あけましておめでとうございます。
とうとう、今年でひと環りします(154万人のうちのひとり)。そして今年から、お正月の過ごし方が大きく変わります。朝自宅で起床、お屠蘇とお雑煮を祝ってから
1.
母と谷中の墓地に初参りの散歩 (ここまで昨年までと同様)
2.
印刷機と活字たちに御神酒を供え (うちの神はここに宿る)
3.
初釜 (超略式の結び柳=初、即中斎宗匠御好雲井、常盤饅頭)
以上、とてもシンプルになりました。ゆったりとした時間、、、
昨年まで、返事式年賀状を成人の日あたりまで毎日書き続けおりましたが、やめることにしました。本来の姿(お世話になっている人だけへの)ごあいさつの年賀状に。
それから、ちょうどいい機会なので、手帳をかえました!30年以上も続けていたオランダのシステム手帳succes(junior)から、前から気になっていた能率手帳(ぼくのは小型)に。今の生活にぴったり。
、、、あと、今年から、料金が複雑だから、別納郵便の年賀状が増えるでしょうね。最低。
bye CPT
とうとう18年住み着いた佃のCentury Park Towerから完全に離れました(鍵を知り合いの不動産屋さんに)。この間、最後の二年は、ほとんど足の踏み場もない大量の書籍・雑誌とレコード・CDの倉庫のようになっていたのですが、、、(いつも教室は33Fで)
地面にちかいところで生活すると、こちらが自然だということがわかります。父が建てた木造の家は今でも呼吸している。
palette 塚本由晴
故伊藤くんが、新建築『住宅特集』1990/9号でみつけた
あこがれの山荘。やっとこれに近づけるかな?
http://www.bow-wow.jp/profile/1990/pallete/index.html
iPhone SE
とうとう、二代目の4Sの具合が限界にきました。ああ、Jobs時代の遺産が。。。
まだMacBook Airは健在だけど。いつ交代になってしまうのか?
8vo Redux
10年
長岡造形大学、辞令を理事長に返還。あれから10年と1週間。2007年3月31日にわざわざそれだけで長岡へ、岩田さんと。とても重い仕事でした。
福田さんに学科長をお譲りして。鎌田先生が承諾してくださって、ほんと感謝しています。
今から思うと、13年もあそこでやったなんて、信じられない。ぼくはただバーゼルのデザイン教育を実際に日本でやりたかっただけ。(大嫌いな卒業式、入学式そして入学試験に出なくてすむ。助かった!)
幸運にも研究社から3冊も本を出させてもらって。今があります。たいした能力があるわけでもないのに、全力をつぎ込んで、時間はかかりましたが、できたのです。
次の10年へ。念願の出版社設立。でもわからないことだらけ。はじめの理想の本を出版するまでの道のりは長い。いつになることやら。とても楽しみな毎日。
長谷川利行旅
真似ができない真の芸術家。こういうひといなくなった。
http://www.nhk.or.jp/nichibi-blog/400/264844.html
「おばけ煙突」がないのが、残念。
http://www.senjumonogatari.com/obakeentotu.htm
七里ガ浜の家
この世にはとても不思議なことが。忘れていたのですが、昨晩の夢に。探していたら、突然ふとんから飛び起きてきて、びっくりした。あの家より大きかったけど。薄暗い部屋の壁に新作が何枚も貼ってあった。なつかしい家、西武住宅地分譲開始は1966年でしたか。
忌
平成元年の今日が命日でした。享年60歳。
「アトム忌」とでも言うべきか。
先月は藤沢周平。
こちらは「寒梅忌」と付いています。
今ほど小出さんから
最後の年賀状
他見ヲ憚カラス又上包ヲ要セサル短文通ヲ低税ニテ往復ノ便宜ヲ開クヘキ為メ之ヲ各地郵便役所及ヒ取扱所ニテ可売下事 1873年(明治6年)
日本で最初に発行された郵便はがきは、縦に2つに折り、その内側に通信文を書く形式であったそうです。今の年賀状、と改めて考えた結果、これまでの活版印刷によるものは今年で最後と決めました。また、ぼくの活版印刷は違うレベルの挑戦へ。年賀状は本来の姿へ (FBには不特定多数の人たちへの挨拶として載せません)。
http://www.nengahaku.jp/history-2.html
http://www.excite.co.jp/News/woman_clm/20161231/Womaninsight_47922.html