一覧
https://codh.rois.ac.jp/edo-maps/owariya/27/

 北の果てから:
27-104 あやせ川=綾瀬川河口だが、現在は治水し過ぎ。
27-103 関屋ノ里=関屋か、何らかの見張りの場。
27-101 町村字 隅田村=隅田発祥地
27-102 木母寺梅若塚=梅若丸が亡くなった場所に柳の木。
27-095 堀切村百姓伊右エ門花菖蒲ノ名所ナリ=堀切は向島に。
27-098/099 寺島村 渡シ場ハシバエワタス=橋場から
 …ここから堀切へ向かった。

 さらに南下すると:
27-091 法泉寺=田中抱二墓所(抱一の弟子四天王)
27-090/137 シラヒゲ=東向島白鬚神社(諏訪明神合祀)
27-086 新梅屋敷=百花園
27-138 寺嶋大師=蓮華寺
27-083 長命寺名物サクラモチ=桜もち
27-084 右 水戸道?
27-080 若宮村八幡社=東墨田白鬚神社
27-133 竹屋ノ渡=山谷から
 川向こう:
27-068/069 四ツ木村の隣に、
27-070/136 西葛西領=葛西の飛地に八幡=堀切天祖神社に移転?
27-064 客人(まろうど)大権現社=東四つ木白鬚神社

稽古用茶碗

正面がはっきりしたものに限る。
扱いや持ち方に癖をつけるためのもの、触ってしっかりと指にくるものに限る。
一つは京焼 三代中村秋峰造 柳絵茶碗。惺斎好ミにそっくり。正面がはっきりしていて、飲み口のところに、しっかりと柳の枝先がきている。超初心者向け。かたち、大きさは極標準。ところが、なんと先日割ってしまった…その代わりに、急遽調達、やはり京焼。橋本紫雲造 燕柳文茶碗。ちょっと安っぽいが、向正面に燕が一羽、とてもわかりやすい。乾山写とあるが、本歌は見当たらない。五代の柳茶碗は存在するが、あまり興味がない。それと、この茶碗は刷毛目がついているのがうれしい。ちょっと驚き、しかし、なんとなく風情があっている(本来は初夏の絵茶碗)。偶然、同じものが二つというのも稽古にはうれしい。

もう一つは膳所焼 岩崎新定造 祥ノ字筆茶碗、兼中斎書付。外観は高台脇正面の花押以外全くの白茶碗。お茶を点ててしまうと、見込みの内「祥」字が見えない。つまり飲み終わると飲み口の位置が正しかったのか確認できる。当て物のようでなかなかよい。かたち浅め、大きさは小振り、釉薬ツルツル気味。少し扱いにくいかな。

とりあえずこの二つしか当分使わない。初心者の稽古には樂茶碗は使用しない。

七石

昨日、初の生徒さんが決定しました。うれしい。さて、露地の石のこと:

露地に配置する主要な役石である表千家七石(ななついし)は普通、手水石・前石・小口台の石(腰掛石)・待石(客石)・踏段石・刀掛石(二段石)・捨石を指す。字休菴の七石はまだ設置していない中門をくぐると京都深草で採れる砂利の三和土に乗越石(亭主石)・待石(正客石、鐘聞石)・刀掛石・塵穴の覗石・蹲踞の前石・湯桶石(R)・手燭石(L)の順に並んでいる。

小さな丸い待石はバーゼルの住んでいたところで拾った石で、それ以外は全てここ小泉家の土地にあった先祖のをそれぞれの役に見立てて設置した。それらと手水鉢(鞍馬石)、石灯籠(長州産)、自作の関守石(止め石)といったところが客に対して活躍している。

まだ躙口開いていないときに喚鐘を鳴らします。小さな呼び鈴ですが聴こえたようで、ほっとしました。南部鉄のを茶室内床脇の天井に吊り下げてて、木槌のようなおばあちゃんの撞木で打ちます。生徒に茶席の準備が整ったことを知らせるものです。表千家では「大小中中大」と五点打ち、これは広間のようですが数は少なく!

new year 2025

今年は年賀状復活。といってもごくわずかですが、昨年末に多摩美所蔵WeingartとJBのポスターの健在を確認しに、そのとき竹尾見本帖本店で買い求めた「マシュマロCoC 180kg」に、うちのCanon C5535F レーザープリンターで出力したもの。20枚ばかり。今まで否定していた自社の広告年賀状を作りました(既にご存じの方々にお送りしているので、全くプロモーションになりませんがw)。
昨年の仕事はこれ。『若い人達へ/この道を往く』のために。教え子の平澤氏とほんとうにたった二人だけ(他人間は全く関わっていない)で作った究極本、、、それにしてもホフマンの本は本当に無念でした、amazonで発刊した部数だけでこの世から消滅しました。超貴重本。
さて、今年も竹尾の「クリエイター100人からの年賀状」展 vol.20のために作った三枚(見本帖本店、淀屋橋、福岡)の年賀状だけ実物を見ることができます。おそらく巷の年賀状は今年から本格的に減退。なんと1通85円。その逆風にもめげずこの展示、どうぞお越しください!

Postkarte

タイプショップgの
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教育を
裏付ける書物たち.

Papier: Takeo
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2024/2025
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