トンビ

とうとう、手に入れた。古着で三越製のカシミヤ。戦後まもなくのものでしょうか。
いわゆる「和装に合う」コートとは。渋沢栄一が愛用していたScotland inverness coat、外套(がいとう)、丈の長いコートにケープを合わせたもの。共地のケープが添えられていたためインバネス・ケープと呼ばれることもある。インバネスの原型はケープの部分が背中までグルっと回っているが、それに対してトンビはケープが脇までしかなく、背中は一枚仕立てでシンプル。ケープは着物の袂(たもと)を気にすることなく自然に袖代わりになる。黒いケープの様子が鳶が羽を広げたようなので「トンビ」という別名が生まれた。
明治中期になると、渋沢好みの形は「二重回し」となって登場することになる。インバネスは膝丈で、これを着物の着丈に合わせるために、くるぶしほどの長さに仕立てたのが二重回しでした。「インバネス」と「二重回し」とは混同されているが、これらは違うもの。
渋沢は、黒の二重回しを、カワウソ毛皮衿などなしの簡素な伝統的なものを好んだようです。しかも昼間の男性用礼装であるFrock Coatの上にも平気で二重回しを重ね着して、Bowler(山高帽)。この進化は「和魂洋才」西洋文明の洗礼を見事に受けた結果、日本の土壌で生きる。ということでしょうか。

@/Studio 2F

練馬区立牧野記念庭園の学芸員 田中純子さんにいらしていただきました。感動です。
思えば母と2020年の正月に庭園に訪れてから考えだした企画。実際にカタチにしたのは宇野、ディレクターとしてなんと全てをやりとげました。関係者の皆様、どうもありがとうございました。

宗鑑書「初祖菩薩達磨大師」

家康の遺品「駿府御分物」として尾張家に伝わった一休宗純墨蹟「初祖菩提達磨大師」(徳川美術館蔵)はとても有名。禅宗名号「初祖号」とも呼ばれ、粗い竹筆を用いた八字一行書。室町時代を代表する書。この墨跡は当時の茶室の床には(横物が多かったためか?)長かったという逸話があり、氏郷、三斎両氏が同席で、芝山が利休に「床にかかるように」と願うが利休は同意せず、珠光の元表具には手をつけることはできないと、それ以来一行長物が流行したと伝わる(江岑咄之覚)。
うちのは生没年未詳の山崎宗鑑のもの。(もう少し調べてみると)室町後期、近江源氏佐々木氏の出で、晩年は山城国(京都府)山崎(この地名を姓のようにいう)に庵を結び閑居、自ら竹を切り油筒を売っていた隠者であった。たぶんその頃の書。一休宗純に参禅した後、諸国を遍歴行脚し、連歌師であったらしい。近世俳諧の先駆をなす「犬筑波集」の撰者。「庵の入り口に人を追い返すべく、客を上中下に分ける札を掲げていたとか」興味深い。
大綱達磨図、白隠達磨図や宗匠画讃など有名なものはいろいろあるけど、いずれの肖像や姿はある種の記号なのだけど、後に想像されたものは明らか。やっぱり茶掛は達磨の仏画より名号が相応しい。

翻訳の質

昨日、無事Amazon MarketplaceにPODを載せることができました。関係者の皆さま、どうもありがとうございました。さて、

『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』を購入された方方へ:
本書が扱っている厳選された図版で、1968年発行『グラフィック デザイン マニュアル – 理論と演習』(以下略号=グ.デ.マ.)と重複するものは少ないのだが、まず以下の翻訳を熟読し、本書と比較していただきたい。

グ.デ.マ.:[上左は]垂直線の間隔が次第に狭くなっても白い背景はグラデーションの効果を生じない。[上右は]様々なグラデーションをつけられた細い線の帯。[下左は]黒い背景上に、一定の巾をもつ白い垂直線が次第に間隔を拡げている。この白い線は、黒の空間を生き生きとさせる。[下右]と比べて、黒い背景はリズムを感じさせる。[下右は]背景の⅓のところから グラデーションが始まっているので、この分離した⅓の黒い部分は独自の特質を帯びてくる。
本書:p.74

グ.デ.マ.:黒い等間隔の縞から、1部分が削除されると、黒と白の同質の形が生じる。テーマ:中央部に安定感を示している。顕著な対比。様々なグループ。上下運動。
本書:p.75

グ.デ.マ.:線の巾とその間隔のグラデーションによって作り出される運動感の錯視は色の明度を用いても創ることが出来る。
本書:p.129

グ.デ.マ.:所定の正方形(フォーマット)の中心で点が点としての視覚効果を示すために必要な大きさについて考慮する[上左]。正方形(フォーマット)の中で、点が完全に点としての視覚効果を与えることのできる適性な大きさ[上右]。グリッド(縦横の格子)上に秩序正しく配置された点[下左]。面積としてまとまりをもっている点のグループと独立した1コの点と、線としてのまとまりをもつ点のグループ[下右]。
本書:p.137

グ.デ.マ.:正方形の点、一定の太さの縦方向と横方向の線でグリッドの上に格子模様をつくると、自動的に白い正方形の空間が点として規則正しく残される。中央の4つの白い小さい正方形を塗りつぶして1つのドットにまとめると、にわかに点としての印象が強調され、他の規則的に配置されている小さい正方形のドットは、地のようにしかみえなくなる。
本書:p.138

グ.デ.マ.:基本的なグリッドを構成している黒い線を中断すると、中断された黒い線が、白い正方形のドットと結合してシンボルとしての視覚効果や形をつくりだす。グリッドの縦軸とおとし方や横軸のおとしかたの結合を工夫すると、全くちがった性質の図形がつくられる。
本書:p.139

グ.デ.マ.:プレイング カード。この練習の主な特徴は、黒線を主とした場合の黒線間の間隙との相互作用、又は白線を主とした場合の白線間の黒の間隙との相互作用にある。黒線と白線が生き生きとした運動感を与えるにもかかわらず、その相互作用は、主として明度の変化を感じさせる。
本書:p.140

グ.デ.マ.:鉛筆製造会社のポスター。
本書:p.141

グ.デ.マ.:水平線分を用いての構成練習。テーマ:加速度。
本書:p.142

グ.デ.マ.:水平線分を用いての構成練習。線分のオーバーラップとこれによってできたグレイの階調は、加速度の感じを強くさせ、同時に奥行きの錯覚も生じる。
本書:p.143

上の各キャプションは十分にホフマンの意図と授業内容を理解して、翻訳したのであろうか、甚だ疑問を感じる。出版時の反響はどのようだったのか。個人的に知りたいところである。当時のデザイナーや教師は果たして理解できたのであろうか。ただ図版を眺めていただけなのではないだろうか。また、現在に至っても、古本で手に入れられた方や図書館でご覧になった方の中にこの難解な日本語で理解できる方がいらっしゃるのだろうか、おそらくこの文章では誰も図版の真意を知ることができない(よっぽどオリジナルの英文の方が理解できるのではないか)。事実として、ここに挙げた一部の作品の説明でなく、丸々一冊このように発表されたのである。
誤解しないでいただきたい。ここでは過去の翻訳者個人を批判したいのではなく、正確に内容を伝えることはとても重要である。それを誤り、広く伝わってしまうことを危惧する。そのことを言いたい。

『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』新刊登録

版元ドットコムの、先ほど公開しました。ようやくここまで漕ぎ着けました。長い長い道のり、、、今回はAmazonのPODとKindleだけです!「hontoで購入」というボタンありますが、買えません。書店では買えません。

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784909178022

小売価格ですが、PODもKindleも税込み¥3,520です。つまりコンテンツの料金。予約受付日11月20日まではKindleは税込み¥3,200の特別料金でした。

令和5年11月号 同門

興味深い茶道具の諸々、江岑宗左による「草人木」という茶書から

一、昔(利休以前)の名目に云  一茶壷 二釜 三茶入 四文字(掛物のこと)
一、中比(利休期)は  一茶入 二掛物 三釜 四茶壷
一、当代(江岑期)  一茶入 二掛物 三花入 四釜  壺の沙汰なし

つまり、茶の湯にとって掛物は利休の時代に四番目から二番目に重要な道具とされ、江岑の時代にもその思想は受け継がれて、今日に至っていると考えてよい。茶入と壺は人と茶の世界の宇宙観(茶室を含めた空間認識)。その次にお軸が重要なことがわかる。すごいことです。現代最ももてはやされている茶碗はいずれの時代も入っていない。当然のこと。

字休は 一掛物 二茶入 三釜 四茶杓  茶碗の沙汰なし

茶杓は壺の中に、人的介入を示す道具。清らかな一撃を示す。五行「木」「火」「土」「金」「水」が揃うことが肝要。

大綱の余白に

偶然、大綱・龍雲軒 和歌合筆「山寺夏」に出会った。歌をよくし、書画にすぐれた大綱宗彦(大徳寺435世 1772–)は吸江斎とよくまじわった。歌の書風はあまりにも有名。右寄りに記され、左は紙白の空間、好む人は多い。そこに予想通り一筆入れた僧がいた。牧宗宗寿(大徳寺471世 1820–)、惺斎の参禅の師。茶に親しんだ。三友棚が有名で、明治初年、山内の松・竹材を提供して作られた。碌々斎は松材の天板地板の塗りを好んだ。三千家の融和の象徴として、本歌は四つ作られ、各家と大徳寺に収まる。三千家とも炉にのみ使用する。

さて、この軸装は明朝表装で生ぶ表具、意外だが、実は大綱には合っている。外題(軸木の近く)には、

紫野大徳寺大綱極御詠歌安國少林禅逸師
が給ふ今嘉永四年辛亥(1851)事
田府青表々住國作
とあり、いつの書か特定できる。
同時に書いたのだとしたら、79歳と31歳か。感慨深い。