宴会料理

昨日、民生委員の新年会があった。普通でも滅多に宴会に出ないぼくが出席した。まずそこが驚き。

よく考えてみると、参加された方々というのは一人だけ顔を知っていて(コロナ後に二、三度数分間お話ししたことがあるだけ)、あとは全員初めて。乾杯後いきなり皆一斉にマスクを外して素顔になり、食べ出す。それまでずっと下半分の顔が見えないでいて、顔全体が出た瞬間に思ったのと違って見えるので、心理的にへんになる。料理の味なんかわからない。ワインだけすすむ。このようなこと、初めて体験した。わっ〜、すごく恐怖だった。

When I’m Sixty Four(Take2)3:01

64歳になった。Paulの曲。確かにWhen I get older losing my hair…
Will you still need me, will you still feed me. When I’m sixty-four?Whoo!cha!cha!hey!ぼくの人生はこのようにはならなかった。なんとかここまできた。何度も命があぶないことがあったけど、上出来中の上出来、大満足。でも、いつの間にかぼくを作ってくれた人たちはもうほとんどいない。
故郷に帰ってきて、最近、よく思う。ぼくは何者なんだろう?まだこのような同じことをしている、いや、してきた。「なぜか」を突き詰めたい。バーゼルの流派の源流は底知れないし、茶の湯の稽古から、「正確に所作を身につける」に努めていると新しいことを知ることができる。同じ社中のおばちゃん達と一緒にその深さを感じることができる。それがたのしみ。

借金満額返済

マスク・パッチン事件からちょうど一ヶ月。とうとう借金がなくなった。とても気が楽になった。
あとは二つの倉庫。まだ残っている大量の書籍と我社の刊行物。既にレコードとCDの断捨離は終わっている。もう少しでまた気が楽になる。
今日は逢源三百五十遠諱追薦、お軸を出して、供茶。

ps. 断捨離といえば、ついに名刺に手をつけた。おそらく一万枚以上あった。今までいただいた名刺一枚も捨てたことがなかった。が、とうとうarchivに収納するものと、情報としてkeepするものだけとなった。

供茶

本日は自服に加えて。先週の金曜日、福田毅氏亡くなられたそうです。ご冥福をお祈りします。彼が長岡に来られなかったら、ぼくは辞めることはできなった。感謝いたしております。合掌。

抹消

初めて、土地家屋調査士に依頼して、土地の合筆ということをした。偶然うまくいったのだが、この登記をすることによって地番の若い方の書類上の記述が残ることになり、後の番号の所有権に関する事項の履歴が「閉鎖事項証明書」が発行されることにより、書類として存在しなくなる。つまり、うちの土地の歴史から完全に「軽視」の名前が消えた瞬間だった。実にめでたいこと。