雑草

きみ、世の中に「雑草」という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが「雑草」だの「雑木林」だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、「雑兵」と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね
木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社
2022年8月、練馬区立牧野記念庭園記念館の田中純子学芸員らの調査の結果、出典が見つかったと高知新聞が報じた。

確か、坂本さんも「雑草」について、語っていましたが、どこかにいってしまった。

大反省1

30代に夢中でやっていた長岡にバーゼルのようなデザイン学校をつくるという無謀な考え。

今おもうと全くあり得ないこと、若いとはそういうもの。地形、文化や歴史を熟知しても、住むとは違うということ。理論や仮想ではない。ワインガルトがよく言っていたreality。ぼく一人が何かやってできるようなことではなかった。今という時代をみて、あの時辞めてよかった。

AERA 1948号

p.5のとてもいい啓蒙書の話。Emmanuel Lévinasの定義:マルクシスト(marxist)「マルクスの思想をマルクスの用語を使って語るひと」とマルクシアン(marxian)「マルクスの思想を自分の言葉で語るひと」。

p.7の岸田の歴史に残る三つの便乗商法=1.安全保障体制の大逆転 2.原子力政策の大逆転 3.安倍氏の国葬

それにしても、近頃の表紙写真の酷すぎ。世の中は続きすぎのイケメンたちばかりで成り立っているわけではないし、だいいち写真の色が下品。(1949号でやっと女性になった。しかし依然同じ路線)

残ったモノ、通り過ぎたモノ

…実は、やっと実家周辺のリノベーションが終わり、ようやく客人にお見せできるような施設に近づいてきました。活版やスイス・タイポグラフィはもちろん、この冊子にあるようなテーマ(うちのコレクションに関係あるもののみ)そしてこの近所の歴史的文化を感じられる場所になる予定です。アーカイブとは、なんでもかんでもの資料ではない。少なくても厳選して残ったモノ。
ここは図書館ではないし、個人のコレクターの足跡でもないので、読んで特に感じなかった本はその後すぐに手元から離れたし。おおおおにして、残っていたものは後日学生のためにとか、この本はいつか何かの役に立つ、、、といったような漠然としたモノ(著書の一般的な参考書も含め)。レコードも同じく。購入し直後に聞いて、二度と聞いていないものばかり。そのようなモノは今までの断捨離で全て消えた。通り過ぎたものはぼくにとって本質ではない(Reduction)。それを明らかにしておけば、実際のものが(例え複製や大量に作られたものであっても)生きてくる。
将来、ぼくと同じ思考のラインにのった人がいたら(つまり流派の手前)、はぐれないようにしてあげることができれば、人がここの情報を足掛かりに多様化できる。そのように構築したい。なかなか難しいが。

「子ども」「障がい」

以下の漢字表記は好ましくない。
「児[どう]」
幼児の姿から作られた漢字。その年ごろが対象ではない子の場合には不適切な文字。
「[じ]童」
幼な子という意味。成り立ちは針で目の上を刺して(失明させ?)、重い棒で背負って。奴隷という意味。
「[こ]供」
成り立ちからそなえもののイメージが強い。差別的な表現ではないと主張しているが、膝をついて手で差し上げるというイメージ。
「[しょう]害」
漢字にすると、言葉の意味を的確に表していない。ネガティブなイメージが残るので漢字表記を勧めない。

余談:「障がい」のある「(子どもではないにしても大人ではない)学生」を「いじめ(しかも人前で自慢)」をした輩はどのような理由があろうとも、絶対にあってはならない許してはいけない事実、、、民生委員のDVDで研修中。

peter-lukas graf_backstage

この人のことを全く知らなかった!船田さんがこのオリジナルの本を貸してくださった、、、なかなか内容も興味深い。
それと、この本のすごいのは、スイス人の先生の口伝で、日本人の手記がオリジナル。あと、ドイツ語版しかこの世にない。日本語は横組❣️
かつてバーゼル音楽院で教えていたのですね。追って細かいことを載せますが、とりあえず、一つ:
「音楽家になろうとしている人にとっては、、、自分自身を表現するという、人間の素晴らしい可能性に喜びを持ち続けなさい!そして、もしもうまく音楽を職業とすることができたなら、そのことを常に特別な恩恵に浴していると心得なさい!」

令和4年10月号 同門

pp.14, 15からの抜粋

お茶の味:古田織部⇄浅野幸長

一、うす茶はいかにもそそう(粗相=利休好み)に、

武者小路(有隣斎)
作意のないさらりとしたおどろくくらい手ばやく点てる
茶の気が失せぬ工夫


雲がすぐ消えるように脚が速い=雲脚茶(うんぎゃくちゃ)
泡を一面にたてない
粗相の茶の趣

一、こい茶の時は、柄杓に湯一はいよし、すくなきは悪く候、

宗旦の濃茶はゆるかった。
右手で茶を練り、左手は茶碗に添えなかった

織部から濃くなった。湯を注ぐことを一度で済ませた
茶の量と湯の量は決まっているので(計りやすい)