平和、成ス。
素晴らしかったと思う。
ICHIRO曰く
孤独感をずっと感じながらプレーしていたのか
…外国人になったことで、人の心を慮ったり、人の痛みを想像したり、今までなかった自分が現れてきましたね。
この体験というのは…本を読んだり、情報を取ることはできたりしたとしても、体験しないと自分の中からは生まれないので。
孤独を感じて苦しんだことは、多々ありました。ありましたけど、その体験は、未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。
だから、辛いこと、しんどいことから逃げたいと思うのは当然のことなんですけど、でも、エネルギーのある元気な時にそれに立ち向かっていく。そのことは、すごく人として重要なことなんじゃないかなって感じています。
すばらしいの一言。
でも、やはり、ぼくはNOMOが好きかな。
GBP
to a small jam jar of chlorine free water and allow an hour for it to hydrate.
白内障
https://www.mitsuihosp.or.jp/division/department/ocular/
母の手術、先々週が左、今週が右、両眼とも無事終了しました。國富由紀子先生、どうもありがとうございました。
後は、大事にすること。
60th birthday
長いようで、短かった。
人生で区切りの年。特に今年はたいへんでした。人に裏切られて、弁護士さんと「合意書」という書類を膝を突き合わせて作っていました。1月からなんとなく気配がおかしくなり、なんだかんだ決着まで8月一杯までかかりました。その間、持病の十二指腸潰瘍がとても悪くなって、胃痛と血便の連続。何度も胃カメラ。とにかく、ぼくのほうから一方的に信じきっていたのが原因。本性はうそつき・約束を守らない・とんでもない人だった。入院はしないで済んだけど。判明した時、仕事どころでなく、とても精神的に危機的だった。気がつかなかったぼくがばかなんだけど。でも、とてもすばらしい弁護士さんと出会えた年だった。怪我の功名。人との出会いとは不思議なもの。
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この写真、50歳のときは、ワインガルトとイスタンブールでふたりで祝った。あれから丸10年経ったのか〜。
ぼくのここまでの人生は、ほんといろいろな人に助けていただいた。周りのみなさんのおかげ。今年は恩師たちにもお会いすることができ、ほんの少しでも感謝の気持ちを伝えられたのではないか。わざわざ会いに来てくださった人も!涙。
これから、これまでのまとめに入る。お膳立てはできた。そして今日60歳になった。生きている。これから何年生きるかわからないけど、一歩一歩、まだまだ一本道は続く。
それにしても、ここまでの自分を知るまでに、時間がかかった。
新版 カナ ノ ヒカリ
確か2013年に解散したあと一度、変なカナ ノ ヒカリが送られてきましたが、
今年の夏に「2015ネン アキ 959ゴゥ」、今日「2016ネン フユ 960ゴゥ」が送られてきました。おどろきました。現在は2018ネンのおわりなのに、おもしろい。
キクチ カズヤさんが、なかなか、がんばられている。
分かっちゃいるけどやめられない
…なぜって、重要なのは火なのだから。
煙草は都会の真ん中でできる唯一の焚き火だ。
火を見つめることで深い思索の世界に潜ることができる。…
AREA 1687号 p.30
うちでは香を焚く。ときどき灸も据える。
戊戌 (つちのえいぬ)
あけましておめでとうございます。
とうとう、今年でひと環りします(154万人のうちのひとり)。そして今年から、お正月の過ごし方が大きく変わります。朝自宅で起床、お屠蘇とお雑煮を祝ってから
1.
母と谷中の墓地に初参りの散歩 (ここまで昨年までと同様)
2.
印刷機と活字たちに御神酒を供え (うちの神はここに宿る)
3.
初釜 (超略式の結び柳=初、即中斎宗匠御好雲井、常盤饅頭)
以上、とてもシンプルになりました。ゆったりとした時間、、、
昨年まで、返事式年賀状を成人の日あたりまで毎日書き続けおりましたが、やめることにしました。本来の姿(お世話になっている人だけへの)ごあいさつの年賀状に。
それから、ちょうどいい機会なので、手帳をかえました!30年以上も続けていたオランダのシステム手帳succes(junior)から、前から気になっていた能率手帳(ぼくのは小型)に。今の生活にぴったり。
、、、あと、今年から、料金が複雑だから、別納郵便の年賀状が増えるでしょうね。最低。
bye CPT
とうとう18年住み着いた佃のCentury Park Towerから完全に離れました(鍵を知り合いの不動産屋さんに)。この間、最後の二年は、ほとんど足の踏み場もない大量の書籍・雑誌とレコード・CDの倉庫のようになっていたのですが、、、(いつも教室は33Fで)
地面にちかいところで生活すると、こちらが自然だということがわかります。父が建てた木造の家は今でも呼吸している。
palette 塚本由晴
故伊藤くんが、新建築『住宅特集』1990/9号でみつけた
あこがれの山荘。やっとこれに近づけるかな?
http://www.bow-wow.jp/profile/1990/pallete/index.html