執筆は惺斎。即中斎執筆の茶カブキのお軸から約50年前の。再び家元書付「表具好ミ」のが手に入った。しかし、また予想と大きく異なった。やはり三人が当てているが、これもおそらく皆中者の正客*に、お渡ししたのでしょう。不審菴の(高木貞正宛)領収書はそのままに。家元利休忌の茶カブキの客数は10名と聞いたことがありますが、12名とは、当時どのように実施されたのでしょうか。それにどなたが亭主だったのか。まったく想像ができません(そこが楽しいのですが)。それも大正2年ですから、明治39年の火災から、7年後の3月27日、惺斎50歳。即中斎(覚二郎)12歳。
荒圃* 全
又三郎 一
与三郎
久弥 全
雲子 一
さた子 全
小泉
芳子 一
薫子 一
天満
琴江 一
冷月 一
この頃から、内々にどころか年中行事のように、し始めだしたのだろうか。茶道の近代化に向けているようでもある。当時は1910年再建の目新しい現在の残月亭でということになる。年始から興味深いお軸を掛けて濃茶をねることに集中する。