筒井伊賀

とうとう桃山時代を代表するやきものがやってきた。了々斎の花押と「ころ丸」の銘が朱で底に書付けてある。
やはり、水指はこれ。古伊賀は、俗に「伊賀に耳あり、信楽に耳なし」といわれる。特徴とされる箆目(へらめ)が立ち、破調が程よくある。静かな荒々しさから曽我の五郎丸なのだろう。
簡単に、伊賀焼を。天正12(1584)年古田織部の弟子であった筒井定次が伊賀領主となったとき、槙山窯と丸柱窯、上野城内の御用窯などで茶陶を焼かせたとされ、これを「筒井伊賀」と呼ぶ。慶長13(1608)年に改易となったが、この間の名作が五島美術館所蔵、重要文化財の「破袋」であり、焼成時に焼台に底がめり込んだため、偶然歪みができ、大きな破調の美の代表となった。それが桃山時代の茶人の好みともされている。
古伊賀でも、二代領主の藤堂高次のときの「藤堂伊賀」は小堀遠州が指導して製作したもので「遠州伊賀」といい、以前とは対称的に瀟洒の陶器に変化した。そして寛文9(1669)年七代高豊に陶工は信楽に去り、伊賀焼は衰退した。その後、宝暦年間(1751~1764)に「再興伊賀」と呼ばれ、古伊賀とは異なる施釉で日用食器が中心に復活、別物。

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