衝開碧落松千尺

一般に茶掛だと、松樹千年翠、松無古今色、吟風一様松、冬嶺孤松秀、鶴舞千年松(白鶴舞老松)あるいは松一字。実に目出度い。
この禅語の出典は不明で『嘉泰普灯録』らしい。下は截斷紅塵水一溪(こうじんを せつだんす みずいっけい)と続く。謎なのは(へきらくを ほうかいす まつせんじゃく)「碧落衝開松千尺」とそのまま書かれている(字並びはこっちの方がいいと思う)。
一本の松(枯れない常緑の精神)が高く崧え、真青な天空(浮世)を衝き破る様子。立った道人の孤高さを示している。明治8年(1875)加賀天徳院25世18年間の大休悟由禅師の筆で、永平寺に入山する前の墨蹟。また表具はボロボロ、おまけに天から水跡のシミが天に突き抜けているうちの赤松のよう。欲しかった僧の書。先日の「喫茶去」のように緩くない実に強烈な書と出会った!
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大休悟由の「喫」

趙州喫茶去
師問二新到。   
上座曾到此間否。
云不曾到。
師云。
喫茶去。
又問。那一人曾到此間否
云曾到。
師云。
喫茶去。
院主問。
和尚不曾到教伊喫茶去即且置。
曾到為什麼教伊喫茶去。
師云院主。
院主應諾。
師云。喫茶去
ん〜残念。

春色無高下

『圜悟語録』掲載 しゅんしょく こうげ なし (花枝自短長 かし おのず から たんちょう あり)と対句が続く、直訳は「春の景色、風光に上下の差等はない (花の咲く枝はそれぞれに長いのもあり短いのもある)」
『禅林句集』には、「平等中の差別。長者は長法身、短者は短法身」とある。『禅語字彙』には、「前句=同じやうに育てゝも、後句=物に出來不出來あるをいふ」とある。【前句=真理はひとつであるが、後句=そのあらわれ方はそれぞれ異なることのたとえ】季節の春に限った掛物ではないことがわかる。大徳寺376世/非心義覺はあまり見かけない墨蹟だが、よく画賛で登場する。『大徳寺歴代墨蹟精粋』には載っているので、やっぱり書き手なのだと思う。とてもいい景色。

無事

大徳寺447世/拙叟宗益(せっそうそうえき)の墨蹟(1850年ごろ)。昔の大徳寺は謎ばかりで想像することがとても楽しい。塔頭のひとつ玉林院の13世住職で、茶の湯に深く関係があったこの高僧の書は兼中斎好み(おそらく惺斎好みの影響?)。茶掛けというよりは、純粋に禅語に前大徳の花押と白文印朱文印とセットを拝見する。残念なのはこれには関防印はなし。一文字の宝珠と玉文様はおそらく袈裟裂に金で複雑にのせ、如心玉紹巴の原点のよう。他天地中廻し柱すべて同じで、とても単純な表具。言葉通り。
1847年に、先住の月舟宗中が遷化され、これまで師匠から受け継いで実践してきたものを自らの備忘のため、また将来の玉林院の師資相承を願って、『玉林院年中行事』を書いておかれたのであろう。原文は、禅の専門用語が多く、詳細を極めているらしい。その書との関係、、、内容は狭義の行(修行・勤行・寺務など)つまり禅院での生活全般である。当時の玉林院は塔主(たっす)/住職を中心に、役務を分担して修行される僧院であった。大庫裏の中は、典座(てんぞ)や納所(なっしょ)など、そして茶堂もあったらしい。やはりこの頃の茶坊主さまの生活はとても興味深い。1845年、10代吸江斎祥翁宗左は拙叟宗益より【安祥軒】の軒号を与えられている。

欠一着

大徳寺370世/萬輝宗旭の横物墨蹟(1750年ごろ)。表具は穴が空いているし、超ボロボロ。
清代の宗門拈古彙集(しゅうもんねんこいしゅう)という白巌浄符の編の禅籍から、康熙3年の自序のはじめに、おそらく、
…鋒到銳時欠於趨避。總是墮身死漢。南泉父子可謂善轉身矣。善趨避矣。然細撿將來。 尤欠一着。且道那裏是他欠一着處。天井新云。南泉欠趙州一着。趙州輸南泉一機。作麼生會。千年故紙好合藥。趙州示眾。老僧今夜答話去也。有解問者致將一問來。…
この節から引用していると思われる。
「特にそれを借りている。そして通りの裏に借りている場所がある。」ということなのだろうか。不明が多い禅語。
肝心な千家との関わりですが、「不白翁句集」に、利休忌につづいて利休の菩提寺である大徳寺聚光院への墓参の句が載っている。また、この萬輝禅師が東海寺92世の輪番を終わらせて、琳光院に再興されたと記されている。おそらく啐啄󠄁斎若年と交流があったことだろう。
先日の玉舟宗璠のなぜか朱文印しかない「閑事(かんじ)」より、なんか深味がある言葉と奇妙な書、、、この謎に満足。
それにしても如心玉金襴の一文字、、、天然忌、まだこの軸だっていう円相には出会わない。
この玉舟宗璠は本歌だったようだけど、昔の前大徳は贋作ばかりよく見かける。とても慣れたすごい筆!おみごと。

寿山萬丈高

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初、前大徳。紫埜は、
手にしないようにと思っていたのに〜。やばい、ついにこの領域に入ってしまった。
何せ、12代惺斎の長男の与太郎(不信斎)が昭和10年(1935)に「宗員」号を大徳寺の老師から受けた。その弟は覚次郎(13代即中斎)。この老師こそ、大徳寺488世/円山傳衣なのです。その墨蹟。すごい。
さて、「寿山萬丈高(じゅざん ばんじょう たかし)」
寿山とは目出度い、長寿のたとえ。ときどき寿や寿山の文字だけ大きくして、この言葉を含んだ茶掛けは(他を小さくした)多し。
萬丈とはきわめて高いこと(1丈=1尺の10倍、の万倍)。茶の湯で多く使われる言葉。
終南山にも似て山が高いがゆえにあやかり、命の長くありたい、永らえたい。という意。
それにしても、一目惚れ。この墨の流れは、源流。すべての時間の流れであって、絵が文字になって、文字がまた絵に帰った証明。ぼくにはすごいバランスの墨絵に見える。

澤木興道筆 萬象之中独露身… (1941)

とうとう探していた掛物に出会った(なんと、ヤフオクで見つけたので10年以上ぶりに入札してみた)。茶掛けというより、仏事掛けなのかもしれない。表装が傷んでいるが(一種の詫び)、「回」の字なんか感動的(渦=無限大の円相)! 筆が走っている。生生きとした書を見ていると想像が膨らむ。この30日は父元治の22回忌。檀家にしていただいた佐久の貞祥寺には澤木老師の書がいくつも掲げられている。いつかはうちにも、、、と思っていた。また手に入れた禅語がとてもいい。
萬象之中独露身
ばんしょうのうちどくろしん
更砂何処著根塵
さらにいづれのところにおいてか、こんじんをつけん
回首独倚枯藤立
こうべをめぐらして、ひとりことうによってたてば
人見山兮山見人
ひと やまをみ、やま ひとをみる
中国唐末の禅僧、長慶慧稜禅師が悟りを開いた時の心境を述べた偈があります。(景徳伝灯録、巻十八)「万象の中に独り身を露あらわす(森羅万象の中における独尊の身。各自の本来人をいう。天上天下唯我独尊と同じ)」からはじまって、、、
鎌倉後期から南北朝にかけての曹洞宗の僧、大智祖継(永平六代の祖)による山居の偈頌(げじゅ)集に収まっている一篇。
https://www2.dhii.jp/nijl_opendata/searchlist.php?md=thumbs&bib=200013620
最後の「疑うらくは私が山を見ているのだろうか、山が私を見ているのだろうか」という意味の言葉、現世ついには問答を勘違いして人が山を見るだけの世界になり、人が山を切り崩し、山を征服するようになった。つまり一方通行の、、、
澤木老師の著作は相当読んだから、この掛軸から話の世界はここ小さな茶室で広がるけど、同じ禅僧でも、小慣れた書(書家と類似するような良い姿の書)では、その僧侶の禅の世界は説明できないし、前大徳塔頭一行物や一字書みたいな高価でかっこいい書は、たぶん理解できないので購入することはないだろう。やはり、ぼくの原点は福井の永平寺(1244)と輪島の總持寺(1321)なのかもしれない。京都の大徳寺(1325)は何度も訪れているが、重要なところには入れないし、偉大すぎてぼくの茶のレベルでは接点があまりにもない。

太平一曲大家知

タイヘイのイッキョク タイカをシる。
臨済宗において尊重される、代表的な公案集。全10巻。宋時代 (1125)に圜悟克勤によって編された雪竇重顕選の公案百則に、垂示、著語、評唱を加えたもの=仏果圜悟禅師碧巌録
碧巌錄 卷第七(六一舉)
風穴垂語云(興雲致雨。也要為主為賓)若立一塵(我為法王於法自在。花簇簇錦簇簇)家國興盛(不是他屋裏事)不立一塵(掃蹤滅跡。失卻眼睛。和鼻孔失也)家國喪亡(一切處光明。用家國作什麼。全是他家屋裏事)雪竇拈拄杖云(須是壁立千仞始得。達磨來也)
還有同生同死底衲僧麼(還我話頭來。雖然如是。要平不平之事。須於雪竇商量始得還知麼。若知許爾自由自在。若不知朝打三千暮打八百)只如風穴示眾云。若立一塵。家國興盛。不立一塵。家國喪亡。且道立一塵即是。不立一塵即是。到這裏。須是大用現前始得。所以道。設。使言前薦得。猶是滯殼迷封。直饒句下精通。未免觸途狂見。他是臨濟下尊宿。直下用本分草料。若立一塵。家國興盛野老顰蹙。意在立國安邦。須藉謀臣猛將。然後麒麟出鳳凰翔。乃太平之祥瑞也。他三家村裏人。爭知有恁麼事。不立一塵。家國喪亡。風颯颯地。野老為什麼。出來謳歌。只為家國喪亡。洞下謂之轉變處。更無佛無眾生。無是無非。無好無惡。絕音響蹤跡。所以道。金屑雖貴。落眼成翳。又云。金屑眼中翳。衣珠法上塵。己靈猶不重。佛祖是何人。七穿八穴。神通妙用。不為奇特。到箇裏。衲被蒙頭萬事休。此時山僧都不會。若更說心說性。說玄說妙。都用不著。何故。他家自有神仙境。南泉示眾云。黃梅七百高僧。盡是會佛法底人。不得他衣缽。唯有盧行者。不會佛法。所以得他衣缽。又云。三世諸佛不知有。狸奴白牯卻知有。野老或顰蹙。或謳歌且道作麼生會。且道他具什麼眼卻恁麼。須知野老門前。別有條章。雪竇雙拈了。卻拈拄杖云。還有同生同死底衲僧麼。
當時若有箇漢出來。道得一句。互為賓主。免得雪竇這老漢後面自點胸野老從教不展眉(三千里外有箇人。美食不中飽人喫)。且圖家國立雄基(太平一曲大家知。要行即行要住。即住盡乾坤大地是箇解脫門。爾作麼生立)謀臣猛將今何在(有麼有麼。土曠人稀相逢者少。且莫點[(曷-曰)/月])。萬里清風只自知(旁若無人。教誰掃地。也是雲居羅漢)。適來雙提了也。這裏卻只拈一邊。放一邊裁長補短。捨重從輕。所以道。野老從教不展眉。我且圖家國立雄基。謀臣猛將今何在。雪竇拈拄杖云。還有同生同死底衲僧麼。一似道還有謀臣猛將麼。一口吞卻一切人了也。所以道。土曠人稀相逢者少。還有相知者麼。出來一坑埋卻。萬里清風只自知便。是雪竇點胸處也垂示云。以無師智。發無作妙用。以無緣慈。作不請勝友。向一句下。有殺有活。於一機中。有縱有擒。且道什麼人曾恁麼來。試舉看。

禅宗五家

臨済将軍
湲仰公卿
雲門天子
曹洞士民
法眼商人
痛快の臨済宗、謹厳の湲仰宗、高古の雲門宗、細密の曹洞宗、詳明の法眼宗
『禅の語録』(全19巻 筑摩書房 1969–1981年)ほしい。