棒画賛で有名な中原南天棒。ある逸話が、1873年(明治6年)九州巡回中、宮崎から大分にいたる国境で、百姓家の牛小屋の隅に南天の大木を発見し、主人から譲ってもらい、その場で引き伐って手ごろの棒にしてもらった。「これが私の竹篦、これで、天下の衲僧を打出する」同行の天恵、恵範和尚に「貴公は南天棒だ」いわれ大笑いした。という。多くの書は「道得南天棒道不得南天」南天棒鄧州(花押)とあるが、この書は似ているがその逸話ではなく、萬輝宗旭筆「可惜許…」とある。
〈碧巌録〉第23則《保福妙峰頂》にあるそれは、「そのようなことで有頂天になっては困る」というセリフだった。おそらくここにヒントが隠されている。南天棒より遥か昔に現れた棒画は、〈碧巌録〉の「水は杖を将って試む。」なのではないか。
一言一句:ちょっとした話や言葉のこと。
一機一境:一機とは心の働きが動作に現れたもの。一境とは心の働きを外境によって示すこと。
一出一入:一つの自由と否定のこと。
一挨一拶:軽く触れたり、強く触れたりすること。
を示しているのであろう。大徳寺や永平寺の僧の棒画賛はめったにない。なぜであろうか。