TATSは性暴力加害者を。
YMOは障害者いじめ差別者を。
本当にがっかりする。わきまえるということなんだと思うけど。庇ってるの?
SNSyndrome
Twitterはノイローゼを、
Facebookは悲しみを、
Google ニュースは胸騒ぎをもたらし、
Instagramは強欲さを煽る──。
そう痛感した日本在住のアメリカ人ライター、、、
https://wired.jp/membership/2020/09/17/glorious-boredom-japan-1/
ドキッとした。いい見地。
全部やってる人はどうなるの?笑
YouTube
TikTok
も教えて。
シュロタワシ
毛材質:九州産和棕櫚
長さ:80mm 幅:70mm 厚み:40mm
日本製でとても良い。
葭戸(よしど)
葦戸とも。夏障子、建具の一つ。京簾(すだれ)や簾戸(すど)、貴人の御簾(みす)とは異なり、似ているが別世界。京式・大阪式があり、模様の揃え方が違う。うちのは散節ではなく、模様合わせ(ragged style)。新調すると一枚なんと20万するが、中古を見つけた。とにかくうちの寸法が京間とは違うので一苦労=規格寸法、間中(幅965×高さ1757mm)、一番基本となる押え竹の下に模様や飾りの合い糸が入らない原型で、侘びに徹したい。
地杉枠 赤口葭模様合わせ簾入り
葭の太さ:4,5–5mm (大阪式は6–7mmで太め)
押え竹:錆竹
腰板入り:杉、透かしのような飾りなし
このようなことを考えていると、松村さんを思い出す。ご存命だったらいろいろお聞きしたいことがたくさん。それと、京の老舗材木屋さんの建具だったそうなので、松山さんの故郷の琵琶湖の葦で作られているのかもしれない。佇まいでなんとなく故人たちを偲んで。
夏至
16年前の今日、NYで。Cafe Clunyでお昼。その後、庭でボ〜っとしてた。
mT
なんだか騒がしいというか、なくなってまだ一年も経たないうちに。周りをよく見ていれば、ポスト不在でいい。なんか死ぬのを待っていたみたいで、ほんと嫌だ。少しは喪に服すというか、大人しくしていたらどうなんでしょうか。
虚舟
心に何のわだかまりもないこと。「義寅」印「見東海」の落款か?、おそらく(山つらねる長生画す)だと思うのだが、全く不明の禅語。そういえば「山是山水是水」の時期だが、「山」がとてもいい書。珍しく大徳寺にしてはとても柔らかい漢字。こういう優しいお坊さんにお会いしたい。理由なく、どこか気に入ってる。
やはり、なんとなく著名でない僧の書に惹かれ出している。文字のストロークから精神を感じとることだけに集中したい。要は書家の商業的で芸術の書の正反対。非心義覚や無学宗衍と同時代、啐啄斎の頃。
法嗣:
江雪宗立【181】
質休宗文【239】
大庵宗篤【299】
寛溪宗宏【359】
建宗義寅【393】
直道宗淨【425】
ということの意味するところ。
家原清蔵宛
江戸後期の茶人、光悦「障子」や利休「雀香合」所持で有名。江岑好木地丸香合(了々斎在判)はうちでは珍しく由緒がはっきりしている。同時に所有者宛の書付(色紙)とが当時の遠忌のままの姿で残っている。
二代 家原政熈 凞?享保10年–安永5年[1725–1776]、元文4年15歳で初習学、大坂が初勤務地。
ちょっと、備忘録。三井の再統合「寛政一致」に関わる家系。18世紀半ば頃から同族の借財増加や同族間の不和で三井内部に不協和音広がるようになっていた。①呉服部門を北・新町・家原・長井の四家②両替部門を伊皿子・室町・南・小石川の四家③松坂店は小野田・松坂・永坂町の三家、安永3(1774)年三井十一家で事業を分割となり、「安永の持分」と呼ぶ分裂状態に突入し、寛政9(1797)年ようやく再統合にいたる。「店頭での心構え」には、部屋への茶道具の持込禁止がある。小道具屋の招き入れについては初回見習い時の示合に見られる箇条で、文化5年8月の五代政由の示合に見えるが、後年の示合には見られない。享和年間から文政年間にかけて同族の借財が問題になっている時期であり、習学中の散財を注意したものであろう。このように、三井同族らは初回習学時の示合は勤務中の心得があり、注意事項・禁止事項などを盛り込んだものであった。いずれも文化人としては高い素養を持った者への、絵画・和歌・茶道などにも造詣があったが戒めともいえる。
invisible
Facebookの「掲示板の法語」というグループが気になっていて、いつも気にしている。
「ボクは目が見えなくていいんだけど
もし一瞬だけでも目が見えるなら
お母さんの顔が見てみたい 辻井伸行」
宗教を超えた何気ない言葉が心を打つ。デザインとは一見関係ないようだが、とても関係している。つまり表現だけではないということ。
よく遠い過日を思い出す。今朝は鎌倉の伊藤正道氏の家と庭を思い出した。彼のお母さんとよく話をした。お会いした頃は、眼が見えなくなる前、その頃から長い間、年に何度も。晩年はほとんど失明されていた。話していると、ぼくが若かった頃の顔を思い浮かべて、お話しされていると言っておられた。彼女の脳裏のぼくは永遠に歳をとらないのです。彼女はかなり庭の草花の世話をしていた。畑仕事もこなす。どのようにされていたのだろうか。
今、ぼくも母と取り戻した庭の世話を毎朝している(雨天中止)。母は全ての植物を丁寧に観察し、話しかけてさわっている。ぼくはその間待合の椅子に座って、そのような様子を眺めてボ〜っとしている。一日のうちでとっても重要なひととき。
庭を見てボ〜っとすることは、実は坂本さんから教わった。2007年の夏至の日、NYのあの家の庭を二人で日長に眺めて、ビールを飲んで、気ままな話をしていたことを思い出す。人生でとても大切なことを教わった。
追記: 家事をしている最中はMacBook(CD)を鳴らしているのだが、4月3日から昨日まで坂本さんしか聴かなかった。合掌。今日から普通に。
量水器
古い鋳物の量水器(水道メーター)のケースを手に入れた。/Studioの入り口に埋め込もうと計画している。東京都水道局ので、戦後すぐのものかと。ぼくが子供の頃、ちょうど音無川のほとり一本橋の近くに住んでいた渡部さんの家のものです。とてもいいおじさんでした。すでに跡形もなく、空き地に、そしておそらくマンションに。