江戸の花屋敷

百花園学入門 : 向島百花園創設200周年記念の刊行物。このような本があったのか。昨日2019年秋以来、母と訪れた。すばらしいの一言。うちにとってとても有意義な場所。今年は牧野ブームだけど、こちらもw

完璧な演奏マシンから最後にヒトになった坂本龍一

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/74715

表題が気になって、拝見した。息を呑むほど熱く語っていて、素晴らしいなっと。流石坂本さんが座右に置かれていた方、、、

その後少しづつ見えてきたことがあって、亡くなって今このクリップにちなんで。まだまだ亡くなったことに実感がないけど、ちょっとメモを。果たして「Behind the Maskは空っぽ」「ただ演奏していた」なのだろうか。要はなんでもできる。流派はない。でもぼくはいるよ、顔はない。ということでポストモダンの間でマシンのような音楽活動をされていたということなのだろうか。ぼくは評論家ではないのだが、一言いえるとしたら、そこにこそ「Ryuichi Sakamoto」が存在することを追求してきたのではないかと思っている。手がけたものに必ず足跡を残す。最晩年は、自然の音(音楽を超えた領域)にまで、自分を潜り込ませようとしたのではないのかと。病気でも、そこまで欲があった。(坂本さん、そこまでしなくても、、、っと言いたいぐらい)。したがって私論は「Behind the Maskは全てご自分の顔」=仮面を捲ると全てサカモト。理解しやすい証拠は、沖縄古謡にあのように自分を持ち込んだ人はかつていなかった(有名な話でお父さんは生前「お前の音楽じゃない」と言ったそうですが、今聴いてみると「安里屋ユンタ」にあのように違う音楽が縦横無尽に入り込んでて、原曲では想像できない厚みになっている =Additionが大好き**。あれこそ彼にとっての”Beauty”なんだと思う)。他の人では絶対にできない。当時はあれに(なんじゃコレって)惹かれた!POST MODERNか、ワインガルトのタイポグラフィも同じく(こちらはどのように伝えたらよいのかを模索中)。
おまけ、なぜか手放せない「星になった少年」のサントラCD。これは「戦メリ」の続編のような感じですね。ぼくはこっちが好きで久しぶりに聴いた。いまだに戦メリのテーマが好きになれなくて(わかりやすく、わかりやすくしすぎ=坂本さんの優しさなのか*)。常にこのようなことを自分の中でやっている人。これは他人が絶対に継承できない。流派にはならない。そういう意味でぼくは理解できない孤独(ひとりっ子)のアートな部分。鬼才を生み出す一つの理由なのでしょう。永遠に普通のヒトにはならないと思います(もちろんマシンではないということ)。

坂本さんの死はじわじわきます。いつも元気よく先を走っていて、興味深いものを見せてくれる。追いつくわけはないのに、追いかける。いや、先にこちらができなくなりましたが。
*/04のがベスト。ゆっくりしたりとかやっぱり音はあったほうが。普通のままがよい。余談、坂本さんは宗教的儀式クリスマスは嫌いだったはず、なのに何故最後まで弾き続けたのか。**元い、すでにもっとすごいのをNEOGEO(坂本さんの頭の中の新しい地球地図)でやってた。ケチャまで入れちゃってw =Reductionとは正反対、、、

吉田別荘の大蹲

都立竹台高校に民生委員として伺った。ちょうど我家の斜向かいの裏庭に正式に招待していただいた。入場できそうで、勝手に近くには行ってはいけない。
その後、都庁財務局建築保全部の本多氏に、新築工事の際移動している写真を見せていただいたが、外部には提供できないとのこと。謎は深まる。

雑草

きみ、世の中に「雑草」という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林(ぞうきばやし)という言葉がキライだ。松、杉、楢(なら)、楓(かえで)、櫟(くぬぎ)——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが「雑草」だの「雑木林」だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、「雑兵」と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね
木村久邇典『周五郎に生き方を学ぶ』実業之日本社
2022年8月、練馬区立牧野記念庭園記念館の田中純子学芸員らの調査の結果、出典が見つかったと高知新聞が報じた。

確か、坂本さんも「雑草」について、語っていましたが、どこかにいってしまった。

音無川文庫/StudioMap試作

とうとうできあがってきた。大槻文彦作根岸及近傍図の現存する道をGoogle上で追って正確に現地確認確認し作図している。時間と手間がかかる作業。右半分と左半分の縮率が若干違う、そして方位傾きが微妙に違うのには深い理由があるにない。
versionはまだゼロックスコピーなので0。印刷物になると1に。

紫林絶学道人

これこそ、細物にて姿良し。さらっと書いて、真下中心に落款、とてもいい書。
絶学無為閑道人(ぜつがくむいのかんどうにん)、永嘉玄覚(675–713)の『証道歌』の劈頭に出てくる有名な禅語。
「高捲昑中箔 濃煎睡後茶」とは、おそらく茶による心の解放という意味だと思うが、禅における睡眠欲、煩悩がなくなることか。坐禅中の眠気を茶が覚醒させる。この真意を解く言葉なのか。「喫茶去」「喫茶喫飯」とかでは、話が深まらない。『禅林句集』の謎に迫ることも。白居易は何者なのかも。悦叟妙怡【457】の草書は見たことがない。印だけでは贋作かも。しかし理由なく、どこか気に入ってる。

吸江斎在判 傳来捻貫写 一重口水指

七十才永樂了全造、即中斎書付。隅炉だから、客の視線は常に目の前の水指。とても重要な道具でうちの茶室の顔といえる。和物土物、日本で造られた陶磁器製の水指のこと。『利休百会記』にあるように、瀬戸水指が圧倒的に多く、今まで勝手な解釈で稽古用の黄瀬戸一本でやってきたが、とうとう侘茶の趣のある水指を手に入れた。

捻貫(ねじぬき)は、胴に荒目の螺旋状の轆轤目の凹凸をつけた焼物。 表面がネジのような形をしていることから捻貫手と呼ばれるようになった。 本来瀬戸茶入の手分けの一で、四代藤四郎より後の瀬戸後窯(のちがま)と伝えられる茶入に見られるもので、捻貫水指は利休所持のものがあり、江岑のときに紀州徳川家に献上され、内箱蓋裏に「祢ちぬき」、中箱蓋裏に如心斎が「祢ちぬき 御水指」、外箱蓋裏に了々斎が「利休所持 瀬戸祢ちぬき 左(花押)」と書付のあるものが有名。
一重口水指としてみると、信楽の銘「柴庵(しばのいおり)」利休所持(東京国立博物館蔵 重文)に雰囲気が似ている。古瀬戸のようだが違う。一重口(ひとえぐち)とは、口造が内側に折れ込んだり外側へ反り返ったりせずに真直ぐ、胴は寸胴形で、底は板起こしで平底の水指。

西村宗禅(初代)から西村宗巌(9代)までは西村姓、10代了全(1770–1841年)西村善五郎。天明の大火により全焼した西村家を立て直して工房を整備した。「永樂」の陶印を初めて用いる。千家出入りになったのも了全の代から。樂了入(9代樂吉左衛門)と親交があり、同じ町内に移り住むほどの影響を受ける。家代々の土風炉作りのほか中国の釉薬を研究して茶陶を製作した。12代和全の代から西村でなく永樂姓を名乗り、さかのぼって了全と保全も永樂の名で呼ばれている。現在は十職。

頂き物の自作茶杓 その2

また頂いた。
• 欅にて、無節だが、節裏が少々曲がっている。とてもシンプルでモダンな感じ。
長さ:19.1cm
「巌」と銘をつけた。
• 白竹。節細い一文字。直腰。 櫂先折撓。露丸形。切止に焦げ跡が品良くある。
長さ:18.1cm
「お水取り」と銘をつけた。

今週の稽古早春にあわせて。いずれも藤掛宗豊作。また、自主稽古で使用してみることにする。