啐啄斎/不寂斎宛消息(1765年ごろ)

素晴らしい!美しい字で意思がはっきり記されている。
消息は全く選ばなかったが、これは別。ぼくも
この書面と全く同意の時に掛けることにしたい。
愈御平安可被成御入珍重存候。
然者此間得御意候節入門
之事ちょと御噂御座候。
然処●●翁春己来
不●等旁入門之義何連も
此節御断申達候義御座候間
左様御心得置可被下候。仍之
申達候。尚期面上候。以上。
  如月十九日
 尚々不及御報候。以上。
堀内宗心老 千宗左
   用●

うず‐ざくら

鞍馬の桜は散ってしまっただろうか、、、うちの蹲は鞍馬石。
言葉の響きがいい。うず=コマなので、ぼくは、桜としてでなく、ふさわしい客の時にはいつも使うつもり。
不仙斎が銘を付けたとても使い易い茶杓。共筒共箱のセンスが抜群、ものすごく美しい。
「鞍馬竹伐祭之竹を以削之 七本の内 長生庵」
櫂先剣先、裏に銘の墨筆アリ
丸撓め
直腰
切止4刀
白竹5寸

茶人論

珠光:極月冬木の雪、遠山に似たるか
引拙:十月時雨の頃、木葉乱るる時節に似たり
紹鷗:夏も越し、秋の月、紅葉に似たり
利休:早、冬木なり
偉大な四人の茶人たちが描いていた茶の世界と現代の違い。このようになるとは全く予想していなかったのではないか。違いというか根本が異なる。

作意と作為

滾(たぎ)りたる茶=
他より、ぬきんでている茶・ひいでている茶。ひたむきに修行に励む茶。
ぬるい茶=
湯の温度が低い茶ではない。働きなく、間の抜けた茶。
「芸術などというあからさまな意識をもつことは、茶をぬるくすることになるであろう。」p.89

圓通

【ゑんづう】真理があまねく行き渡っていること。修行者の知慧がすべてに及んでいること。
吸江斎 筆 1818–1860
久田家7代宗也(啐啄斎の弟)の子。紀州藩徳川治寶より真台子の皆伝を授けられ、利休の茶の湯的伝を伝える。8歳で家元を継いだため、皆伝は一時、了々斎より治寶に預けられていた。1836
つくづく惚れ惚れする書。現代の(マスコミやデザイナーがチヤホヤする)有名書家には絶対に書けない。

如心斎作写 コマノ紋香合 (1933)

初釜三昧の日々。
ヒョンなことから出会った。こういうものがあるんだ!すごい。樂惺入造。惺斎蓋裏朱書きの在判、箱書に癸酉とあるから70歳の時の正月?如心斎自作二つの香合「本歌」の金色の線で緑の方。そっくり。もっと黒っぽいと思っていたが、ますます深い記号の世界、渦と永遠に回り続けるコマ。
http://www.omotesenke.info/english/effort/01/03/img/ishizue3.pdf

初釜会記

稽古始め:
掛物 即中斎筆 春入千林處々鶯
釜 即中斎極 丸釜 古浄元作
炉縁 沢栗 久以作
香合 即中斎好 傳来独楽紋
蓋置 青釉竹節 覚入作
茶入 李朝中期絵御本 銘:韋駄天、仕覆真田間道
真竹茶杓 常づかい 銘:蓬莱
主茶碗 黒樂 銘:初代錦 一指作*
替茶碗 萩*と越前焼刷毛目 五島哲作*
(由緒:扁額作者の菊谷氏の母上所持品を譲り受けた三碗*)
掛花入 青竹一重切
花 短い結柳、白椿蕾添え
濃茶 子昔 詰:一保堂茶舗
菓子 常盤饅頭 二久作

「利休のかたち」展にて

大晦日に会場にて『山上宗二記 (今日庵文庫蔵)』を拝見。論点となる「山ヲ谷西ヲ東ト茶湯ノ破法度物ヲ自由ニス、」のところの解釈が、利休は茶ノ湯を自由になしたが、名人なればこそ正道は外れないという旨。この解釈が、決して7Fのようなことではような気がする。
指月集には「茶道の本意は、ひとえに清閑をたのしぶ人に存して、墨宝、名器の中にあらず。」とある。
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茶道具には「利休好み」や「利休形」など千利休の名を冠した道具が数多くあるが、それがはたしてデザインとしてスタンダードとなっている「利休のかたち」ということなのか、、、東京・松屋銀座で「利休のかたち – 継承されるデザインと心」展2020年1月20日まで。
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それは儀礼的なものを無視したことでなく、…古人もこれを茶の湯の心得、その法式を大切にすることのみを心懸けていたが、「易ハ、其法式ヲ階子ニシテ、多少高キ所ニモ登リタキ志」があってそれに立ち向かったのである。
『茶の美学』p.83–84