まず、ビンテージ。その人その人によって、ものに対する価値が違うと思うんだけど。ひとつにするって、ファシズム。もちろん、市場で貴重価値があると認められて、高価なものが一般的にはそれなのだけど、大変複雑な価値感とぼくは思う。所持する人によって、その価値も当然違ってくるから、製造年だけで判断するって?(つまり、これを決めた人は全然分かっていないのだ。とにかく、いいかげんに過去の遺産を葬ることばかり考えてる)ぼく個人的には、仕事で使ったことがある品、思い出の品、心がこもった人から人への品、欲しかったけど手に入れられないでいる品、またはそれらと同じ中古品は、相場でいくら安いものであっても、その人によってはかけがいのないもの。当然まだ使えるものであったら、最後まで愛情をかけて使うのが「ひと」と「もの」の一番いい関係ではなでしょうか。これは常識だと思う。
767はぼくが持ってる最古のオーディオだけど、その他大切にしている電化製品は山程!日常生活に欠かせないいろいろなもの。以前、坂本さんからのメールで、ずーと使っていたブラウンのシェーバーが壊れた時の買い換えの話を思い出していた。。。もし、活版印刷機が電動だったら、すべて日本から消えることになる。ぞっとする悪法。なんと恐ろしい世の中だ。憲法9条が消える時の前兆?754にも書いたけど、金の使い方がマヒしている国家公務員には分からないのだろう。大量のゴミを作って、新しいものをどんどん作って売って、捨てればいいと思っているクズ野郎。それと、PSE用の検査機器が調達できない状態って、どういうこと?はっきりいって産業に関わる資格がないと思いますね。
このことは良質のデザインの価値観とも深く関係がある大切なことだと思う。ものをつくり出し、世の中でどのように存在していくのか、根本の問題。
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/
20060323k0000e040051000c.html