178 n [2001.10.28_18:37]
そういえば写植機は見たことはありますが、打ったことはありません。機会を得たらやってみます。随分前ですが、やや規模の大きい印刷所を見に行ったことがあります。フィルムワークの工程を何時間かかけてぐるぐると追っかけました。しばらくして、世の中はデータ入稿の時代になりましたがその経験が今でも自分の判断に役立っています。活版に興味をもったのは残念なことに、写植においてもポストスクリプトにおいても和文で好きだと思える書体に出合えなかったことでした。特に明朝系は、太くなるほど考えてしまいます。それで戦前の活字に興味がでてきたのですがきっと何かと出合える気がしています。そんな予感がする今日このごろです。
179 koizumi [2001.10.29_8:52]
写植は活字とは違った実体があります。印画紙の上の文字。つまり一種の写真と考えてよいでしょう。ぼくの世代のデザイナーは皆、印画紙上の文字を詰めていました。特殊な技術です。(なつかしい)一字一字コントロールすることは、活字をさわることとは違いますが、ぼくにとっては同じことのようです。一行一行こうでもない、ああでもないという結果でてきた作品が『ちょっとしたものの言い方』(今では講談社プラスアルファ文庫で本文組みは見ることができます)印刷屋はすごくたのしい。毎年学生をつれて行きますが、あのインキのにおいをかいでいるとクラクラ来てよいものができそう。ただコンピューターからいきなりPS版が出てくるのは職人くさくないので好きになれないね。戦前の活字については正しいですが、ぼくは印刷技術と深い関係があると思います。ただ活字の書体そのままのフォルムをオフセットで刷るときっとボテッとして美しくないでしょう。(cf.『タイポグラフィの読み方』p.08-09 4つの岩波文庫の本文)ですからアルファベットの名書体でも変化してきているのです。(cf.『タイポグラフィの読み方』p.49 5つのガラモン) それと言えることは日本語はもっと複雑なことがからんできます。
434 koizumi [2004.6.23_1:45]
今日、朗文堂に行った。15年前のように写植をとりにいった。片塩さんと久々に長話をした。たのしかった。今、アシスタントの糟谷さんが写植で装丁の版下を作っている。マックではできない文字の醍醐味を味わっている。現実の材料(REAL WORLD)を使っての仕事はやっぱり気持ちがいい。忘れてはいけない!ぼくはこの世界で実際仕事をやってきたのだ。
[メモ]
その後、朗文堂の写植業務も終了となり、
「文字道」に写植機と文字盤が眠っていることを
知ることになります。