AERA 1825号

p.9の内田樹氏のコラムはとてもいい。

「大学人」=サラリーマン

「学者」=職人(ギルド)

まさしくこれだ。おそらく今は前者しか残れない。ぼくが大学をやめた多くの理由のうちの一つでもある。ある日、ペーペーの事務方から指図=命令を受けた。「教授会で決まったことだから、、、(当時の教授会はすでに全て事務方が作ったシナリオ)」と言われ、ぼくはそれをお前から押しつけられる覚えはない。完全な暴力であった。本当に腐った大学であった。何のためにぼくは当時デザイン教育を学生のために追求していたのだろうか。全てを疑った記憶が蘇る。

p.11の「すがすが(菅菅)しい=うさん臭い」という浜氏もまたいい。

史上最悪の総理大臣

えっ、このタイミングしかないと判断、ですと、単なる投げ出し。二回も同じやめ方。お前の薬なんてどうでもいいことだよ。悪いことしかしなかった輩、全く呆れる。ほんと国民をばかにしている。二度と人前に出てくるな!

家元の感染防止ガイダンス

不審菴 表千家同門会のホームページから、新型コロナウィルス感染症に伴う本部指針その6(5月30日版)より抜粋の抜粋(今後重要と思われる部分のみ)。

教授者各位に発した家元のお考え:( )は字休菴
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表千家茶道を指導する教授者各位の活動について教授者各位には、本部指針にそった対応をなされていることと存じます。
– 外出控え=教授者、稽古人ともに毎朝体温測定をし、発熱または風邪の症状がある 場合は取りやめる。感染が認められる地域や都道府県をまたぐ稽古人の移動は都道府県の要請が解除されるまで控える。
– 消毒=玄関に消毒用アルコールを設置する。水屋に消毒用アルコールを設置する*(水屋のあの特有の香りを損なうし、そもそも作法にない)。トイレ、手洗い場、手でふれる部分の消毒清浄をおこなう。
– 手洗い=教授者、稽古人、見学人は、水屋の準備、入席前に手洗いの徹底(まさか手水鉢にアルコール?)。
– 換気=茶室と水屋の換気*(襖など開けっ放しにはしない。閉める作法は守る)、空気清浄を徹底する。

– 密集回避=稽古予約制や時間別案内などにより人数制限対策を徹底する(もともと人数制限している、笑)。
– 密接回避=茶室内ではそれぞれ一定の距離を保ち対面を避ける*(濃茶や正客とのやりとりは今まで通りに)。
– 密閉回避=茶室と水屋の窓の開放。

- 咳エチケット=教授者・稽古人ともに稽古場内でのマスク着用を許容、推奨する*(茶室ではマスクはしない)。
– 特例的措置=菓子の盛付けは素手を避け手袋等を使用し、銘々皿を推奨する*(菓子器から銘々懐紙にとる作法を採用)。薄茶濃茶ともに茶碗を替え各服点とするなど飲み回しを避ける*(主茶碗と替えの組み立ては重要)。一点前ごとに教授者が責任をもって茶碗、茶巾、菓子器、黒文字等の熱湯消毒、流水洗浄をおこなう*(うちの水屋は蛇口はなく、瓶の水のみ)。布巾、雑巾の都度交換、熱湯消毒、洗剤洗い、流水洗浄。手拭きは各自持参を推奨、ペーパータオル使用を許容する*(これは危険。水屋作法がめちゃくちゃになり、茶碗を割ったりする)。
なお、本項をもって、本部は、稽古の再開を奨励するものではありません。稽古を再開される場合また客人にお茶を差しあげる場合に、社中の皆様や客人またそのご家族の安全を 最優先するために細心の注意をお願いするものであります。 今後の感染拡大の状況によっては、稽古の再停止の判断をお願いいたします。

上記の御触れの前提にあるものは【去る5月25日、すべての都道府県において「緊急事態宣言」が解除されました。 しかしながら、これをもって直ちに全面的に自粛要請が解除される訳ではありません。一定の移行期間を設け、段階的に外出の自粛や施設の使用制限の要請が緩和されていきます。この段階的な緩和が順調に進むためには、日常生活における一人ひとりの対策の継続や業種ごとに策定されるガイドラインの実践が前提となります。不審菴ならびに表千家同門会といたしましては、政府の基本的対処方針をふまえ、より慎重に対応して参ります。本部指針、行事変更等の最新情報については、表千家ホームページの「新着情報」でお知らせいたします。】
https://www.omotesenke.jp/chanoyu/kousin.html
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おそらく、このお知らせは、たてまえ。
極めた方々は、なさらないのでは(つまり、今まで通り)?
なお、長い歴史上、数々の感染の病(やまい)の流行でその度に点前を変えたことはないのであって、単に個人個人の細心の注意が必要なのです。
ぼくは茶道の教授ではありませんから(人に指導する立場ではありませんから)、極限定された方々としか茶の湯を楽しみません。従って上記*をするつもりはありません。これらは今まで習った茶の道からは外れているから。また、先のような最近のSNSでの無責任で不用意なバラバラの報告であったり、伝達情報がホームページ上での発表だったり、これでは高齢の先生方には、重要な正確な情報が届かないのではと危惧する次第です。ぼくの意見ですが、、、、

茶巾の代用?

先日のスレッドで書き込み、さらに追い打ち。
茶巾をscottie社のキッチン用ペーパータオル61カットに代用。サイズが丁度いい、おまけに使い捨てだって。ありえない!
絞る、畳む、茶巾捌きとは水屋での精神統一であって、麻のあの白い布にお点前の重要な部分、手の感触がある。
「茶巾は最も清いもの」それを扱って知る=割稽古。
代用品? 茶道は台所仕事と同じ? かつて先生は絶対台所のモノと茶道具を一緒にするなと教えてくださった。当たり前のこと。
それが、このままだと抹茶をただ飲むだけになってしまう。「社中の皆様に意見を聞きながら…」違うだろ!?

献茶?

昨晩、SNSに驚きの書き込みが。
焦って教室を再開した或先生の投稿で、「入室前に、体温測定、手の消毒、マスク着用は当たり前!茶巾、布巾は使い捨て。茶器、茶碗、茶筅、茶杓も、人数分準備し使い回し無し。点てたお茶を自服。」
こんな勝手な稽古は許されるのでしょうか?
マスクをして点てた茶を自服。生徒各人は神様でしょうか?
使い捨ての茶巾?小茶巾?裏なのでしょうか?
稽古の仕方は、今の宗匠の猶有斎がお決めになること。
茶の湯は悠久の時を超えてきているのです。軽率な行動は慎んでほしい。この事態を家元は慎重に考えていると信じたい。只待つこと。

茶室で点てる茶とは違う記号:

この場の和紙のマスクは手造りのようです。俗世の塵にまみれた人にではなく、神仏に奉納なのですから、清浄には穢れを嫌うという人の息に対して表したサインです。

令和2年6月号 同門

巻頭の即中斎筆、山水有清音(さんすいに せいおん あり)
左思(さし)250–305の西晋の詩人の『招隠詩』の一節。
「楽器を用意するまでもない、山や川にさわやかな音色がある。どうして歌を謡う必要があろうか、、、」
また、『宏智禪師廣録』に「繞籬山水有清音」(籬を繞る山水に清音あり)とある。
つまり、下手な造作を加えないありのままの世界のことであって、山や川にも自然の奏でる清らかな音楽があるの意。決して、清めの水についてうたったものではない。誤解を生じやすいのではないか?
八ヶ岳の山水を想って。

現在グラフィック・デザイン考

(現代でなく、あえて)現在のグラフィック・デザインにほとんど興味はないが、
簡単なことを難しく語ることが美しいとされ、難しいことを簡単に語ることの皆無な時代。
このようなことが、いつまで続くのだろうか。
おまけ:教育者がただ情報の羅列を出すことを佳しとしていることを問題とすべきである。
深く解釈し、真意を伝えことを、次世代に教えてください。つまり結果や答えではないプロセスであることを。

桜守

「生中継!令和を彩る京都の桜」
COVID-19で、今年の京の桜を愛でることのできなかった人への贈り物。桜守の素晴らしい話、それに対して、茶人と称する輩。とても恥ずかしいふるまい。人として茶の湯の深さを知るべきと思う。