ここ何ヶ月、時間があると、この本、を開いている。なんとなく、ほっとする。
これぞ、また書物。
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↓しびれる
自分で点前をしてみて感じることは、お茶の点前の中に、自分で自分を律するという修練の含まれているということであります。
自分の手足の動き、手足の位置など、一見たいしたことではないはずであります。しかし、これを自分で意識する間に、自分に対する見方が変わってくるのであります。これは禅宗の修行のなかでもまた大切なことであります。坐禅は、生理的に精神的体調を調えるうえに非常に有効な手段でありますが、お茶の点前は、自分の身体の隅々までを意識して制御している間に、ひょっとして、自己解脱につながる契機ともなるのであります。…(略)…これはお弟子だけではなしに、師匠自身にも大切なことであります。(本文「お茶を教えるということ」より)