牛か丑か

表千家と牛の関係、まず「牛頭天王(ごずてんのう)」かなと。祇園精舎の守護神とされ、京都東山祇園に鎮座して祇園信仰の神ともされ現在の八坂神社にあたる感神院祇園社から勧請されて全国の祇園社、天王社で祀られているからだ。この掛物は、5月18日に上御霊神社の祭礼に先立ち、厄除けのお札として、上御霊神社から下符された「牛王宝印」の護符を松風楼の床に掛けられ、庭内の松で作った松ノ木卓には、左の神折敷に「丸餅」と削った鰹節を供えるのが習いとなっているらしい。これは、表千家内弟子が務める仕事のひとつ。このことを門下に表しているのだろうと思った。また、俗に「オカラスさん」とも呼ばれるこの熊野牛王神符は、素盞鳴尊の別名であり、カラス文字で書かれた熊野三山特有の御神符。牛頭天王の御名の一部を受け誕生したと云われていて、これまで多くの武将の誓紙、連判状に使われたことでも知られる。
しかし、この扇は円相の中に普通の文字で「牛」と書かれている。円相と十牛図に関係があると言われていることを思い出した。常に第一図とされる尋牛(じんぎゅう)は、私たちが円のように完全でないことを自らの中にそれを見出しているから、いつでも何かを求めている。仏道に志しその答えを求めたり、生き方を模索しようとすることを「発心」という。これは、何かに導かれるように、あるいはきっかけでつき動かされるようにして茶道を始めるとき、人それぞれに動機がある。しかし、やはり茶道に引き寄せられる己がそこにあることを知る。茶の道場の門をくぐるとき、それはまさしく久田尋牛斎と即中斎が関わることに繋がるのであろう。

この掛軸からの推測、6,5寸の扇であったらしい。それも木版の。これは現在のオフセット印刷された稽古用扇子の前身かもしれない。つまり稽古中の結界。正しくはこのことであろう。究極の記号だ。茶席ではこの扇子は開かないのである。なので、持ち主がこのように表装したのだ。完全に内在を意味していた。でもやはり、牛に梅で、新年に掛けたのであろうか。

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