インターネットが普及した今、使い手の知識というか情報を判断する力がとても求められていると思います。知識とか判断力ってその人がそれまで体験して培ってきたもの、のような気がするんですよね。。。なにが言いたいのかまとまらなくなってきました、が、
私は、koizumiさんが言っている事はすごく意義のある事だと思います。これから行おうとしている事も。
私事ですが、デザインってなんなんだろうってとても悩んでいる時にkoizumiさんのお話しを伺って、すごく勇気付けられたんですよ。デザイナーって、世間一般のイメージだとよく見る雑誌やパッケージや広告のデザインをしているとか、そういう派手なイメージを持たれがちですよね。実際私がやっている仕事(Closedなイベントで使用するものなので)を説明しても理解されない事が多々あります。。。そうすると何か自信がなくなってきて、胸を張ってデザイナーですと言えなくなっている自分がいるんです。
koizumiさんのお話しを伺っていて、こだわることの大切さって言うのでしょうか。すごく感じます。デザイナーって感覚とかアイデア勝負で有名な仕事をしてる方が認められやすいっていう感じがありますけど、先生はどんなものにでも、一つ一つデザインの意味をもって丁寧に仕上げていくっていうのをすごく大切にしているのが伝わってきて。。。物作りに対してとっても真摯というか。。。
私は果たして、人に認めてもらうとかの前に、自分でつきつめて納得いくデザインをしていただろうか。と思いました。まずは自分が本当に納得いくものを作りたいと思いました。そのためにもがいたりするのは恥ずかしい事ではないんだなーって。私もkoizumiさんのようにデザインに対して真摯でありたいと思います。自分がデザイナーとして今後どうなるのかちょっぴり楽しみになりました。それには努力が必要なのですけれど。
白金のお教室や地下都市もこれからがどうなるのかすごく楽しみです。 2006.8.22
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どじょうさん、長い御意見ありがとう!ひさしぶり、ここで会話をするのは(正直うれしい)。この時代のhtypoの終焉にふさわしいですね。そして、ぼくに負けず劣らず辛口、いい気分ですね!「design is attitude」これは昔から尊敬するヘルムート・シュミットのスローガンですが。まさしく、仕事に対する規範のようなものがどじょうさんの言っていることだと思います。ぼくもこれを守って生きていきたい。どじょうさんの仕事もきっと深いものだと思います。あなたが携わる前の状態、携わってからの経過そしてこれから。想像して仕事をしてみましょう、理想を持って。。。デザインの仕事は世間の情報が助けて、おっしゃるとおりどんどん派手でスター指向になってきてます。ぼくはあえてこれに背を向けて生きます。そこに大切な意味を感じているから。これは労力と時間がかかってたいへんな仕事だと思います。ぼくは地味な仕事が大好き。でも、仕事の喜びはそこにあります。そのことがわかってくれる同士が増えていくことがぼくの夢です。来年の4月からはひとつひとつ打ち込めます。
ぼくの本の第0章「タイポグラフィには分野がない」この章を実行に移す時がやってきました。白金の学校はたのしみでしょうがないのですが、どのようにしていけばよいのか。。。全くわかりません。試しにmixiに足を踏み入れたのもそのことがあるからです。ぼくのホームを覗いていただければわかります。ちょっと他の人と違うと思うのですが(^^)
ぼくはヘソがまん中に付いていないので。。。人に認めてもらったものがいいとは全く思っていません。ですから、賞、商業的に成功したものすべてがいいとは思っていません(最近のものは特に!)。上辺だけ見て判断する人たち、評判やうわさを聞いて信じてしまっている人たちは同じデザイナーっと呼ばれていても、ぼくとは全く違う人たちですね。>>>茶道を真剣にやればそれはわかります。
自分が納得するまで、しがみついて、結果を出すこと。。。そしたら、自分でご褒美をあげてください!