版元ドットコムに先ほど載せました。まだ公開ではありませんが、一足早く。今回もAmazonのPODとKindleだけです!小売価格ですが、学生さんのために格安。両方とも税込み¥1,320です。kdpでなかったら不可能な出版、ほんと文字通り出版革命。
https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909178039
よろしくお願いいたします。
天目台
利休が所持した「瀬戸天目」に添う「黒塗天目台」と同手の溜塗台で、高台内側に宗旦が花押を朱書きしている。久田不及斎箱書。どこかで展示したらしい形跡。それにしてもこの形がとてもいい。供茶には必需品。向井周太郎先生の追悼のために出してきた。少なくとも毎月一回どなたか故人の法要に使用する。
実は、今年5月に菩提寺の佐久の貞祥寺で晋山式と荼毘式が行なわれ、午後の儀式にこのような!やはり禅の茶礼と関係があるのであろう。写真は咄嗟に撮影したものの一部を拡大。台の一部がそっくり。
未完成のポテンシャル
秋の集い
今日は、無事終了のお知らせです。
春の懺悔の会の続きで、うちで催すNIDのalumni、楽しかった。
朝鮮の美術
市外日暮里町一一〇四 硲真次郎様
「朝鮮の美術」製本に手間どり、御手許(おてもと)に入るのは五月初旬に延びました。不取敢(とりあえず)御断りまで 二十九日 柳宗悦
という葉書。
これは関東大震災の前年1922年に発刊した私家版和装の重要な本のことであろう。宗悦筆のお軸は前から狙っていたが、格好ばかりでイマイチ、ここには相応しくないものばかり。茶喝とか心喝などいろいろ実物を見たが、腑に落ちない。しかしこの一枚の古い葉書こそ、この茶室にピッタリ。さて、この硲(はざま)という人物。とても謎。名著ができる直前に、わざわざ一筆知らせているという仲。それもこの短文の中で「製本で」と理由まで述べている。どういう方なのだろう。もっと驚いたのは、目と鼻の先、母校の小学校前の大通りを入ったところあたりに住んでいたのだ。ちょっと調べてみると、高村光太郎や藤田嗣治と知り合いなのだろうか。こういう謎はとても好き。
江岑消息(つけたり)
以前判明していた「茶をいただいたお礼に」それ以外の部分を読み下していただいた。
〈裏封〉奥方様 江岑宗左
先日御□存候。其後
便以物淋申上候。
我等近日江州へ
罷下申候。先日よき
時御茶被下千万
忝候。罷下付
今般用所多候。
何方御同行申上
指延申候。其内可
得貴意候。
一 此一箱宗見ゟ
貴札遂朝会
被申習候由申上候。
先日ハ多礼被下存候。
以上
十三日 宗左(花押)
要約:近日近江に行くこと、先日茶を頂きかたじけないこと、用事がたくさんあり、母 真巌宗見の箱のことなどをのべているようだが。まだ、詳細はわかっていない。
銀地竹中次
とうとう手に入れた原羊遊斎作。医師であり茶人(宗偏流時習軒派、それ以前に遠州流を学んでいたとされているが、石州流も学んでいたともいわれている)の神谷松見箱書。立上に花筏蒔絵(字休菴初蒔絵)、内朱。知られた江戸時代後期の江戸蒔絵師による茶器。長年探していたもの。その様なものはないと思っていたが、やはり存在していたのか。他流派の道具だが、ここ音無川の辺りで物語が展開する前の仕事のようである。凄い蒔絵。地ずり(盆付)ちりの近くに「羊」の銘が微かに毛彫されている(これは大概見落とす)。羊遊斎の有名なものは外観がド派手な印籠だが、この茶器は全く地味で、ちょっと見、蒔絵の凄さがわからない。そこがとても気に入っている。
羊遊斎の生涯については不明な点が多いが、文政13(1830)年に藩主松平頼恕からの制作を命じられ、藩主の御用品を手がけることになるので、確実にそれ以前の作と考えられる。おそらく1800年から1809年の間の作と断定できる。というのも、松見は1800年に78歳、1809年に87歳歿。47歳下の羊遊斎は31〜40歳で、抱一は39〜48歳。実に興味深い。いつどのようにそれぞれ接点を持ったのであろうか。となると、羊遊斎はやはり50代?に根岸に出入りしだすのか、、、当時、神田下駄新道に住んでいて、根岸の寮は抱一の雨華庵と庭続きであったといわれている。抱一は文化6(1809)年に下谷大塚に寓居を構え、「雨華庵」の額を掲げているらしいので、まさしく、乙川優三郎著『麗しき果実』の話につながってくる。逸話でもその頃は名士との交遊に忙しく、工房では自ら蒔絵することはほとんどなく、腕の良い工房の職人に仕事をさせていたらしい。おそらく、当時の関係する人たちの流派はこの周辺に近いはず。そして、この茶入はご本人の手による貴重な若作であろう。弘化2(1845)年12月24日に没し、現在巣鴨の講安寺墓地に、墓石には自ら創作した丸に羊字紋、諡号「巍岱院照月更山信士」。
備忘録:『陸安集(りくあんしゅう)』
京橋三十間堀に住んだ材木商の岡村宗伯に始まる宗偏流時習軒派の三代に当たる神谷松見が延享2(1745)年、23歳の頃に編纂したもので、序文は師匠の時習軒二代 岡村宗恕(そうじょ)が書いている。宗恕に入門したのが18歳の時とされ(流祖宗徧も同じように18歳で宗旦に入門)、『茶道便蒙鈔』をもとに師である岡村宗恕と山田家三代 宗円から過去の宗匠方の伝聞に、注訳を加えたもの。時習軒及び山田家においても明治期までこの『陸安集』の筆写をもって皆伝とする慣わしがあったという。宗偏流四代 漸学宗也は三代 江学宗円の実子で、神谷松見から教えを受けた宗也はその皆伝の暁に神谷松見から陸安斎の号を授かり、八丁堀に茶室を構え、広く千家の茶の湯を教えたことにより、その当時は「江戸千家」といえば宗偏流を指すまでになっていたようで、これは川上不白が登場するまで続くことになる。
令和6年9月号 同門
やっと涼しくなってきた。しかし、やることでいっぱいの毎日。
「随類応同(ずいるいおうどう)」
なんとすばらしい。
習熟度の違うお弟子さんそれぞれに寄り添いいろいろな角度から指導していくことが必要です。…稽古場の教えを熟考し、…
まさしく、茶道場。
最初で最後の、レビュー
Jean B. Levy、マイ・フレンド、ありがとう!!!
★★★★★
Design basic
2024年8月4日にアメリカ合衆国でレビュー済み
Amazonで購入
This is a very important book of a swiss graphic designer that influenced generations graphic designer. Designed and translated in japanese by a Swiss trained Japanese designer in Basel.
販売終了のお知らせ
この度、私家版『Reduction. Ethics. Didactics.』の邦訳本が結果的に限定期間発売(11日まで)となりましたことをお知らせいたします。
市場では、すでに話題となっておりますが、原著の版権が昨年Matthias Hofmann Publisherからniggli Verlagに移りまして、新たな版権者と交渉を重ねてまいりましたが、現行の継続販売は不可能となりました。約半年間という短い期間でありましたが、ご購入いただきました方々に御礼を申し上げます。
ぼくとしては、原著刊行当時から、いろいろな意味で頭が本書のことばかりだったものですから、約4年、じっくりArminとともに歩んだ貴重な期間でした。