Helvetica Film/東京デビュー

みなさんに情報を流してから4ヶ月。千駄ヶ谷の国立競技場でDesignTideという催しが開催されていまして、ようやく今、そこの売店の傍ッチョで流しています。これが字幕監修による、日本語版としての東京でのお披露目となりました。あの場所では落ち着いてみられない。
NYでもZurichでもすばらしいパーティーが行われたそうですが、東京ではたいへん残念な結果となりました。長い間、日本でもヘルベチカという書体に愛情を注いだデザイナーたちがたくさんいるのに、みんなで「誕生日おめでとう」ができませんでした。ぼくも現在の日本版のホームページにアイコンでlinkしていますが、それはHelveticaの謎を解く鍵があの映像に映っていたからです。19年前にお会いしたホフマン夫妻と今回のバーゼルでの再会、すばらしい感動がありました。85歳になられ、新たなヘルベチカの本の執筆中にもかかわらず、歓待してくださいました。
世界を制覇したHelvetica。なぜ、制覇したのか。現在、日本語で調べられる資料は朗文堂が発行している小冊子しかないと思います。世界を探しても数は多くないと思います。全てがなぜ、っていうところから発しています。ホフマンさんにお聞きしたらば、Max Miedingerのスケッチはいっさい残っていない。残っているのは映像で披露している彼の父Eduard Hoffmannとのやりとりの記録のみ(来年早々Lars Mullerから出版される予定)。この資料がなぜ今、出現したのかは、Haasがこの世から消えたことと大きな関係が。そのお話をお聞きしました。また19年降りに訪れたHaas工場の建物は、シュタイナー学校になって現存していますが、スイスの唯一の活字会社であったハースの精神はすべて消えてしまった。このことは少なくてもスイス・タイポグラフィに大きな関係があると考えられるのです。
滞在先、ワインガルト宅、彼が聞くのです「どうして、おまえが絶対に使わないヘルベチカのことでそんなに夢中になって調べているんだ。。。」って、「それは好敵手を知って、自分を知るのです」っと、ぼく(^^)
ぼくはワインガルトには「ヘルベチカをどうして。使わないのですか?」っとお聞きしました。
ぼくはホフマンさんにも「ヘルベチカはどうして。成功したのですか?」っとお聞きしました。
久しぶりにひとり、バーゼルの街中で慣れ親しんだアルファベットたちにまみれて佇んで、、、なかなか濃い帰郷でした!

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