初、前大徳。紫埜は、
手にしないようにと思っていたのに〜。やばい、ついにこの領域に入ってしまった。
何せ、12代惺斎の長男の与太郎(不信斎)が昭和10年(1935)に「宗員」号を大徳寺の老師から受けた。その弟は覚次郎(13代即中斎)。この老師こそ、大徳寺488世/円山傳衣なのです。その墨蹟。すごい。
さて、「寿山萬丈高(じゅざん ばんじょう たかし)」
寿山とは目出度い、長寿のたとえ。ときどき寿や寿山の文字だけ大きくして、この言葉を含んだ茶掛けは(他を小さくした)多し。
萬丈とはきわめて高いこと(1丈=1尺の10倍、の万倍)。茶の湯で多く使われる言葉。
終南山にも似て山が高いがゆえにあやかり、命の長くありたい、永らえたい。という意。
それにしても、一目惚れ。この墨の流れは、源流。すべての時間の流れであって、絵が文字になって、文字がまた絵に帰った証明。ぼくにはすごいバランスの墨絵に見える。