朧月楊柳之図 為三郎筆

西村芳海箱書、この方がお持ちだったのだろう。江戸琳派の静かで素朴な絵。おそらくこの絵は写真では再現できません。この付近根岸で描いたものに間違いない。其頃は「柳通り」はなかった、文彦の地図では「あんらくじよこ丁」という名称だったが、おそらく柳の並ぶ風流な三業の小道の前身があったのだろう。突き当たりには現状のようでなく屋敷があって行き止まり其脇を音無川、御行の松、、、
月は正円で、1964年のオリンピックポスターのように左右ちょうどに堂々と。しかし幽玄な姿をしている。これが琳派。重要文化財の[発色のよい群青と金泥で描かれた渓流のねっとりとした表現]とはまた違った効果を金泥で試みている。なんとも言えない存在感。
それに対して、柳は写実的な描写で、しなやかな三本の絡んだ枝と葉一枚一枚が今にも風になびきそう。楊花はひとつひとつかわいい。瞬間的に決まった完璧な構図、空間がかなりあるのに「菁々其一」の落款と「祝琳」の白方印の位置が幹の上に重なっていて、緊張感あり、極めている。こんな絹本は見たことがない。この一幅で精神が統一でき落ち着き、張り詰めた室内を作る。1858年に63歳歿、ということはちょうどぼくが生まれた百年前か。不思議な絵だ。「鶯の舎主人」はいわゆる「御歌所」の寄人で、当時一級の文化人の一人。いろいろな作品を目にする機会が多かったと思われ、よほどこの作品を気に入ってられたのではなかということです。

「鶯の舎主人」はどういう人だったのだろうか?岐阜の関というところにいたらしい歌人、、、このような絵を持っていたとは。

朧月楊柳之図 為三郎筆」への1件のフィードバック

  1. 不昧=雪置字、抱一=桜花弁、円乗=朧月3名合作が出た。時代は一致するが、、、この出会いが現実に実現していたら、すごい。一体どこで?誰が考えたのかおもしろい。

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