大綱の余白に

偶然、大綱・龍雲軒 和歌合筆「山寺夏」に出会った。歌をよくし、書画にすぐれた大綱宗彦(大徳寺435世 1772–)は吸江斎とよくまじわった。歌の書風はあまりにも有名。右寄りに記され、左は紙白の空間、好む人は多い。そこに予想通り一筆入れた僧がいた。牧宗宗寿(大徳寺471世 1820–)、惺斎の参禅の師。茶に親しんだ。三友棚が有名で、明治初年、山内の松・竹材を提供して作られた。碌々斎は松材の天板地板の塗りを好んだ。三千家の融和の象徴として、本歌は四つ作られ、各家と大徳寺に収まる。三千家とも炉にのみ使用する。

さて、この軸装は明朝表装で生ぶ表具、意外だが、実は大綱には合っている。外題(軸木の近く)には、

紫野大徳寺大綱極御詠歌安國少林禅逸師
が給ふ今嘉永四年辛亥(1851)事
田府青表々住國作
とあり、いつの書か特定できる。
同時に書いたのだとしたら、79歳と31歳か。感慨深い。

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