母と思い出しました。
ト,ニメメ
ト,トメメ
リメメ
なるほど〜。
ノンコウ七種
黒茶碗
稲妻 江岑書付
獅子 如心斎書付
升 覚々斎書付
千鳥 覚々斎書付
赤茶碗
鳳林 江岑書付
若山 如心斎書付
鵺 覚々斎書付
昨日のは、赤で、京焼となっていた
宗旦の時代だと、古いのか、、、道入初期?
今日事実も分かった
今日は、すごい日。なんと全てが明るみに。
そうか、仲介者=ブローカーなのか!とてもショックだ。
権力を持っている。なんておそろしいことだ。くわばらくわばら。
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/kn/ksk/kenjohp/sido/info01.htm
わかりやすい。
丸釜
6代大西(古浄元) 即中斎若書付
釜環 鉄槌目小振 金森徳元 3代下間庄兵衛極
10.17
欠一着
大徳寺370世/萬輝宗旭の横物墨蹟(1750年ごろ)。表具は穴が空いているし、超ボロボロ。
清代の宗門拈古彙集(しゅうもんねんこいしゅう)という白巌浄符の編の禅籍から、康熙3年の自序のはじめに、おそらく、
…鋒到銳時欠於趨避。總是墮身死漢。南泉父子可謂善轉身矣。善趨避矣。然細撿將來。 尤欠一着。且道那裏是他欠一着處。天井新云。南泉欠趙州一着。趙州輸南泉一機。作麼生會。千年故紙好合藥。趙州示眾。老僧今夜答話去也。有解問者致將一問來。…
この節から引用していると思われる。
「特にそれを借りている。そして通りの裏に借りている場所がある。」ということなのだろうか。不明が多い禅語。
肝心な千家との関わりですが、「不白翁句集」に、利休忌につづいて利休の菩提寺である大徳寺聚光院への墓参の句が載っている。また、この萬輝禅師が東海寺92世の輪番を終わらせて、琳光院に再興されたと記されている。おそらく啐啄󠄁斎若年と交流があったことだろう。
先日の玉舟宗璠のなぜか朱文印しかない「閑事(かんじ)」より、なんか深味がある言葉と奇妙な書、、、この謎に満足。
それにしても如心玉金襴の一文字、、、天然忌、まだこの軸だっていう円相には出会わない。
この玉舟宗璠は本歌だったようだけど、昔の前大徳は贋作ばかりよく見かける。とても慣れたすごい筆!おみごと。
new home page!!!
A.Typ.I Tokyo開催前夜、とうとう、リリース!
https://typeshop-g.co.jp/
結果的に、ペイニョの本を自前で出版するため、作り上げたホームページとなりました。それに、ここ足掛け4年に渡って、断捨離、引越し、施設作り、に時間と労力を掛けてきた成果です。やっと世の中に出ました。
2006年に当時のチャットを編集して、archivにまとめてリリースして以来。手を加えました、、、どころではないか。練りに練ってというか、仕事先で、いつも小泉さんの(仕事の)ホームぺージないの?って聞かれ続けて。
今回のホームページは、y氏と10年近くかけ(最近はWebDeignerの名は伏せるようです)、途中まで作ったものを、すべてやめ。すごい状態で、もう一度ゼロから作り出して結局ここに落ち着いたものです。今の状態ではぼくのポートフォリオは全くできておらず、まず予定では大学辞めた直後のものから、全て見られるように、なる予定。いままでポートフォリオというものを一度も作ったことのないデザイナー。進んで賞を取りに応募したことのないデザイナー。印刷物はprinted ephemera仕事が終わった瞬間から、すべて忘れ、次に向かう。
スタッフの宇野は今年10年目に入ります。もちろん彼女の独立したページも考慮に入れつつ、まだまだ遠い道。
寿山萬丈高
初、前大徳。紫埜は、
手にしないようにと思っていたのに〜。やばい、ついにこの領域に入ってしまった。
何せ、12代惺斎の長男の与太郎(不信斎)が昭和10年(1935)に「宗員」号を大徳寺の老師から受けた。その弟は覚次郎(13代即中斎)。この老師こそ、大徳寺488世/円山傳衣なのです。その墨蹟。すごい。
さて、「寿山萬丈高(じゅざん ばんじょう たかし)」
寿山とは目出度い、長寿のたとえ。ときどき寿や寿山の文字だけ大きくして、この言葉を含んだ茶掛けは(他を小さくした)多し。
萬丈とはきわめて高いこと(1丈=1尺の10倍、の万倍)。茶の湯で多く使われる言葉。
終南山にも似て山が高いがゆえにあやかり、命の長くありたい、永らえたい。という意。
それにしても、一目惚れ。この墨の流れは、源流。すべての時間の流れであって、絵が文字になって、文字がまた絵に帰った証明。ぼくにはすごいバランスの墨絵に見える。
紅茶の帝国―世界を征服したアジアの葉
http://books.kenkyusha.co.jp/book/978-4-327-37747-2.html
とうとう、できました。
濃厚な本です。
紹鷗緞子写帛紗
友湖による写し、本歌は名物裂紹鷗緞子
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0009076
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0010199
やはり東博にある。明時代の古裂手鑑にもある一重蔓唐草の中にうまく火焔が遇われ、雨龍も配されているよう。武野紹鷗の愛用していたものに由来するが、十四屋宗悟が所有していた宗悟緞子にも関係があるようだが、どのように出来上がったのか詳しくはわかりません。この出帛紗、なぜかシンプルで、ほんとうっとり。
即中斎在判 独楽ノ紋香合
今日は山鉾巡行。
さて、写真は井上良斎作の染付。最初に見つけたものですが、成約済みでした。これは即中斎の書付(箱書)はあるのですが、香合の蓋裏に花押が書かれていない。その後いくつか見かけたのですが、在判のものはないのです、、、謎。坂倉新兵衛13代と14代も作っているようですが、ぼくのは12代の、全体に、ほんわかした色合い、手触りも抜群の萩焼き。もちろん、朱書きの在判、箱書も素晴らしい。本当にこの香合のような即中斎の解釈が好きで好きでたまらない。こういうことを「傳来写シ」というのだろう。
どうして、ここまでこだわって探しているのか理由がある。
三千家の独楽の家紋に微妙な記号的な差があり(ツボツボも同様に位置と重なりの違い)、おそらくことのはじめは如心斎自作二つの香合、これが「本歌」なのだと思う。これは丸みを帯びていて黒っぽい。即中斎のものはほとんどが白っぽく、平たい。それと、渦のカタチはシンプルに、、、まだまだいろいろと探索は続くのですが。
https://www.kitayamakaikan.jp/test/exhibition/past/2005/pdf/exhibition_20050609_mokuroku.pdf
独楽紋・Komamon