江戸初期の棗。太字の了々斎在判。
盛阿弥初代は千利休のどのような塗師であったのだろう。その頃は十職は存在しなかったし、後に名付けられた利休形ではない形だったので所持することにした。蓋が浅く、身とのプロポーションが明らかに違っていて、合口端の位置がとても新鮮。とてもゆったりとしたふくよかな佇まいの棗。
ちりに近い板には小さな「盛」の針彫りがきちんとある。三代続いていたらしいが、後世の後彫りが多いとみられ、確証のある作には乏しいらしいが、そのようなことはあまり気にしない。とにかくとても古い黒棗で、黒のようだがほんのり飴色、とても使われた様子で気に入っている。