AERA 2017号

ビジネスのうまみ消えても紙の本はなくならない
紙の本を読む人が減っている。「町の本屋」がどんどんなくなっている。…
「本がなくては生きてゆけない人」がいなくなることはない。その人たちが本を書き、出版し、販売する営みは決して終わることがないだろう。

うちの本は、ごく僅かでも、正確に「書籍」のカタチで残しておきたい(スイスと国立国会図書館にはある)。そして欲しい人が欲しいときに即手に入ればよい。在庫はいらない。

似坐禅僧

読み下しをしていただきました。

愛梅人似坐禪僧 看到宵分未點燈
春月當窓疎影現 半場殘夢冷於氷
        磐溪老人

(梅を愛する人、坐禅の僧に似たり、看て宵分に到るも未だ燈を点せず、
春月窓に当たりて疎影現はる、半場の残夢氷より冷たし)
「梅を愛する人は、まるで坐禅をする僧のようで、ひたすら見続けて夜半になっても灯をつけようとしない。春の月が移って、その光が窓を照らすと、まばらな梅の枝の影が映し出される。あたかも断片的な夢の中にいるよう。夜気は冴々として氷よりも冷たい。」

旧田中角栄邸

思い出す。
当時は、都バス(学バス)が、ポンジョ行きとドッキョウ行きが目白駅前(カワムラ前)から出ていたので、通学で、角栄んち前は毎日通った。それに、よくマラソンの練習で、折り返しポイントに使われていた。
中学生の時、事件は起きた。硬式テニス部のボールボーイをしていた頃、隣の目白台グランドのコートで練習してて、角栄の庭にボールが!壁をよじ登って侵入。とってきた。電気が通った非常線が引かれていたのに成功。その後、米山に話したら同じようにして侵入、見事、警備員にとっ捕まった。

思い出す。
真紀子さんに長岡造形大学コンピュータ室Bをご案内した時。突然千秋が原にいらっしゃって、当時の事務局長がいきなり、「小泉先生のMacのコンピュータ室にご案内して、説明をしてください」と。驚いた。照明の仕掛けなど、細かく解説したことが懐かしい。
昨日、「線香をあげていた」のか。目白御殿消失、ひとつの城が焼け落ちたような感じがする。中国の宝がかなり燃えてしまったのではないだろうか、、、

AERA 2003号

決して「議論」にならない
孔子の「述べて作らず」は「私は先賢の教えをそのまま伝えているだけで、私の教えのうちにオリジナルなものは何もない」という潔い断定である。先賢の知の「伝道」に徹するところに真の「創造」がある。
やっと気づき出しているのか。

それにしても、表紙、酷すぎる。羽生結弦みたいのばかりが続く。世の中には若男いるはずだが。

罰金

興味深い書き込み。

働いたら罰金 = 所得税
買ったら罰金 = 消費税
持ったら罰金 = 固定資産税
乗ったら罰金 = 自動車税
飲んだら罰金 = 酒税
吸ったら罰金 = たばこ税
死んだら罰金 = 相続税
継いでも罰金 = 相続税
貰っても罰金 = 贈与税
生きてる罰金 = 住民税

SNSyndrome

Twitterはノイローゼを、
Facebookは悲しみを、
Google ニュースは胸騒ぎをもたらし、
Instagramは強欲さを煽る──。
そう痛感した日本在住のアメリカ人ライター、、、
https://wired.jp/membership/2020/09/17/glorious-boredom-japan-1/

ドキッとした。いい見地。
全部やってる人はどうなるの?笑
YouTube
TikTok
も教えて。

mT

なんだか騒がしいというか、なくなってまだ一年も経たないうちに。周りをよく見ていれば、ポスト不在でいい。なんか死ぬのを待っていたみたいで、ほんと嫌だ。少しは喪に服すというか、大人しくしていたらどうなんでしょうか。

invisible

Facebookの「掲示板の法語」というグループが気になっていて、いつも気にしている。
「ボクは目が見えなくていいんだけど
もし一瞬だけでも目が見えるなら
お母さんの顔が見てみたい 辻井伸行」
宗教を超えた何気ない言葉が心を打つ。デザインとは一見関係ないようだが、とても関係している。つまり表現だけではないということ。
よく遠い過日を思い出す。今朝は鎌倉の伊藤正道氏の家と庭を思い出した。彼のお母さんとよく話をした。お会いした頃は、眼が見えなくなる前、その頃から長い間、年に何度も。晩年はほとんど失明されていた。話していると、ぼくが若かった頃の顔を思い浮かべて、お話しされていると言っておられた。彼女の脳裏のぼくは永遠に歳をとらないのです。彼女はかなり庭の草花の世話をしていた。畑仕事もこなす。どのようにされていたのだろうか。
今、ぼくも母と取り戻した庭の世話を毎朝している(雨天中止)。母は全ての植物を丁寧に観察し、話しかけてさわっている。ぼくはその間待合の椅子に座って、そのような様子を眺めてボ〜っとしている。一日のうちでとっても重要なひととき。
庭を見てボ〜っとすることは、実は坂本さんから教わった。2007年の夏至の日、NYのあの家の庭を二人で日長に眺めて、ビールを飲んで、気ままな話をしていたことを思い出す。人生でとても大切なことを教わった。

追記: 家事をしている最中はMacBook(CD)を鳴らしているのだが、4月3日から昨日まで坂本さんしか聴かなかった。合掌。今日から普通に。