「輩」は健在。
跋扈(ばっこ)するメディアに未来があるとは思えないではなく、未来はない。当然「専門バカ」とも言えない「バカ専門」としか言いようがない。ほんと有識者会議や有名人のコメンテータが中心の番組など、嫌気がさす。もともとメディアにチヤホヤされて、この職(タレント)についたのだから、責任とってから足を洗ってほしいものです。
一方、今やどのようなレベルの人も、同じステージで言葉を発する。そのようなネットメディアで言論の優劣がつくのか、いやそのような判断ができるのか評価がどのようにできるのか。人気あるユーチューバーが世界を支配している今日、全く見かけの世の中なのだ。
なので全く興味がない。とにかく理屈はおいておいて、戦争(大量殺人と大量破壊)はやめてほしい。
改選期研修 終了
当初の新任研修が終わった。かなり勉強になった。
それにしてもふたつ大きな驚きがあった。
ひとつは三日目の「傾聴とは何か」=評価や否定をせずきくこと。
もうひとつは今日の「生活福祉資金の対象者の特徴」=本来、貸付になじまない人たちを貸付によって支援していくという矛盾。
このふたつのこと、傾聴はぼくの今までの人生で、特に大学の先生の指導とは正反対。そしてこの矛盾ということが行政と民生で行われているということ。理由がもっともであり、素晴らしい。しかし、このような人たちが全国津津浦浦にいるのに、世の中が一向によくならないのは何故なのだろうか。そしてこの役目の重さを感じる。
日本の製品の行方
今週はふたつの不良品に振り回されました。しかし、その背後に見えてきたのは悪い政治だけではない、日本大手企業の落陽ではないだろうか。
ひとつは、カセットガスのストーブ。大阪の大手I社。10年以上前におふくろが非常用のためにと買っておいた新品。ホームページお問い合わせフォームからの連絡をとり、お客様相談室とメールにてやり取り。定型句の返事。結果、その機器の状態を見ないで、「ご使用についてはお控えいただき、お買い替えも含めご検討いただけますと幸いです。」つまりこの会社は依然「笹もってこい」の商い。
もうひとつは、介護用ベル。福建省泉州市の小さなD社。Amazonで先週購入。無デザインの簡素な商品パッケージにシールが貼ってあり、そのQRコードに言問とあって、LINEに入りメッセージを即やり取り。「部品を分解して解析からです。/商品の品質を高めることが第一です。」すぐに指定の場所に返品してくださいとのこと。代わりの商品は手元に、送料は即Amazonにて返金。これが新生中国。
対応が全く違う。日本と中国の印象が、以前からのぼくのイメージと全く逆、これからの商品との向かい合い方のヒントに。とても勉強になった。おそらくここ数年で日本の古い体制の企業は消えるであろう。
それにしても、電気代ガス代が去年の同月よりも下がった。やった。炭代が多少加わったがw
改選期新任民生委員・児童委員研修 一日目
予想以上にかなり濃厚な内容であった。いろいろあるが、ぼくのここのところの身の回りの状態と照らし合わせてみて、ふと思ったのが、軽視氏であった。高齢者で障害がある。見かけは該当するが、実はそうではない。詳細はブログに。これらの事実は、わが小泉家の歴史にきちんと記録しておかなくてはならない事柄。社会福祉における守秘義務の情報には当たらない。あえていえば、今後に役立つ事例と考える。地主と弱者のように見えてけっして弱者ではない借地人とのやりとり。今日知った民生委員のよいところは全て「活動記録」に情報を分類し整理して簡潔にとどめることができることだ。
それにしても、駒澤大学の川上富雄先生のお話は的を得ていて、よかった。久しぶりに講義を受けた感じがしたw
Welfare commissioner
今日から民生委員です。新人です。地元の老人と障害のある方々そして子供のために一生懸命やります。母が3年前に脳梗塞になり今日までいろいろあり、近所の方々から推されてやることに決めました。残りの人生は、自分の狭義のタイポグラフィ教育の流派を追求、そしてこの任務を全うしたい所存です。
ちなみに、民生委員制度は、1917(大正6)年に岡山県で誕生した「済世顧問制度」を始まりとします。 様々な経緯があり、1946(昭和21)年、民生委員令の公布により名称が現在の「民生委員」に改められました。「常に住民の立場に立って相談に応じ、必要な援助を行い、社会福祉の増進に努める社会奉仕者であり(民生委員法第1条)、日本の市町村の区域に配置されている。民生委員法(昭和23年法律第198号)に規定。地方公務員法第3条第3項第2号に規定する非常勤の委員であり、政令指定都市・中核市にあっては都道府県の特別職の地方公務員である。民生委員は児童委員を兼ねる」とあります。重い任務です。
軽視転居記念日
今日で隣が去って、ちょうど一年になる。ここは全く違う世界になった。
この一年、全く仕事ができなかった。大学生の頃からデザインの仕事をやってきて、初めてだ。12キロも痩せた。とてもきつい一年だった。立ち退いた夫婦がうちの土地に残した問題は、まだ余波が続いている。害はあっても利はない二人の人間であった。
とにかく、臭い、汚い、危ない、が全くない!さっぱりと綺麗になった。goole_mapでもこのように(過去の履歴には怨念の家屋が)↓

それにしても、ネズミ屋敷が消えたので、本当にいなくなった!ありがたい。
NHK 歴史探偵 茶人・千利休
初回放送日: 2022年9月7日
石田三成の関わりは、相当深いテーマです。
このように結論付けるのは、いささか軽い。さて、
付け足しのテーマ:「茶わんの科学調査」赤外線サーモグラフィーで温度変化について、
- 樂家二代・常慶作の黒樂茶碗=プライスレス
- 天目茶碗(元-明時代)
- 珠光青磁茶碗(明時代)
いづれもこのように並べるじたい、茶碗に、過去の所持者に、失礼。
そういう由緒の茶碗。単に自分のwを見せびらかすコーナーに成り下がった。
番組では、80度、70cc(お茶を点てるのと同じ温度と量)の湯を二人が同時に注ぐ。安定の樂、「樂茶碗は、熱しにくく冷めにくい性質を持つことがわかりました。」だって。当たり前。おそらく武者小路ですから、実際はこのように本物の茶碗にいきなり80度のお湯を入れたわけはなく、その前に、、、しかし、あれは誤解を生む。
あの三つの素材の熱伝導率はあの実験をやらなくても明らか。それを見せたいのであれば、小学校の理科の実験でもこのようにはやらない? あの茶碗でなくてもよい。番組中にどのように放映されるかは、事前にVで見ているだろうに、宗屋って馬鹿だな。なぜ利休が樂に茶碗を作らせたかとは違うでしょ。これでも家元後嗣か?笑
利休のリアリティの凄さは、科学調査をベースにそれ以上のことであると
もっとリアルな実験をして欲しかった。あの限定された茶碗でやるのであったら、ただ湯を入れるだけでなく
- 茶碗の中と茶碗の外の温度の変化、手で持つまでの変化
- あの茶碗で、薄茶と濃茶の点前中、各客が口にするまでの変化
- 正客と末客の違い
- 室温との関係
- 銘柄の違いなどなど、どれか一つの実験で、
明らかに当時の茶の湯が(温度や人の感覚に対して)意味深かったかを全く知らない人に分かりやすく。できないのであれば、断る。であろう。結論=売名。
参考:「液体の構造と溶解」など
京都帝国大学理学部卒、堀内宗心宗匠
過去にきちんとやる人はやっている。不用意に茶碗を見せびらかしたり、遊びで茶碗を使用しない。https://www.jstage.jst.go.jp/article/kagakukyouiku/34/3/34_KJ00003482275/_pdf
AERA 1930号
p.7のWeaponization「武器化」が日常用語化しないことを祈る:
同意見。辞書に載らないことを祈る。存在しなくてよい言葉。ある国が正統を主張し武器が欲しい武器が欲しいと言い出して、長引いて、多くの人が死んで、すべてを破壊し、、、武器を作っている国の経済が促進し世界を狂わす。平和の方向に誰かが向けていないと。
令和4年9月号 同門
4ページにA氏について載っている。K氏の頃から、、、なるほどと思う。世に対する姿勢が利休や元伯宗旦の頃の真逆なのだと感じた。先日まで紀州徳川家のことが連載されていたと思ったら、全く矛盾した昨今である。即中斎(最後の家元)が現代化(革命)していなければ、ぼくのような人は茶の湯を嗜むことはできなかった。深く知るにつれ、益々ぼくは而妙斎、猶有斎の時代の茶の湯には親しめないということであろう(両家元の道具と軸はひとつもない)。バーゼル派や琳派のように流派には終わりがある(例え、館が現存していても、目に見えない人の精神なのだ)。
「同門」という冊子のタイトル文字は即中斎筆である。このことがすべてを物語っている。
付記:数寄屋の棟梁 笛吹嘉一郎が戦後の宰相の好みに応じ創意と技を注ぎこんだ貴重な茶室「箕山居」。東京K氏邸(南平台町?)にて昭和33年完成の建物を、昭和47年に山口市泉都町へ移築。https://www.ymg-takken.or.jp/property/detail?p_no=000001455602
ご苦労さま。
とうとう家屋が消滅した(明日ユンボが退場して解体終了)。一言、かわいそうな家だった。ご自分で建てた家でないと、こうもひどいことができるのか。手業で毎日少しづつ行う解体でよかった。この家を壊して初めて、オヤジが立てた自宅の謎がいくつも解明された。なぜ全てギリギリの寸法でできているのか。当時は大変だったのであろう。それにしても、「この家、傾いている」という最後の一押しの言葉で決断したことだったが、、、この後述談で明らかに。正しかったこと。予想通りだったこと。意外だったこと。
きく人きく人、近所の人の多くはなぜ壊すの? 残してリフォームしては、人に貸せばと、、、しかし完全に破壊して、更地にすることが正しい判断でした。リフォームしたらン千万では済まないし、その後どんどん追加での出費は必至だったろう。なんと通りに面した家屋の前部の通し柱がすべて切られて(おそらく車庫ガレージにするため)、土台に接しているすべての柱の下が腐っている(解体屋の話だと周りのうちのレベルの中で一番低いためここに水が集まる*=木に水が染み酸気を帯びたすえた異臭が長年したはず)。おまけに屋内で駐車していた部分だけ布基礎の上に乱暴に分厚くコンリをまいている。その上部に未だに用途不明の中二階=立って歩けない、頭をぶつける理解不能の汚い部屋(汚れから想像して駐車の物置?入れたら最後、全く奥のものは取り出せない、掃除を一度もしていない空間)。なんとその上部に梁を外して鋼材を横に渡している。それも二カ所。玄関の頭の1本は完全に柱に渡っていない。途中で止まっているのでおそらく落ちてくる。その他ところどころ重要な梁も継ぎはぎだらけ、本当にこの家は危なかった。後部も違法建築を足すために通し柱が切られている。信じられない有様が、解体とともに明らかとなった。これらの素人の考えのその場の処置で、家をもたせたつもりたったのだろうか? (2階にあったものすごい量の家財の荷重)どおりで家が傾くわけだ。木造の日本家屋をなんだと思っているのか。これでは住居でなく、まるで改造された倉庫だ。
最も迷惑なのは、地境のブロック塀の中央にあった転倒防止のブロックの支えの鉄筋を切ってその部分を取り除き、違法増築をしていること、作為的としか言いようがない。公道に向かっている部分も約40cm縁石ギリギリまで迫り出してサッシをつけている。巧妙な狡い増築(その部分の基礎がない)。
軽視さんの余韻は家が残っていたらとれなかったであろう。しぶとかった。引き渡されてから即、全ての扉と引き出しを開放して、毎日外界と同じ空間にしても、もとの匂いが消えない。そしてアースレッド16畳のを一階二階2つづつ焚いて、急遽ブルーシートを敷いてみたが、それでもダニに刺される。痒い。もちろん家の中は一度も靴は脱がず初めから土足であがってる。床に直に間違っても座わることはできない。毛羽立った古い畳の上にゴザを乗せて画鋲で止めている。この湿った隙間ところには確実にダニが住んでいる。正確には気がつくといまだにクレゾールの匂いがする。どこから滲み出てくるのか? 家に染み付いていたわけだ。壁がすべてとれて柱以外全て運び出して、屋根が消え雨が家の中に入るようになってようやく消えた。目下の近所問題のネズミは減った。以前はこの家に何度も入っていくの目撃していたが、なんと飼っていたのだ。玄関のサッシ横についていたへんな出っ張りを下から破壊したら、なんと米が飛び散った、、、餌付け場だった。
家に入ってすぐ眼に入る部屋の隅にある垂直の太い塩ビ管はなんだろうと疑問に感じていたら、2階の便所から直接おちて来る下水管。普通はリフォームで隠すのが常識と思う。上から下まで全部剥き出し。よくこのような家に一日中いられたものだ。とにかくきたない、掃除をしない。窓の桟という桟に埃が地層のように重なって積もっていて、生まれて初めてみた状態。屋外にいた方が肺は綺麗だと思う。
最終的には違法増築したところだけで、生活をしていたのであろう。ダイニングキチンといえるのかわからないけど、違法増築した台所、食事していたテーブルの真下に下水の枡があった。床下のその上にカーペット敷いてしまって、わからなようにしてある。そのすぐ横には、おそらくメッキをしていた旧便所で、薬品の収納庫。ここ臭うだろ。まして、食べているところのすぐ後ろが換気扇のないトイレで、すぐうしろ1m。トイレと風呂場に換気扇がない。小さな通気口だけで、棒の先のフックで開け閉めだけする。おそらく、うちにあんなに匂っていんだから、開けた後扇風機か何かでこちらに送っていたのだろう。この空間と台所が一緒。ちょっと見えたことがあったが、この場所はもので溢れていた。直線にしたら、数メートルのところで、このような生活をしていた夫婦がいた。それも45年間。そういえば、引越しの時のトラックの積み荷の量、粗大ゴミの量を思い出す。どこにあの量が存在していたのであろうか。戦後バラックと同じ。これで貴金属を扱う仕事?笑らわせるな。
ライフラインの複雑さ。水道管の驚いたこと、はじめは全くわからなかったが、全てが二重。元々の内配管は使用していない。後付けの外配管で屋内には壁をその必要なところを管を入れるためにぶち抜いて引いている。電気も恐ろしいタコ足配線で、かなり多くを剥き出しの外配線。壁の中の配線が生きているところはどこなのかさっぱりわからない。もはや自分達もわかっていないのであろう。これではいつ火を吹いても不思議ではない、とても危険。
家に立ち入って即不吉を感じて、まずしたことは、家全体を塩で清めをして、全先祖の身近な弟子丸大仙の書で軽視の怨念を押さえた。その延長上にあることは、取り外した棟上札を丁重に近所の氏神様(元三島神社)でお焚き上げをする予定。とにかく怖い。ここまで安全に取り壊すことができたのは奇跡だったのかもしれない。うちの厄は消えた感じがする。ほんと疲れた。
それにしても、生まれて初めて家の解体屋さんの仕事を目の当たりにした。SAKURAREBLESSの安藤さんと仙石さんは素晴らしい職人(江戸時代の火消し)だった。感動した。多謝!
https://kaitai-sakura.jp