「一 茶之湯ろくニなく候てハあしく候、たてなる事あしく候、、、(57条)」
『逢源斎書 上』の一文の駆け出しに、茶の湯の真髄を述べたものがある。江岑の美意識であった「ろく(碌=陸)」とは、たいらでまっすぐでゆがみがないこと、まっとうで慎ましやかで目立たない、いわば麁相(そそう)の美。
それと対極にあるのが「たて(立テ)=伊達(だて)」無闇に派手に見せること、古田織部と金森宗和の茶の美。織部はひずんだ造形の道具を好んだ。このような美意識は、普通でない姿「異風異体」あるいは人目につくような変わったことをする「かぶき(傾キ)=歌舞伎」の美ともいわれ、流行りのアート作品にも通じる。宗和も同じく、野々村仁清の手になる優美で華やかな茶風で「姫宗和」と称された。現在もこれらの流れは色こく継承され、理解しやすい茶の湯の美の代表とされている。つまり江岑は「ろくでもない」と言い放っている。