吸江斎在判 傳来捻貫写 一重口水指

七十才永樂了全造、即中斎書付。隅炉だから、客の視線は常に目の前の水指。とても重要な道具でうちの茶室の顔といえる。和物土物、日本で造られた陶磁器製の水指のこと。『利休百会記』にあるように、瀬戸水指が圧倒的に多く、今まで勝手な解釈で稽古用の黄瀬戸一本でやってきたが、とうとう侘茶の趣のある水指を手に入れた。

捻貫(ねじぬき)は、胴に荒目の螺旋状の轆轤目の凹凸をつけた焼物。 表面がネジのような形をしていることから捻貫手と呼ばれるようになった。 本来瀬戸茶入の手分けの一で、四代藤四郎より後の瀬戸後窯(のちがま)と伝えられる茶入に見られるもので、捻貫水指は利休所持のものがあり、江岑のときに紀州徳川家に献上され、内箱蓋裏に「祢ちぬき」、中箱蓋裏に如心斎が「祢ちぬき 御水指」、外箱蓋裏に了々斎が「利休所持 瀬戸祢ちぬき 左(花押)」と書付のあるものが有名。
一重口水指としてみると、信楽の銘「柴庵(しばのいおり)」利休所持(東京国立博物館蔵 重文)に雰囲気が似ている。古瀬戸のようだが違う。一重口(ひとえぐち)とは、口造が内側に折れ込んだり外側へ反り返ったりせずに真直ぐ、胴は寸胴形で、底は板起こしで平底の水指。

西村宗禅(初代)から西村宗巌(9代)までは西村姓、10代了全(1770–1841年)西村善五郎。天明の大火により全焼した西村家を立て直して工房を整備した。「永樂」の陶印を初めて用いる。千家出入りになったのも了全の代から。樂了入(9代樂吉左衛門)と親交があり、同じ町内に移り住むほどの影響を受ける。家代々の土風炉作りのほか中国の釉薬を研究して茶陶を製作した。12代和全の代から西村でなく永樂姓を名乗り、さかのぼって了全と保全も永樂の名で呼ばれている。現在は十職。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です