今こそ「謙虚は美徳」
“12” T-shirts
…T-shirtsのフロントには心臓の横あたりにひっそりとRSロゴを裏プリント。…
https://commmonsmart.com/pages/ryuichi_sakamoto_12_tshirts
昨晩、偶然目に飛び込んできました、、、
RS logo、懐かしい仕事。遠い昔、震災の長岡から帰ってきて、一睡もしないで毎晩のようにNYの坂本さんとメールでやり取りしたことを思い出します。
JDP
東京ミッドタウン・デザインハブ内にあるインターナショナル・デザイン・リエゾンセンターの毎月不定期で開室しているリエゾンセンター・ライブラリー。
広義の「デザイン」に関する新刊書籍を約3ヶ月毎にピックアップし展示しています。昨年10月から12月に出版された本27冊に『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』が!「デザイン新刊本紹介コーナー」にぜひ!!
2024年1月の開室:
6(土) / 7(日) / 8(月祝) / 15(月) / 16(火) / 23(火) / 28(日)
開室時間 : 13-19時
https://www.jidp.or.jp/ja/2023/12/26/shinkanbon14
トンビ
とうとう、手に入れた。古着で三越製のカシミヤ。戦後まもなくのものでしょうか。
いわゆる「和装に合う」コートとは。渋沢栄一が愛用していたScotland inverness coat、外套(がいとう)、丈の長いコートにケープを合わせたもの。共地のケープが添えられていたためインバネス・ケープと呼ばれることもある。インバネスの原型はケープの部分が背中までグルっと回っているが、それに対してトンビはケープが脇までしかなく、背中は一枚仕立てでシンプル。ケープは着物の袂(たもと)を気にすることなく自然に袖代わりになる。黒いケープの様子が鳶が羽を広げたようなので「トンビ」という別名が生まれた。
明治中期になると、渋沢好みの形は「二重回し」となって登場することになる。インバネスは膝丈で、これを着物の着丈に合わせるために、くるぶしほどの長さに仕立てたのが二重回しでした。「インバネス」と「二重回し」とは混同されているが、これらは違うもの。
渋沢は、黒の二重回しを、カワウソ毛皮衿などなしの簡素な伝統的なものを好んだようです。しかも昼間の男性用礼装であるFrock Coatの上にも平気で二重回しを重ね着して、Bowler(山高帽)。この進化は「和魂洋才」西洋文明の洗礼を見事に受けた結果、日本の土壌で生きる。ということでしょうか。
the sixth dose
Pfizer-BioNTech COVID-19 vaccine the Omicron XBB.1.5 subvariant
HG2346: two of us
kompost
さっちゃんのおかげで、30年ぶりに始められました。ここでも都会のシステムがやっと。https://www.city.taito.lg.jp/kurashi/gomi/namagominogenryo/20230720.html
吉田別荘の大蹲
都立竹台高校に民生委員として伺った。ちょうど我家の斜向かいの裏庭に正式に招待していただいた。入場できそうで、勝手に近くには行ってはいけない。
その後、都庁財務局建築保全部の本多氏に、新築工事の際移動している写真を見せていただいたが、外部には提供できないとのこと。謎は深まる。
abyss
5:39 with Christian Fennesz/cendre Electronica…20070622 in NYC
宴会料理
昨日、民生委員の新年会があった。普通でも滅多に宴会に出ないぼくが出席した。まずそこが驚き。
よく考えてみると、参加された方々というのは一人だけ顔を知っていて(コロナ後に二、三度数分間お話ししたことがあるだけ)、あとは全員初めて。乾杯後いきなり皆一斉にマスクを外して素顔になり、食べ出す。それまでずっと下半分の顔が見えないでいて、顔全体が出た瞬間に思ったのと違って見えるので、心理的にへんになる。料理の味なんかわからない。ワインだけすすむ。このようなこと、初めて体験した。わっ〜、すごく恐怖だった。
When I’m Sixty Four(Take2)3:01
64歳になった。Paulの曲。確かにWhen I get older losing my hair…
Will you still need me, will you still feed me. When I’m sixty-four?Whoo!cha!cha!hey!ぼくの人生はこのようにはならなかった。なんとかここまできた。何度も命があぶないことがあったけど、上出来中の上出来、大満足。でも、いつの間にかぼくを作ってくれた人たちはもうほとんどいない。
故郷に帰ってきて、最近、よく思う。ぼくは何者なんだろう?まだこのような同じことをしている、いや、してきた。「なぜか」を突き詰めたい。バーゼルの流派の源流は底知れないし、茶の湯の稽古から、「正確に所作を身につける」に努めていると新しいことを知ることができる。同じ社中のおばちゃん達と一緒にその深さを感じることができる。それがたのしみ。