驪龍吐明珠

りりょう みょうしゅを はく「死力を尽くし、たった一つの重要なものを(師から)手に入れよ」出典は『碧巌錄』のよう、第62則•頌の著語に「驪龍玩珠」とあるが、当の五字は発見できず、新山李白詩千外儒別經に「驪龍吐明月。解領得明珠。」とあるが。驪龍は想像上の黒い龍。龍は首のところに神秘の宝珠を隠し持っていると伝わる。おそらく、師と弟子の問答を意味し、師が龍で、宝珠(法)を吐き出すことを示しているのではないか。

一方、絵的には黒竜と明珠のコントラスト。つまり日本画昇龍のような世界を想像しやすいのですが、この言葉の深さは計り知れません。五行では、黒は北を示し守護する神聖な竜とされ、闇龗神とする。そうであるなら「明珠を闇に投ず」に近い解釈もあるかもしれない。

幕末の大徳寺461世/觀宗義諦の筆。1867年61才(ちょうど今ぼくの歳)寂。あまり一行書は見かけない。いつ頃書かれたのか、なかなか力がある。調べていたら同じ言葉の掛軸が裏千家に、元伯宗旦筆、坐忘斎箱、覚々斎箱があるらしい。

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