小泉の仕事

113 T.W. [2001.1.22_12:32]
先生自身、黒子ということで、あまりご自身の仕事については触れたくないように思われますが、私としては建築誌「SD」の仕事をやられていた時の苦労話なんかも聞いてみたいものです。この雑誌は今でもあこがれで、こんな仕事をしてみたいと思っても、一生の間にできるかどうかわかりません。


114 koizumi [2001.1.22_23:31]
自分の仕事を隠しているわけではないので、お聞きされればちゃんとお答えします。SDについては、残念ながら今休刊になってしまいましたが、苦労だらけで、よく5年もできたと思っています。大学立ち上げ時期と重なり、表紙と目次を(新幹線の中で)やるだけで精一杯でした。本当に心残りです。編集部と月一回の東京での打ち合わせ、後はメール+ファクスでのやりとりとARAでイラストレータ・ファイルを通信で送ってやった仕事でした。今から思うとおもしろかったけど。。。それと、表紙の基本型と目次の基本型が同じ雑誌は未だにだれもやっていなかったことと思います。はじめの3年の目次の制作はあたらしい試みをやらせてもらいました。雑誌はむずかしい。毎年12冊。でやっぱり好きなのは3冊程度ですかね。てなとこかな?


181 n [2001.10.31_1:21]
手が修得する前にMacになってしまったので、特殊な技術・・・今は笑えるつらい思い出です。(カッターで文字をカケさて青くなったり、先輩に「オレやるからもういい」と取り上げられたり)たった数年前なのに、今よりずっと仕事と道具が大切にされていた気がします。「ちょっとしたものの言い方」びっくりです。文庫本、持っています。97年の12刷なので、買ったのはもう何年も前ですね。そのフォーマットと法則を調べてみたいと思っていた本でした。(初版はどんなサイズですか?)それから「ワカチガキ」というか、言い回しにあるスペース、ショックでした。小学生の教科書の仕事をした時に、日本語のワカチガキが作る空間に拒絶反応みたいなものがあったのですが、そんなトラウマに効く特効薬でした。ましてや縦組み。キレイであると同時に、冷たい雰囲気を作りそうなレイアウトに思えるのですが、暖かいのがまた不思議。目で動かしてみようとしても動かない。やっぱり元にもどってしまう。とても考えさせられた本です。(クレジット確認)小泉先生だったのですね。感動。


184 koizumi [2001.10.31_12:23]
「仕事と道具」いい響きですね。さて、『ちょっとしたものの言い方』は相当長い間、単行本の姿で書店にありましたので、古本屋に行けば見つかると思います。BOOKOFFで山積みなのでは(笑)。ぼくがデザインした単行本は新書サイズの上製本(かがりではありませんが)で、ほとんど白い本です。当時は白い本がなく、書店でたいへん目立ちました。講談社の装丁会議では本当は通らなかったデザインだったのです。しかしすべてを計算して作った本なので初版はとりあえず、これで行こうということで3000部かな?5000部かな?非常に少なく出しました。結果は初版は即なくなり、講談社の週間ランキングにもズーと残るベストセラーになりました。そのあと文庫化になりましたが、ご存知のようにぼくの当初のデザインではありません。装丁は鈴木さんですし、ノンブルも面付けと電算写植の都合上、ユニバースでなくヘルベチカにせざるおえませんでした。それと「ワカチガキ」そのほかいろいろな日本語の組版の実験をこの本でしました。バーゼルに行く直前で、当時は日本に帰ってくるつもりがなかったので、日本での最後の仕事と思って情熱を込めて作った一冊です。他の仕事はすべて友人にゆずっていた時期で、この本だけに集中していました。全ページ写植のコピー1行1字づつ切り張りレイアウト、実作業だけで半年近くはかかっています。今思うと20代最後のデザインでした。


185 n [2001.11.1_0:35]
BOOKOFFの日本最大級のお店は、私にとって庭のようなものなので単行本『ちょっとしたものの言い方』はもう入手しました。ジャンルで迷ったので、店員さんに出版社とタイトルを言ったら「あー、白い本じゃないですか?」という返事がきました。白のインパクトは相当みたいです。(1冊しかありませんでしたよ)文庫とは、ちょっと別モノですね。ずっとシャープなので、動きがはっきり見えます。タイトル・・・衝撃でした。タブーだと思い込んでいることも、その理由に対処すれば成立するのですね。うまく言えないのですが、やはり我々の仕事って「きまりごと」ではなくって「目の仕事」だと思わされました。ゆっくり見てみます。良い本をありがとうございました。


186 koizumi [2001.11.1_21:01]
ジョークでBOOKOFFっていったら、本当にあったのですね。でも一冊って悲しんでいいのか?喜んでいいのか?そうです、オリジナルはオリジナルですよ。わかっていただいて光栄です。「タイトル・・・衝撃」?どういう衝撃なのでしょうか?そうですね。目と手は大切。


187 n [2001.11.2_22:28]
タイトルのことです。個人的な考え方なのですが、デザインする上での思い込みの中に、日本語正体の「ベタのベタ送り」というのは、文章の流れが生まれないので、キャッチやタイトルでも「ナシ」としていたところがありました。実験作品とか、きっと見てるはずなのに、それでも「きまりごと」の思い込みは、結構根深いなー、と思ったわけです。本のタイトル、コントロールがしてあると思うので「ベタのベタ送り」と言っていいのかわかりませんが、「ナシ」としていたモノの中に、「流れ」と「間」をみつけて、そんなショックです。書体が持つ濃度だけでなく、おそらく罫線が引き寄せる錯視効果もあるのだろうし、もしかして漢字の大きさも調節してるのかなー、といろいろ深読みしてしまうのですが、グラフィックは「目の状況」を作ることだと改めて痛感です。アナログ、デジタル、道具は何でもいいのですが、やっぱりそれはモニターの中では生まれないなーと、とっても当たり前のことを考えてしまったしだいです。「手」については、PCを道具にしてると、いまいちそれが何になるのかわからないので、書かなかったのですが、小泉先生に書かれてしまいました。(Macも好きなのですが)設計者のねらいとは別なところを見てるのかも知れませんが、正直に感じたことが、今の自分の「目」であり、そんなことが気になる時期なのだと思います。・・・何だかおそろしくマジメなことを書いていて、自分でびっくりです。細かい話を、おもくるし〜く展開させてしまいました?


188 koizumi [2001.11.3_22:04]
タイトル:そう、ベタベタです。でも読めますね。アルファベットのよう。あれは本当に偽りのない正方形のグリッドです。そう、罫は視線の流れをつかむ力を持っています。この場合、装飾ではありません。紙の上の常識、非常識はとにかく先人たちの貴重な経験があるので、それを感じて自分から出していく力さえあればこのようなことできると思いますがモニター上は本当にまだまだ浅いという意見です。常識でない実験をしないとそこから抜け出ることはできないのではないかな?それにしてもnさんの『ちょっとしたものの言い方』のご意見はほんとうにうれしい!わかってくれる人は今までにほとんどいないし、埋もれていくものなのです。>タイトルベタベタはこれより先駆けて、電通総研の機関誌の創刊号の表紙でやったのだけど、大不評で、その号で終わった。
実はぼくは今もう一度挑戦しています。やっぱりコンピュータをさけては生きてはいけません。でもどのように使うかは自分にきびしくしていかなくてはいけないと思っています。それは作品をつくるというよりは、学生に何が重要か何とか伝えていきたいと思っています。(1960年代バーゼルでやっていたように=無理だけどね)長岡では視覚デザインの分野の中に情報デザインの部分をかませていくことを真壁先生と毎週火曜に話し合って、毎週いや毎日工夫を重ねています。きっとこのような方法をとっていればいつかブレイクスルーが起きると信じています。ぼくは重苦しいことをわかりやすくすることこそ理解と考えます。タイポグラフィのそれも『タ読方』で現実化したかったのです。


189 n [2001.11.5_20:38]
BookChat; 熱はけしてさめていません。しかし、利用の仕方に迷いがありました。時代性や分業についての呼びかけは興味深かったのですが、それは本の中ではなく、自分の中で生まれたものでした。様々な考えがある中で、本と結びつけて話を展開することは、匿名性をもっても私にはできませんでした。仮に、親しい友人関係の中であっても、その議論には慎重になったと思います。そしてモニター上のコミュニケーションでは悩むものがありました。(結果として言い訳です)このチャットでたくさんの本と出合いました。またひとつ何かが遠くにいってしまうのかもしれません。『ちょっとしたものの言い方』この本がBook offに戻ることはもうありません。埋もれない1冊です。設計者とお話できて幸運でした。


191 koizumi [2001.11.6_10:23]
「新しい可能性」よい考えです。このチャットはよい意味で匿名を使っていただければと思います。ポジティブに!「2ちゃんねる」のようになったら、ぼくはすべてやめる(笑)。もちろん本名でもよいのですよ。BookChatっていいアイデアだね。Chatというよりは、ぼくの推薦図書リストというか、通り過ぎた本たち、残った本たちを載せようか。それとNIDでの初期のタイポグラフィの授業ではじめたレジュメ(Book List)をぼくも完成させなくてはいけないし、ちょっと違うけどこの前のタイポグラフィ年鑑の特集のぼくのとこの延長。。。。しかしかなり片寄りますな。なぜかというと引っ越しの時にイギリス、フランスは相当処分してしまったので。。。あなたの『ちょっとしたものの言い方』はリサイクルのリサイクルにはならないわけですね。安住の地をみつけられて幸せ者です。


257 n [2002.3.3_20:35]
小泉先生のいろいろなエピソードを知るたびに、自分がいかにバーチャルの中であるか、実感します。やはり「体当たり的な経験」が必要ですね。それから最近、対極的なものを知ることは、とても重要だと思いました。アナログに触れたことで、かえってデジタルへの意識がポジティブに深まったのですが、そういう発見は、まっすぐ歩くだけでは見落したかもしれません。1つの書体が試行錯誤で生まれてくるように、自分自身をつくるのも、試行錯誤ということでしょうか。『ちょっとしたものの言い方』小さな発見の感想。。小泉先生、ジャケットの「◎」に色しいてますね。前の持ち主がマーカーでいたずらしてるのかと思ったら、アミ点がありました。これだけのために2版というのは、一瞬贅沢に思えたのですが、考えてみればジャケットですから、一般的に多くはもっと多色刷りの仕事なわけで、それを「贅沢な2色」と思わされてしまったのは、ストイックなマジックに落とされた気持ちでした。。。


258 koizumi [2002.3.3_22:20]
おっしゃるとおりです。話は全く違いますが、ぼくは料理がすき(へたっくそですが)。ワインガルトも(うまいですが)。先日、ぼくのキッチンがあたらしいシステムになりました。気が狂ってるかも知れないけど、ぼくにとってはタイポグラフィと同じなんです。今すばらしい日々です。つまり、システムとどう向き合うか。試行錯誤です。新しい発見がある。
『ちょっとしたものの言い方』:この件は当時、講談社で話題になりました。多くの人が「これだったらスミ一色でいいじゃな〜〜い。」って。つまり、ぼくは色を使う意義というものに一石を投じたかった。巷の多くは色に対して無意識過ぎる。色の飽食、大嫌いです。ものを適応する意義を大切に。もちろん色だけの問題ではありません。


259 n [2002.3.4_17:37]
私も料理がすきです。(うまいです)気が狂っている仲間かもしれませんが、私にとって料理は創作行為です。「システム」。。いろいろな意味にとれる深いコトバでした。余談ですが、最近ウワサの「味覚障害」とは「にがいもの」を知らないことが一因だとか。日本の日常食で「にがいもの」とは、焼魚のおなかだそうです。おいしいところばかり食べてると、おいしいものがわからなくなっちゃう、らしいです。
『ちょっとしたものの言い方』について、大変失礼いたしました。色の飽食は好んでおりませんが、◎に込められたメッセージは、マジックというような軽々しいものではありませんでした。ものを適応する意義、大切にします。質問いたします。文頭・行頭が「カッコ」になると、通常、組ツラから半角ほど落ちた位置にカッコがありますが、(特にグリッドを意識させるデザインでは)カッコの位置を合わせた組版をよく目にします。私もそのようにしていますが、文字に迫ったタイポグラフィ観が芽生えたせいか、文字・組版について、何かと考えるものがあります。この本は、ベタに強いこだわりをもった設計だと感じてます。深読みかもしれませんが(例えば言い回しの下、説明文)文頭・行頭のカッコをそのままにしてあることに、何か意志を感じるのです。コンセプトと関連したことなのでしょうか?宜しければお聞かせください。ずいぶんひとりで長居をしてしまいました。この質問についてのやりとりで、そろそろと、おいとまいたします。。


260 koizumi [2002.3.4_21:22]
焼き魚はネコよりきれいに食べると言われてます。さて、回答いたします。そうこれはふたつ考え方があります。日本語にふさわしくカッコ「カギ」?
1 カギのつらを合わせて頭そろえにする。
2 カギをとび出たせて次にくる文字のつらを合わせて頭そろえにする。
(カギはハンギングでも字面の強い日本語はこれのほうが視覚的にピシッとくる)決してカギが一字目に全角扱いで入ることは許されない。カッコ(パーレン)の場合はそのへんがゆるくなる。つまりフォルムが甘いから。『ちょっとしたものの言い方』では本文9Q10H送り以外はしていません。


261 n [2002.3.5_2:59]
ご回答ありがとうございました。9Q。。大変失礼いたしました。きちんと調べてから質問するべきでした。10Q・20Q・40Q。10Qグリッドのフォーマットだと思い込んでました。良く見てない証拠、反省いたします。ふたつの違い、目で確認しました。「ピシッとくる」も理解できました。「・・許されない」。。自分では何かしら行頭処理をするので、許されないモノについては無関心であると気付かされます。きっと自分のことではないから許しちゃっているのです。禁則についてもその理解はバーチャルに止まっていますが、調べたキッカケは「その人まかせ」になってる現状へのギモンでした。しかし今ここで、それが自分自身であることを思い知ります。まさに遠回りして戻ってきました。。
『ちょっとしたものの言い方』最後の感想:この本については、個人的な関心がありました。初版発行の年からして、小泉先生がこの本を作られたのは、おそらく今の私の年齢です。生意気な表現ですが、小泉先生とのやりとりで、この本は自分を見つめるスケールになっていました。当然、出会いも努力も行動力も、比べものにはなりませんが、何よりも学んだのは、小泉先生が、作ることで発言されているということでした。それについては今後の自分に影響を与える予感がします。。ということで、当然、打ちのめされたのですが、前に倒れたようで、悪い感じではありません。。どちらかというと、私は構成的なトレーニングをしてきたデザイナーで、文字に迫ったタイポグラフィの世界は始まったばかりです。精進いたします。。
毎回、長文になり申し訳ありませんでした。大変貴重な勉強をさせて頂きました。ありがとうございました。


262 koizumi [2002.3.5_9:18]
おまけ、「10Q・20Q・40Q。10Qグリッドのフォーマットだと思い込んでました。」正しいのですよ。9Qの文字を10Hの字送りです。「・・許されない」すみません。きつい言い方でした。これはあくまでもアタマ揃えに見せる場合です。これからのnさんのお仕事に少しでもお役に立てば幸いです。



283 koizumi [2002.4.27_20:38]
みなさん!建築というキーワードでタイポグラフィの話が出てこないのですかね。それではそれでは。。。きのう、ある人に見せたくて10年以上ぶりに駒場にある日本民芸館を訪れました。やっぱり、すばらしいコレクションです。見せ方もよい。ちょうど6月30日まで「日本民芸館名品展 東洋編」を展示しています。GWを利用してぜひこれは見てださい。日本はすばらしいの一言。実はこれとほぼ同じ展示をフルティガー夫妻に見せたのです。そして柳宗悦はなんとなんと。そういえば前の仕事場、机の目の前には常に宗悦が仕事をしているところの写真の切り抜きを貼っておいたんだけど、あれ、どっかいっちゃた。。。そろそろ、本当にこのBBSも閉店ですかね。


284 rebus=gabel/hirn [2002.4.28_22:37]
こんにちは。こちらにははじめて書きます。建築といえば杉浦さんは建築科出身のようですね。御本人のインタビューでも、建築と活字をひきあわせて、建築的な精度を活字・タイポグラフィに持ち込もうとしたということを確かおっしゃっていたような覚えがあります。
>何とか復活しなくては。
SDはなくなったのですか?SDは杉浦さんや羽原粛郎さん、小泉先生などタイポグラフィの分野での実験的な活動の舞台になった感じがするので、なくなるというのだったら残念です。ルダー風という言葉がけっこうまかりとおってしまうようにファッシヨンになっていたり、ヴィジュアルプレイだけのような雑誌がどんどん生まれてきているなかで、存在はしていてほしい雑誌のひとつです。表紙だけとっても、内容情報を表紙にもってくるというのの最初の雑誌だったのでは、と思うし、(そこにも建築からの構造という視点があるのかと思われたり)印刷の掛け合わせの実験のようなこともおこなわれていたと聞きます。僕は杉浦さんのSDの本物はみたことがないので、不正確な情報ですが。ワインガルトのTMでの実験も多分それとにていると思いますがどうでしょうか。たとえば1976年の
Is This Typography Worth Supporting,
Or Do We Live On The Moon?『Typography』p.399
の号では表紙から本文が始まってるので、少し杉浦さんのとはちがいますが、本の内容がタイポグラフィは生きてる!とかコンピュータがこれからハンドクラフトにとってかわるんだ、とかそういうもので、作品では写真やレイヤー、タイプライターでの実験が含まれていて、それであの表紙かと納得します。実験の結果という意味でです。本の内部では、読めない部分があり、それが最後のページで読めるように再度のせてあったりしますが、表紙はあれだけ一見ノイジーであって、英独併記を妙な感じでおこなってもいるのに、読めるということは、ノイジーとかノイズタイポグラフィとか今言われているものとはすこし違うもの、という印象をもちます。読める読めないの境界、一線を身につけるのはどういうことなのか、かんがえさせられます。コンピューターで自由自在というのは面白いですが、境界を意識しなければなんでもありになってしまい、張り合いがなくなってしまう、と思います。この掲示版というのか、BBSというのか分かりませんが、このような場は他にちょっとないので、継続していただきたいと思う人はたくさんいると思うので、閉店間際のようで開店というのでどうでしょうか。僕のようにちょこっと見るという人の数はもっといると思いますし。あと自分で書いてみてはじめて思いましたが、コメントを書く欄がすこし小さいような気がしました、というのと、それでか分かりませんが結構ながなが書いてしまうものだなーとも思いました。


287 gabel/hirn [2002.4.30_8:42]
284の内容で、すこし足らないところがある感じがしましたので、言葉を補いたく思います。あと名前がながすぎたので、みじかくしました。ノイジーとかノイズとか軽い感じで使ってしまいましたが。けい線にしろ、グレイトーン、写真による文字のふくれたアウトラインにしろ、メッセージをかんぺきに遮断するようにもはたらくし、あるいは単純に無意味であるとか、そんな場合読めないとかちょっと醜いという意味でノイズといってよいのかと思いますが、Do We Live On The Moon?号の表紙はそれとはちがうとか、そういうことを意味しているんだと思います。あと建築と活字のおはなしで、級数の倍数で紙面を形成、というようなことも杉浦さんはおこなわれていたとおもったのですが、僕は活字のことを分かっていないので、それもどなたか詳しいかたはぜひ。おわります。


288 n [2002.5.1_1:58]
こんにちは。「活字」と「倍数」というのを目にしていたら「号数」を思いついたのですが、「初号・二号・五号・八号」「一号・四号・七号」・・・で設計するのかなぁ?と考えていたら、「モデュロール」あの羽目板遊びの分割の絵が頭に浮かんでしまいました。専門書などで、建築に話が及んでも、私の理解はグリッドの面と線で止まっていたのかもしれません。タイポグラフィを3次元的に感じたので、読んでいてすごく刺激されました。(そういえば、以前小泉先生にしつこく質問させて頂いた『ちょっとしたものの言い方』も、10Qのグリッドが見えた時に、漠然と活字的な印象を受けたのですが、20Q・40Qと倍々になっていましたが)



417 T.W. [2003.12.2_12:32]
お世話様です。先生が作成されたであろう、長岡造形大学の卒業終了展のポスターをデータで見る幸運にめぐまれました。かつての「SD」誌のようです。コルビジェのロンシャンの教会のような、建築的な骨太のデザインに感激しました。刷り色は銀とスミの2色らしく、出来上がりが非常に楽しみですね。もう完成したのでしょうか?


418 koizumi [2003.12.3_22:47]
T.W.さま:エエエッ!うそ!どこでみたの?ぼくの研究室の前の壁?某印刷会社?不可能だよ。まいったなあ。それにSDなんって、言ってくれて。。。なつかしいね。うれしいね。おそらく今日の午後、フィルム出力していると思うな。それにしても、どこで見たの?まあいいか。深く考えるのはよそう。あのポスターは約1時間、学生達が研究室に来る合間にこもって作った、しょうがなくやった仕事。このような仕事のやり方はバーゼル以前。青山時代以来だね(^^) そのうち、ポスターは長岡周辺で貼られるでしょう。どうぞ盗んでください(^^) ところで、どこかで「SDの表紙」展でもやってみようか?5年分ですから12×5=60あるはずなんですけど。。。校正刷り、刷り出し、ぼくのビョーキの指定などグチャグゥチャ。


419 T.W. [2003.12.4_7:33]
お世話様です。私は、某印刷会社の社員です。それにしても、先生はゴシックの組み方がうまいですね。デザインにその人なりが出せるというのは、本当に難しくて、実現しているということは、素晴らしいです。明朝体なら杉浦康平ということでしょうか。「SDの表紙」展是非とも新潟でやってください。何かお手伝いできればいいのですが。


420 koizumi [2003.12.5_23:50]
そうでしたか。。。安心しました、しかし、世界は狭い。というか長岡/新潟周辺でのこの掲示板に参加されている人はめずらしい、のですよ。文字の使い方は訓練ですね。でも、その前に好きであることが条件ですね。そういえば、ぼくのSDのロゴ(2年目から5年目)、アメリカ人が完璧にパクッてるね。この前、図書館で発見した。なんかうれしかった。表紙展は実現しないと思いますよ。



480 koizumi [2005.1.8_21:57]
年末から佃の仕事場にこもってやっていたら、いつのまにか。。。今日。夢中で『Capa in Color』2月の展覧会に向けて、図録(いや写真集だね。あれは)やってます。はっきりいってすごいです。去年から、仕事にめぐまれてましてJALSAの冊子とか、その他ロゴとか、2004年はBIG STEPでした。そう、女子美。ごめんなさい。舞台の上では言いたいことの半分くらいしか言えていません。上がり性は直らない。そうですね。今のデザイナーはMacがあって、が前提ですよね。まったくのパラドックスなのか。そういうぼくも今はパートナーのデザイナーと毎日、InDesignとの挌闘です。これができないとダメでしょう。そう日常はシュミレーションとアンドゥの世界でうめつくされているのです。なんかこれぞって<勝負>がない世界なのです。おもしろいこといいますね。ぼくは活版は「ヤレ」の世界だと思っています。仙台に行くとみんなが作ったヤレばかり集めている。このまえは頼んでおいたヤレを全部捨てられてしまった。すごく悲しい。ヤレをみるとすべてがわかるんですよ。ヘヘッヘ。『バーゼルへの道』真剣に読んでくださいね。よい正月(終わったか)。


482 koizumi [2005.1.22_21:14]
日本画いいな。ぼくもやりたいな。岩絵の具。。。おじいちゃん。ぼくは実は正月全然なくて、今に至ってます。完徹まではいかないのですが、まだまだ睡眠がすごく少ない状態。 CAPA IN COLOR 見てください。図録というか写真集、、、世界に先駆けて日本で、です。力はいってます。こういうのバカラ以来の仕事です(^^)展覧会はたった6日、図録はその後、たぶんひとり歩きします。誰も見たことのないロバート・キャパの写真たちです。もう少しです。注意:チケットとかポスターはぼくではありません。図録の中身ページ!写真130点ページと読み物ページです。今年の桑沢、なかなかでした。すごい作品あったね。(すみません、授業を受けていない人は見ることができません)もちろん佃で花見やります


485 koizumi [2005.2.15_10:50]
出版のUDはうちも『JALSA 63/64』で実践しております。基本的にはeBOOKや携帯で読書のようなことには、ほとんど興味はありませんが、障害がある人がインターネットを通してしか情報を入手することができない状況で、今できうる最高のタイポグラフィで提供をできるような努力をしようと思っています。それから、あまりにも情報を提供する側の人の周辺が変化しているので、その辺に興味を持っています。具体的には全国JA(農協)の広報に配付される機関誌で編集デザインの基礎をテーマに連載します!ってな感じです。takahashiさんは良い仕事をされていますね。


488 takahashi [2005.2.19_21:57]
koizumiさま、レスが遅くなってすみません。本日、桑沢へ行って参りました。生徒の皆様、きっちり勉強されているようで感心しました!koizumiさんはJALSAのお仕事をされていらっしゃるのですね。今度の出版UDフォーラムで講演をしてくださる静山社の松岡さんと関わりの深いところですので驚きました。モニターの一画面で見られるようにPDFのページを設計する試みはすばらしいですね!うらわの図録、koizumiさんの分を確保したので桑沢へ行った際にどちらかにおことづけしようと思ったのですが…プロダクトの教員の知人に相談したのですが、赤坂からの引っ越しでゴタついているので学校へ預けるのはちょっと危険かも…とのことでしたので持ち帰りました。そんなわけで、どうやってお渡ししたら良いものかと悩んでおります。28日のフォーラムにはお越しになれますでしょうか。


489 koizumi [2005.2.19_23:37]
桑沢展、どうもありがとうございます。明日行くのがたのしみです。昨晩、次号『JALSA 65』の打ち合わせでした。ぼくにとって若い頃を思い出させる、すごく新鮮な機関誌の編集デザインの仕事です。担当はうちのデザイナー糟谷ですが、みんなで、手作りの冊子で、これからの可能性が大です。なんか、こういうことって、なくなってきちゃったな〜〜。そう、ぼくはお会いしたことありませんが、ハリーポッターの松岡さんのだんなさまが機関誌JALSAを築き上げたとのことです。FLUX図録、うれしいです。28日、月曜日ですね。なんとか行けるように日頃の行いをよくします(^^) メールいただけると、助かります。


494 koizumi [2005.3.19_15:52]
はじめまして。どうもありがとうございます。物事が繋がって行くこと、、、いいですね。その通りです。レイアウト上達はおそらく日頃の訓練で良くなっていくと思います。禅の修行のようなもの。歳は関係ありませんね、むしろ歳を重ねて、充実してくると思いますよ。42、これからこれから、絶対にやめないで。ぼくは昨年から新人の気持ち、やりなおし、スタートです。キャパはその結果のひとつ。そう、キャパの仕事はたいへんでした。スペースシャトルがなぜ落ちたかわかりましたよ。世の中には完璧はないし、人はミスとなかよしなんですね。マグナムtokyo@magnumphotos.co.jpにメールしてください。買えます(なぜかホームページには載っていませんが)。きっと、今まで見たことがない本文ページと思いますよ(笑)。


500 koizum [2005.5.6_10:13]
連休は仙台で活版三昧。きのうは鎌倉の友達のgiogioギャラリー、次回の催しは15年前にぼくも参加させていただいた『ヴァカンス展』の再現です。たのしみだな〜〜〜。