東京の皆様へ
私たちは、柏崎市刈羽村の住民です。当地は世界最大級の原子力発電所を抱えており、その電気はすべて関東に送られ東京電力管内で使用されております。私たちは22年前の原子力発電所運転開始以来、いつか原子力発電所が取り返しのつかない大災害をもたらすのではないかと、日々不安の中で暮らしてきました。
7月16日の中越沖地震はこの原子力発電所と私たちの街を直撃しました。地震の恐怖とともに原発事故による放射能汚染の不安が私たちを襲いました。倒れかけた家から這い出した市民村民は、まず、原発は大丈夫かと心配しました。煙をあげ、少量の放射性ヨウ素が放出されましたが、原発の中で何が起こっているのか、知るすべはありませんでした。あとになって3000か所もの損傷等が見つかり、内部が相当傷んでいた、まさに危機一髪だったことを知りました。
地震で原発が止まり、関東では、この夏停電するかもしれないという事になりました。5年前にも不祥事で原発が全部止まりましたが、このときは冷夏に助けられて東京の電力危機は、回避されたと伝えられました。今年はまれに見る暑い夏でしたが、東京の電気は止まりませんでした。節電に努力された方もあったでしょう。でも、根本的には、夜でも昼のように明るい東京に変化はなく、社会のあり方が大きく変わった訳でもなかったようです。そうであれば、今回のことで、柏崎刈羽の原発がなくても、何とかやっていけることが明らかになったような気がします。
私たちも、電気のない生活に戻ろうなどという気はありません。現代社会で電気が必要なことは明らかです。温暖化対策も必要でしょう。しかし、エネルギー効率が悪く、余った熱を海に捨て海水の温度を上げ、出力を調整出来ないため結局は、夜間の余剰電気を消費するためにオール電化などで電力需要を増やし、省エネと逆行している原発が本当に環境に優しいのでしょうか?
大量の電気を使って、地方に放射能汚染の恐怖をしわ寄せし、のちの世代に放射性廃棄物の管理処理を押し付けることになっても、大量の電気を使わなければ日本人の生活は成り立たないのでしょうか?ほんの少し生活のやり方を変えれば、エネルギー供給の仕方を変えれば、原子力なしで十分にやっていけるのではないかと思います。そのほんの少しの贅沢のために、決断がなされないために、原発立地点の住民は数十年にわたって日々放射能の恐怖と事故の不安の中で暮らしています。そして、この不安が現実となったときには、東京の皆さんも同じ被害者となります。
今、私たちは新たな不安を感じています。それは、地盤が沈下し、万が一の想定の数倍にもなるゆれに襲われ、建屋が傾き、制御棒が抜けなくなって、目に見えないひずみを抱えているであろう原発をまた動かそうとしているということです。東京電力や国は大きな地震は起こらないという前提で柏崎刈羽原発を設置し運転してきました。私たちが、断層があって地震が起こる、その時どうするのかと述べても、そのような地震は絶対に起こらない。だから建設するのだという答えでした。いま、その大前提が崩れました。大きな地震は起きないという前提が崩れた以上、運転再開はあり得ません。
今日、私たちは地震後の生活の復旧すらままならない中で、ここに集まりました。また、全国の皆さんにもおいでいただききました。ここに集まりたくても、自宅や地域の復旧のために参加できない仲間も大勢います。私たちの思いが東京をはじめとする電力消費地に届いて、皆さんが原子力のことを考えてくださることを望んでいます。
今回の地震は、私たちの生き方に対する警告のような気がします。皆さんとともに、少しだけ生活の方法を変更し、原子力に頼らない、長続きする社会づくりの一歩が踏み出せたらいいと思っています。
大きな地震でしたが、かろうじて原発は止まりました。このまま「おやすみなさい柏崎刈羽原発」。そしてその時には、はじめて、私たちは安心して眠ることができます。
2007年11月24日
おやすみなさい柏崎刈羽原発集会参加者一同
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昨日の集会に出席できませんでした。想像以上に強いメッセージ(集会宣言)でした。東京に住んでいる人、一人でも多くの人に読んでいただきたいので、急遽、そのままpdfの内容全文を転載しました。