大槻如電宛

高田忠周書簡と肉筆の書が手に入った。ヤフオクで偶然見かけて、うちのアーカイブに。ちょっと興味深いのは、この手紙はうちの近所から近所に送ったものだ。実におもしろい!このような消息が残っているとは。
封筒の切手が剥がされているので、正確な年が不明なのが残念。竹山が大正14年から昭和5年ごろまで東京府日暮里町字谷中本175番地に居を構えていたことは奥付などで知っていたが、この印は!確実だ。それも文彦の兄の如電ともこのような交流があったとは。この辺一帯は文字天国だったのだと。
なお、『五體千字文』奎文堂、1880年刊。有名な『五體字類』西東書房、1916年刊が後に大ベストセラーとなる。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/853475
http://seitoshobo.jp/gotaijirui.html

且坐(さざ)

江戸時代中期、町民の茶道人口が増加、現在のように茶道の厳しさが失せ、華美な茶道を求める者が増え、遊芸とする風潮が起こる。茶道における精神・技術を7つの稽古法でみがき、禅における「七事隋身(しちじみにしたがう)」の精神を基に当時の大徳寺の大龍宗丈、天然宗左(如心斎)の参禅の師である無学宗衍の助力があり、また実弟の竺叟宗室と一燈宗室や川上不白ら高弟と相談して禅の精神に基づく厳しい修練を目的とした「七事式」を如心斎の没年までに完成されたとされている。

無学宗衍の七事式の偈頌:
花月は「互換機鋒看子細」
且座は「是法住法位」*
廻り炭は「端的底看」
廻り花は「色即是空 凝思量即背」
茶カブキは「千古千今截断舌頭始可知真味」
一二三は「修証即不無染汚不得」
員茶は「老倒疎傭無事日 閑眠高臥對青山」

昨日の「このほうは ほういにじゅうす」*の稽古、「且座之式」を一回行うことを「一座(いちざ)」といい、茶事の内容を集約したもので、客3人と亭主(東)、半東の5人で行う。臨済宗の宗祖臨済義玄の語録を集録した臨済禄の「且座喫茶」、趙州の従諗(じゅうしん)の且座喫茶法からとも言われ、七事式中で唯一名称が禅語から引用されている。それぞれの役割、法則が前もって決められており、一度定まると位置や役目が変わることはない。最初に折据を回して役目を決め、どの役目も出来なくてはいけません。日々の稽古の大切さを改めて感じます。

始めに、半東が花を運び、正客が花をいけます。
次に、次客が炭手前をおこない炭をつぎます。**
続いて、三客が香をたき(香元)、正客から順に香の香りを嗜みます。
東(とう=亭主)は、濃茶を点てます。東以外の皆でいただきます。拝見。
終わりに、半東が東に薄茶を点てます。
しまいが終わると、東と半東は一度席をでて再び席にはいり、総礼をします。
東と半東が席をでて、正客、次客、三客の順に席をでます。

以上、稽古中は自分と他者との関係で「機敏に動く」が重要です。尚、茶カブキは各服では不可能ですが、且座は半東がかなり大変ですが可能です。

武島羽衣 秋草

いろいろに なく秋の夜の 虫の音を 色にいたせる 野べの八千草

「春のうららの隅田川…」、瀧廉太郎の歌曲「花」の作詞者の秋の詩。いろいろな逸話があって、華やかな人だが、筆はわりと好み。一行軸で幅がなんと16cm、細長い。とてもモダン。ちょっと教育者の軸とは思えない。

扇面画題

抱一筆「扇面雑画」

1 白梅 
2 桜 
3 桃 
4 柳 
5 早蕨 
6 蕨と蒲公英 
7 菜の花に蝶 
8 桜草 
9 藤 
10 鉄線 
11 水草に水黽 
12 沢瀉 
13 河骨と太蘭 
14 布袋葵 
15 枇杷 
16 蘭 
17 酸漿 
18 露草 
19 撫子 
20 山帰来 
21 芒と嫁菜 
22 萩 
23 烏瓜 
24 柿 
25 吹寄 
26 雪中藪柑子 
27 若松と藪柑子 
28 譲葉 
29 水仙 
30 墨竹 

31 瓜に飛蝗 
32 生姜 
33 茄子に蟋蟀 
34 結び椎茸 
35 豆と藁苞 
36 大根に河豚 
37 瓜草に雲雀 
38 鷭 
39 稲穂に雀 
40 枯蓮に白鷺 
41 蝶と猫 
42 鹿 
43 目高 
44 蝸牛 

45 藁屋根に夕顔 
46 浜松 
47 蓬莱山 
48 秋景山水 
49 田園風景 
50 雨中山水 
51 破墨山水 
52 社頭風景   

53 五万米と水引 
54 鶯笛と若菜 
55 盆栽 
56 稗蒔 
57 玩具 
58 五徳と羽根箒 
59 籠に雪紅葉 
60 布袋

其一筆「十二ヶ月図扇」

1月 若松福寿草 
2月 彼岸桜 
3月 曲水 
4月 難波薔薇 
5月 鍾馗 
6月 凌霄顆
7月 花扇 
8月 月宮殿 
9月 菊慈童 
10月 桜花帰り咲 
11月 雪中鴉 
12月 追儺式

残念、いずれにも黄蜀葵はない。 

東都名家寄合書畫

今日の自主稽古は如心斎の道具尽し、しかし見立てのひとつで床にはこの軸を掛ける。如心斎の考案した七事式「花寄せ」に因んで風炉の季節(立夏から冬至には草花の種類の多い時期なので)、花所望ということで同席する方々が順次花入を選んでできるだけ多く茶室に取出して生けるという式法があるが、現在コロナ変異株の異常な流行のため外からの複数の客入室禁止にしたので、当分の間はこのようなことはできず、こういった現れになるだろう。
9月13日如心斎の命日「天然忌」は供茶と即中斎の円相、14日からは熊澤泰禅の円相と決めている。

茶室では語らぬが、国民に対して何も重要なことをやらない自由民主党の政治家たちには呆れる。許されることではない。言葉にならないぐらい罪深い。

大槻文彦肖像

撮影1926(大正15)年 26×19cm 玉木金次郎商店(額縁・鏡看板・製作:東京市京橋区京橋2丁目4番地)の額入り。髯を蓄え卍の紋付姿で読書する大槻文彦翁、広く世間に知られた有名な写真。右下に「大槻文彦」白抜き文字焼き込みあり。仙台で大槻文彦翁を深く尊敬する人物が永年書斎に飾っていたものらしい。https://note.com/keioup/n/n67fdbb690db2

大槻三賢人

仙台藩医の玄沢、磐渓、文彦と三代にわたって、偉業を遂げたことの一部分を調べている。それは文彦が残した「根岸及近傍図」という地図に繋がる。なんとその地図にうちの先祖の地番が載っていることから発している。ご本人は音無川ほとり東日暮里4-22(現高野ビルあたり)、雨松軒が終の住処。ここで日本初の近代的国語辞典『言海』が執筆された。
詳細はこれからじっくりと。少しずつ解明してきているのだが、おそらく出会うだろう膨大な情報からどうしたらいいのだろうか。磐渓の書も手に入ったが(四書五経ではないよう、意味不明)。この肖像画は文彦が自身のコレクションをポストカードに、実に興味深い。ヨコ組の本が机上に!