父元治の生徒手帳

当時の東京府立工藝學校のもので、遺品の中に大事に入っていた。担任の染谷駒太郎はぼくの祖父。つまり母のお父さんが父の先生でずっと父の青年期の成長を見守っていたことになる。とても稀な先生と生徒であったと想像する。詳しい話をぼくは聞いたことはない。もちろん母は知らない。謎だ。
来年は、この辺りが先祖の所有していた土地のカタチに近くなる。ぼくが生まれた頃に区画整理があり、ここ上根岸と背中合わせの日暮里町3丁目=東日暮里5丁目が、近代的な都市の状況になっていくきっかけとなった(他の日暮里地区は異なる)。そして今年、都立竹台高校の新校舎建築工事の部分が完成した。全く違った風景となった。父が見たら何と言うだろう。

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