直取引

本日から、条件が揃いましたので紀伊國屋外商部に小社発刊のPODを納品することになりました。こちらは特に大学の図書館ということでAmazonだけでなく小社の紙の本を入手できることになりました。進歩だと思います。とてもうれしい。
出版の革命と言われているこの紙の本は在庫を抱えないというSDGs中8番(働きがいも経済成長)と12番(つくる責任つかう責任)にあたる。倉庫代がかからない上、余計に印刷する必要がない。(取次業務経費と制作費の浪費分を安価にできる)なんとすばらしい。また、読者は「ポチる」ことでいつでもどこでもスマホで購入、自分のスマホに載せて情報を保存しておくこともできるという願ってもいない情報を手に入れることができるのだ。そういう情報を死ぬ直前まで発信していきたい。もちろんISBNは小社ので、全て国会図書館には紙の情報として永遠に存在することになる。

それにしても朝日新聞社。朝日ジャーナル・週刊朝日・アエラの個性がごちゃごちゃ。売れれば良いのでしょうか?「名物企画お引っ越し」はいいけどアエラの読者には必要ない情報、雑誌の個性がどんどん消えていく。そういう時代なのでしょうか、SNSじゃないんだから毅然としてほしい。だから紙の情報は売れなくなる、、、悪循環。AERA創刊から父が休まずとっていたが、母と合意でこの6月一杯で定期購読を解消しようと思う。表紙写真のセンスも酷いし。とても残念。

長岡造形大学創立30周年

そうか1994年だったのか、あっという間だった。一昨日、小泉研究室1期生から10期生までの有志20人の先輩後輩が入り乱れて集合した。なんとなく展示物はテスト的に並べてみたのだが、なんと懐かしい。当時35歳、バーゼルから帰ってきて長岡に住み着いて、毎日100%大学設立に夢中だった。もう二度とできない経験。とても楽しい日々だった。その頃出会った人たちは皆成長してて、ぼくの宝物。

懺悔の会(春の会)

今日は、四月の魚。誠のお知らせです。
この度うちで催すNIDのalumniについて、大学事務局からこのカードが研究室出身者130人に送付される予定です。
思えば、一期生はぼくが大学を辞めた年齢になりました。
十期生まで、果たして今も共鳴し合えるものがあるのか、楽しみです。
card design by yaoita

ご挨拶:小泉は定年まで大学教員を全うできませんでした。満65歳の今年、本来であれば晴れて教員として定年を迎える予定でしたが、2007年退職後、大学教育とは別の道を歩むことになりました。今年はその定年記念として、在籍10年の間、本人が希望してぼくの研究室で学んだ有志たちに、現在の姿をさらけて、ここぼくの実家で、対面で一人一人にご挨拶したいと思っております。指導当時は失礼が多々あったと思います。そのことも含め「懺悔」と銘を打ちました。
思えば、大学設置準備室の時期から、様々なことに関わり、当時の教育資料を保持しております。それらを閲覧し、何であったのかを考える機会にもなればよいと思っています。

昨年、自身が学んだスイスの学校の生みの親の著書を自社で翻訳出版いたしました。そのルーツに関係する軌跡が日本でもありました。そのことを体験者たちと語らう場を設けたかった。また、この方々のそれぞれの人生の重要な時を共にできたことを喜び合うひとときを、発起人にご相談しお願いいした次第です。
ひとつ加えさせていただきますと、現在の公立長岡造形大学とは違う小泉研究室所属であった体験者同士語らうイベントです。どうぞご参加ください。

坂本龍一 一周忌

命日当日。今日で/Studio二階に於いて、一周忌の焼香の会は終わりにいたします。遺影の代わりに額装したRSロゴのプレゼンに使用した初期スケッチを掲げました。額装は後に判明したSalvator Rosaのをアレンジしたデザイン(生前、坂本さんにはNYで正確にお伝えしてあります)。
初日23日(土)には新潟の福島諭さんをお迎えして、Tong Poo/fragments for Six Japanese traditional instrumentalistsをかけていただきました。焼香は禅宗の様式で。宗教が嫌いな坂本さんでしたが、きっとお許しいただけるでしょう。おそらく来年も催します、合掌。

月自画賛

不審菴の最も有名なお茶湯で、今日の家元制度の基を作り出した表千家「中興の祖」と呼ばれている7代家元如心斎の遺徳を偲び、9月13日に「天然忌」が営まれる。その天然は居士の道号法諱であって、円相の中心に自己を意味して書かれた掛軸が掛けらる。
円相になぜ「平常心是道」とあるのであろうか。一体いつ書かれたのであろうか。謎が多い書がきた。出会ってからちょうど一年、その宗匠の書かれた円相が、とうとううちに。了々斎箱書で「月」とある(完璧)。この円相は満月、うちのシンボルとなる。それにしても残り香のような「、、、、」が天然宗左と読める。実にいい。

AERA 2017号

ビジネスのうまみ消えても紙の本はなくならない
紙の本を読む人が減っている。「町の本屋」がどんどんなくなっている。…
「本がなくては生きてゆけない人」がいなくなることはない。その人たちが本を書き、出版し、販売する営みは決して終わることがないだろう。

うちの本は、ごく僅かでも、正確に「書籍」のカタチで残しておきたい(スイスと国立国会図書館にはある)。そして欲しい人が欲しいときに即手に入ればよい。在庫はいらない。